第53話 嫌いなあの子と夜の道

「……なぁ」


「……」


 澤田先生の意外な姿を見てしまった後、俺と空閑はボロアパートへと歩を進めていた。


 澤田先生のあんな姿を見てしまい驚いたのは確かだが、それと同等以上に俺の背中に隠れた空閑の行動についても驚きを隠せない。


「……おい」


「……うるさいわね。何時だと思ってんの」


「そんな大きな声出してないだろ……。――心配しなくても俺は別に気にしてないぞ」


「っ。う、うるさい。さっきの事はさっさと忘れなさいよ」


 澤田先生が去った後、その場を後ろに跳び跳ねるようにして俺と距離を取った空閑の顔は、「やってしまった……!」といった感じの表情をしていた。


 それは俺に迷惑を掛けてしまったとかではなく、単純に嫌いな奴に自分から近づいてしまったという意味だ。


 その後、空閑が俺の二メートル前を歩く今の現状になった訳だが……。


「いや、話したくないなら別に無理はしなくていいんだが……。何であんな行動を取ったか少し気になってな」


 あの空閑といえど女の子だ。過去に確執があったとはいえ、あの距離で空閑の温もりを感じてしまったら俺だって変に意識してしまう。


 何かしら会話をしておかないと、俺と空閑の間に漂う何とも言えない空気が更に猛威を振るうのだ。


 だがそんな俺の思いとは裏腹に、前を歩く空閑からは何も答えが返ってこない。


 ……やばい。もう話題が無いんだけど。





「――昔の同僚」





 周りの暗闇に空閑の言葉が溶ける。


「……昔って事は……あれか」


 あの風貌の女性を昔の同僚と呼ぶということは、空閑が前にやっていた夜の仕事で一緒だったということか。


「ええ。店で一緒だった。……だからよ。あんたの影に隠れたのは」


「気まずいって事か」


「気まずいというか……そうね。私って店では悪目立ちしてたし」


(悪目立ち、ね……。深くは聞かない方がいいなこれは)


「……私、分からないの」


 空閑の歩くペースが少し落ちる。それに合わせ、俺も歩くペースを落とし空閑との距離を保つ。


「何が」


「昔の私と今の私。どっちが幸せなのか」


 昔の空閑――それは必死に外面を武装し自分を強く見せる生き方をしていた。当然性格も強気で、立ちはだかるもの皆潰すといった感じだ。


 その影響もあってか、空閑の周りには男女問わず一定数の人がいた。


「……さあな。それはお前しか分からないだろ。その答えはお前自身しか知ることが出来ない」


 そして今の空閑――俺との一件後、攻撃するための爪をもがれた悪魔はすっかり大人しくなった。俺に対する扱いは変わってないが、前とは違い顔を合わせて罵倒してくるだけマシになった。


 そして前の空閑と最大の違いは……周りに人がいなくなったという事だ。


 俺にした行為を彩乃先輩や俺が大々的にうちの生徒へ拡散した訳ではないのに、噂程度だがその話が校内に広まっている。


 その話の悪役である空閑。


 余程の友達でない限り、その悪役である空閑の近くには寄り付かないだろう。


 ――結果、今空閑は学校で俺に匹敵する程一人ぼっちなのだ。


「状況だけ見れば前の方がいいのに……何故か今の方が楽、なんだよね」


 生活費をギリギリまで削り服などの武装品に注ぎ込んでいたあの頃より、今の空閑は一段とダサくなっている。


 ……だが、楽と感じるという事は本当の空閑はこうなのだろう。


「楽ならいいじゃねぇか」


「……でも、さっき昔の同僚の姿を見て、今の私の姿を客観的に見てしまったの」


 煌びやかで、多数の男が自分を褒め称えてくれるあの頃と違い、今の姿は深夜に上下のジャージでコンビニに行く自分。


「……分っかんないわ。今後、私がどうしていきたいのかが」


「それこそ俺が知るわけないだろ。……でも、一つ言えるのは」


 俺は歩くのを止める。


 それを感じとったのか、空閑も歩きを止める。だが顔はこちらを向かず、空閑の背中だけが見えている。






「お前が変化しなかったら――柚木とは出会えてないぞ」






 その時、息をのむような音が聞こえる。


 普段なら絶対に聞こえてない。だが深夜の静けさに包まれた今の状況なら辛うじて聞こえた。


「お前がもし、あの時俺がマストで働けと言った時に断っていたら……確実に柚木には会えてないし、お前が懲りずに俺へ何かしてきていたのなら、お前が置かれる立場はもっと酷いものだったかもしれない」


 もし……というか、あの時に反省せずにまた何か攻撃してきていたのなら、空閑は確実に彩乃先輩に潰されているだろう。社会的な意味で。


 そうなっていたら学校に居場所なんて無くなるし、うちの大家さんが気を使ってくれて住む場所を格安で提供してくれる事も無かった。


「お前があのまま生きるのと今みたいに生きるの、どちらが幸せかはお前自身しか比べられない。……でも、今歩いている道でしか出会えなかった人達もいるんじゃないか」


 偉そうな事を言ってるな、と自分で痛感する。こんな事を人様に言える程偉くはないのに。


 空閑は俺の言葉をちゃんと聞いたのか分からないが、再び歩きだし、


「……うっさい。それに、双葉と出会ったから何だっていうのよ」


 シャカシャカとコンビニで購入した物が入っているビニール袋の音をたてながら、空閑は俺から逃げるように歩くペースを上げる。


 その時、俺はある事に気付く。


(――ん? あれは……)


「っ。だ、大体双葉と出会ったからって私に何か得があった訳じゃないし……! 何なら振り回されて凄い迷惑してる方だし……!」


「……ははっ」


「ちょ――何笑ってんのよくそヤンキー!

 キモいんだけど!」


「ほんと口が悪いなお前は……」


 立ち止まり振り返った空閑は、上がる口角を必死に押さえ込んでいるような、酷い顔をしながら俺を罵倒する。そして頬は少し赤かった。


(あの時、許す方を選んで正解だったのかもな……)


 空閑が持つビニール袋の中には、新発売のラーメンと共に、可愛らしいサイズのプリンが二つ入っていた。

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