第40話 逆お泊まり
正直、前の俺と比べれば女耐性……と言っていいのか分からないが、女子に対する免疫みたいなものは身に付いたと思う。
それはひとえに彩乃先輩というとんでもない美少女が近くにいるというのが大きく、俺の経験値向上に大いに役立っている。
だがそれは自宅――俺の城でということ。
(……気まずい。俺の家ならこんなに気まずくならないのに……!)
俺たち二人はくっついていた敷き布団を離し、背を向けあった状態で寝転んでいる。
俺の家で彩乃先輩がお泊まりする場合は、マシンガンのような彩乃先輩のお喋りが俺の安眠を阻害するのだが……。
(……絶対に寝てないよな……彩乃先輩。寝息聞こえてこないし……)
背中越しに彩乃先輩の様子を伺うが、寝ている様子はない。
あぁ……あのマシンガントークが恋しい……。状況が状況なだけにこの沈黙に押し潰されそうだ。
「――ごめんね。政宗君」
静寂に包まれた部屋の中に彩乃先輩の消え入るような声が響く。
「……いえ、別に気にしてないですよ」
嘘です。滅茶苦茶動揺してます。さっきから鼓動がおかしいです。
「お母様がまさかこんな事をするなんて……。一体何考えてるんだろうね」
「さぁ……。まぁでも滅茶苦茶嫌われている訳じゃなくてよかったですよ俺は」
「嫌ってる訳ないよ。政宗君には感謝してるってお母様言ってたし」
感謝、か……。
少し前の俺には想像もつかないだろうな。
彩乃先輩のお母さんに感謝されるなんて。
「ねぇ、政宗君」
静寂が支配する部屋に衣擦れの音。
前より少し鮮明に聞こえた彩乃先輩の声。
首を捻り彩乃先輩がいる方へと視線を向けると、彩乃先輩は俺の方に寝返りをうち少し赤みがかった顔を見せていた。
「な、なんすか」
「ふふっ。なーんか、変だなーって思って」
「……変?」
「だってこの前も政宗君と夜を一緒に過ごしたのに、お互いこんなに緊張しちゃってさ」
「それはまぁ……シチュエーションが違いますから」
俺も彩乃先輩と同様に寝返りをうつ――というのは恥ずかしかったので、俺は仰向けになり天井を見つめる。
「……むぅ。何でこっち向かないの」
「……っ。む、向ける訳ないでしょ」
「何でよ。――私は政宗君の顔が見たいのに」
お、おかしい。
こんな風にからかわれるのはいつもの事で慣れてる筈なのに……!
今は当社比1.5倍くらい俺のメンタルに効く。シチュエーションの違いって凄いな。
「……っ。こ、こんな恐ろしい顔面見たら寝付けなくなりますよ」
「政宗君の家で寝るときが一番寝つきがいいからその言葉は間違ってるよ? それに政宗君の寝顔とかは私のスマホのストレージを圧迫するくらいあるからもうその顔にも慣れたしね」
……あれ? 今凄く怖い事言わなかった?
「――覚えてる? 私と政宗君が会った時の事」
感じた違和感を彩乃先輩に問い詰めようとしたその時、彩乃先輩からそんな言葉かこぼれる。
「……はぁ。――忘れる訳ないじゃないですか。多分俺の人生史上最大に驚いた出来事ですから」
天井を見つめながら俺はそんな言葉を返す。
人生史上最大に驚いた、というのは決して大袈裟ではない。
「あはは。じゃあ私は政宗君の人生の中で最も目立った存在なのかもね」
「……そうっすね」
「あの時……家を飛び出してなければこうやって男の子と枕を並べる未来も無かったのかな」
彩乃先輩は昔……といえる程昔ではないが、俺との出会いをゆっくりと脳内で振り返っているようにしみじみと語る。
そして俺も脳内で振り返る。
電柱の側にいた、まるで捨てネコのようにみかんの段ボールに入っていた彩乃先輩。
光の無い目で俺の目を見上げていたあの時と比べれば、今は幸せと言えるのだろう。
「……彩乃先輩の場合、あの時俺と会ってなくても男の子と枕を並べられたと思いますよ」
「え? 何で?」
「……だって彩乃先輩、モテるじゃないっすか」
うわぁぁぁぁ……。絶対に引いたよな、今。
自分で自分が気持ち悪い。何が気持ち悪いかって、彩乃先輩がモテると自分で言っておきながら少しモヤっとしている自分が気持ち悪い。
(何やってんだ俺は……別に俺は彩乃先輩の特別な存在でもないだろ……!)
俺の言葉を最後に何も言わなくなった彩乃先輩から逃げるよう、俺は彩乃先輩に背を向ける。
彩乃先輩はハイスペックだ。多分俺の心の中で考えてる事なんて筒抜けだろう。
……あぁ! 本当に恥ずかしい!
悶えるような羞恥に苛まれていると、
「――政宗君」
耳元に湿った声。
今までの会話の中で一番鮮明に聞こえた声に思わず声の方を振り向く。
そこには――自分の布団を抜け出し顔を近づけた彩乃先輩の顔があった。
「な――」
ほぼゼロ距離に俺の顔があるというのに彩乃先輩はその距離を維持したまま微少を浮かべ、
「……嫉妬して、くれてるの?」
「……ッ! べ、別に嫉妬とかじゃ……っ!」
一生懸命言い訳を捲し立てる俺の口を塞ぐように、彩乃先輩は人差し指を俺の唇に当てる。
「――私はね、そんな安い女じゃないの。モテようがモテまいが、隣にいる男の子は気に入った相手じゃないと嫌」
からかうような、それでいて真剣さを帯びたその声。
そんな事を言われたら……言われてしまったら……。
「……そろそろ寝よっか。明日も学校だし」
彩乃先輩の真意を問う前にそう言った彩乃先輩は俺の唇から指を離し、「お休み政宗君」と言った後自分の布団に戻る。
「え、あ、……はい。お休みなさい」
この時、彩乃先輩の言葉の意味を聞いていたら、俺と彩乃先輩の関係に名前を付ける事が出来たのだろうか。
(……臆病だな。本当に)
一歩踏み出したいと思う気持ちより、現状維持を望む気持ちの方が強いらしい。
俺は頭の中を一度リセットする為、瞼を閉じた。
だが一向に睡魔はやってこなく、隣から聞こえる寝息を感じながら長い夜を過ごす事になるのだった。
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