第46話 選挙へ向けて

「――華ヶ咲先輩。生徒会長選挙で私の応援演説をやって頂けないでしょうか」


 深く頭を下げた新田は、真剣味を帯びた声で彩乃先輩にそう告げた。


「……私が? 理由を聞いてもいいかな?」


「……お恥ずかしながら、私には親しい友人というものが存在しません。ですから華ヶ咲先輩にやってもらえないかと思いまして」


 生徒会長選挙を行うにあたり、立候補者の演説は勿論だが、立候補者とは別の人間が応援演説をする必要がある。


 うちの高校にかぎらず他の高校、中学でも実施していると思うが、応援演説とは生徒会長に立候補している人間がどれ程優れ、他の生徒が送る学校生活を豊かにしてくれるかをアピールするもの。


「へぇ。紫帆ちゃんは生徒会長選挙に出るつもりなんだ」


「はい。担当の澤田先生の所にも立候補の意思を伝えに行きました」


 彩乃先輩は「うーん」と悩んだ様子を見せ、


「でも私と紫帆ちゃんの関係はただの中学が同じってだけだよ? 私、紫帆ちゃんの事深くは知らないから上手く応援演説出来ないと思うな」


「……っ。そ、それは……そうかもしれませんが……」


 彩乃先輩の言う通りだ。


 応援演説をする人というのは大体立候補者の友達だったりが務めるもの。


 彩乃先輩と新田の関係はこの中で一番薄い。そんな関係で応援演説など上手く出来る筈がないし、彩乃先輩にも迷惑だ。


「へぇー! 彩乃先輩達の学校ではもう生徒会長選挙が始まるんですか。……くーちゃん先輩も出るんですか?」


「出るわけないでしょ……。――そこのヤンキーは立候補するらしいけどね」


 スマホに視線を落としたままの空閑の口から爆弾が飛び出す。


 ちょ……! 新田がいる所でそんな話をされたら……!


「で、出るわけないだろ。変な事言うな空閑」


「え!? マサ先輩が生徒会長!? ヤンキーの更正物語なんて今時流行りませんよ!?」


 目を丸くして驚く柚木。というかヤンキーの更正物語って何だ。俺はヤンキーでもなければ更正が必要な程堕落した人間でもないぞ!


 その時こちらをじっと見つめる新田と目が合う。


「……? この前生徒会長選挙には出ないと言ってなかったかしら?」


「出ないのは本当だぞ。……澤田先生が勝手に盛り上がっているだけだ」


 本当に何で俺をそこまで買っているのか分からない。俺が先生の立場で考えても、皆からの心証が最悪の俺を推す理由が皆目見当もつかない。


 新田は俺の言葉を聞いて「そう……澤田先生が……」と小さく呟き、


「――それで華ヶ咲先輩。お返事を聞いてもよろしいでしょうか」


 カフェオレを口に運び喉を潤わせ、新田の言葉を聞き届けた彩乃先輩は苦笑混じりに、




「――ごめん。そのお願いは聞いてあげられないかな」




 彩乃先輩は意外にも新田の頼みを断った。


 何となく彩乃先輩は新田の願いを聞き入れると思っていたが……例え迷惑だとしても。


「……理由をお聞きしても宜しいでしょうか」


「理由? 理由は単純明快、もう既に私は紫帆ちゃん以外の応援演説を引き受ける事になってるからだよ。流石に応援演説を兼ねる事は厳しいからね」


(へぇ……。彩乃先輩、応援演説するのか……)


 初耳だったがあまり驚かない。


 よく考えれば学校で一番の人気者、男女問わずその圧倒的なカリスマ性でまとめ上げる彩乃先輩に応援演説の話が来ていない筈がないのだ。


 生徒はおろか先生までもが認める彩乃先輩。そんな彩乃先輩に応援演説を頼む事が生徒会長の座に就くにあたって最もお手軽で確実性の高い方法なのだ。


「……なるほど。そうですか。もし宜しかったら、華ヶ咲先輩が支持している生徒会長候補はどのような人物か教えてもらってもいいでしょうか」


「うん。いいよ。えっとね、その人は――」


 例えどんなに冴えない影の薄い奴でも彩乃先輩に応援演説をしてもらったらぶっちぎりだろうな。


 それがもし俺であっても。


 ………………あれ?


 何か嫌な予感がする。


 気のせいだよな?


 彩乃先輩がいたずらっ子のような顔をして俺の方を見てくるのは幻だよな?




「――顔面が凶悪化する呪いに掛かってて、年中悪魔のコスプレをしてて、全校生徒の皆から恐怖されてる男の子だよ」


「それ俺じゃねぇかッッッ!!!!」


 思わず大声を張り上げながら勢いよく立ち上がる。


 周りの客の視線を感じ瞬時に冷静になって座り直すが、心臓のバクバクは止まらない。


 というか年中悪魔のコスプレって何だよ! ヤンキーとかは言われ慣れてるけど悪魔は初めて言われたわ!


「ちょ、ちょっと何勝手に訳分かんない事言ってるんですか彩乃先輩!」


「えー、だって政宗君が生徒会長になったら面白そうだし」


「俺は面白くないですよ! 大体俺が生徒会長なんかになったらどえらいことになります!」


「だからそれが面白いんじゃない」


 ケラケラと笑う彩乃先輩。この人自分の影響力分かってるのか。絶対理解してないだろ。


 ……いや、自分の影響力を理解しててこんは戯れ言を言っているのか。そうだとしたらいい性格してるよほんと。


「確かにマサ先輩が生徒会長になったら面白そうですね! くーちゃん先輩もそう思うでしょ?」


「知らないわよ……。でも――」


 空閑は必死で彩乃先輩の暴走を止めようとしている俺をちらっと横目で見て、


「こいつが困ってる姿はいいわね。その観点からならこいつに投票してもいいわ」


 空閑は俺の様子を見てフッと嘲笑うかのように小さく笑う。


 こ、こんの野郎……っ! 絶対ろくな死に方しないからな……!


「――い、嫌ですからね! 彩乃先輩も変な事言わないで下さいよ!」


「私は政宗君が人を引っ張ってる所見たいけどなー」


 盛り上がる? 俺達の中で唯一テンションが上がってない新田は小さく息を吐き、


「……分かりました。華ヶ咲先輩に応援演説をお願いするのは諦めます」


「ちょ、ちょっと待てよ新田。まだ諦めるのは早いんじゃ……!」


「うん。ごめんね紫帆ちゃん。力になれなくて」


「いえ、こちらこそ急にお願いをしてしまって申し訳ありません。――では私はこれで」


 スッと立ち上がった新田は財布から野口英世を取り出し机に置き、ボックス席から抜ける。


「お、おい。こんなに頼んでないだろ」


「いいわ。付き合わせてしまったお礼だと思ってくれれば。……それじゃ伍堂君、お互い頑張りましょうね」


 待て待て待て待て!


 何だよ「頑張りましょうね」って!


 それはもしかして生徒会長選挙の事か! 俺は絶対に出ないからな!


「それでは皆さん、私はこれで失礼します」


 新田はそう言い残しカフェから出ていった。


「……何か大人びた人でしたねー」


 新田が去っていった方向を見ながら、柚木はそう呟く。


「……そうか?」


 確かに言動や礼儀は大人びてるけど……。


「どうします? もう解散しますか?」


「うーん……そうだね。私もそろそろ帰らないと」


「解散でいいでしょ。今日の予定は映画だけだったんだし」


 スマホを起動させ時刻を確認すると、もう17時近い。結構ここで喋ってたな。


「だな。もういい時間だし。解散でいいだろ」


 ……それにしても酷い目にあった。


 月曜日には絶対にきっぱりと澤田先生に断ろう。じゃないと――彩乃先輩の玩具にされる。


 それは絶対にきっぱり避けないと。


「――あ、政宗君」


「え? 何ですか彩乃先輩」


 全員分のお金を集め会計している最中、彩乃先輩が俺の耳元に口を近づけ、





「応援演説の原稿、出来たら一番に政宗君に見せるね」


「丁重にお断りさせていただきます」


 あははっと笑う彩乃先輩を見て、これは本当に早く動かないと取り返しがつかなくなると思った俺だった。

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