第38話 鈴乃さん
カチャカチャという生活音。そして腹の虫を刺激する匂いで瞼を開ける。
ぼんやりとした意識の中、音と匂いの発生源である台所を見ると、エプロンをした女子高生と、その隣で料理している所を見る女子高生の姿が見える。
(……って、あれ? 二人……?)
「彩乃先輩ってほんと料理上手ですよね~。女の子としての自信なくしちゃいますよ」
「そんな事ないよ双葉ちゃん。双葉ちゃんだってちょっと頑張ればすぐに上手になるよ」
「……はぁ。――勝てる気しないな~……」
頬をぷくっと膨らませ先輩の料理姿を隣で観察する女子高生――柚木双葉。
あいつ……いつの間に入ってきたんだ。一応俺の家なんだけどな。
「おはようございます先――あ、彩乃さん。それとついでに柚木」
「ついでにって何ですかマサ先輩! ……それにいつの間に名前呼び……」
柚木のジト目から逃れるように顔を反らす。
台所には温かな味噌汁の匂いが広がり、これぞ日本の朝って感じがしていい。
「おはよう政宗君。もうちょっとだから先に顔洗ってきてよ」
制服エプロン姿の彩乃さん。いつも通り微笑を浮かべた様子からして、やはり昨日空閑が言っていたのは単なる気にしすぎか。
「了解っす」
先輩の言う通り洗面台で顔を洗おうと、洗面台へ向かおうとすると、くいっとシャツが引っ張られる感覚。
「……ん? どしたの柚木」
「マサ先輩……。今日はバイト来ますよね?」
「ん? おお。行くつもりだけど。……なんかあるのか?」
「い、いや! ……ただ最近バイトに来てなかったから……」
柚木の言うとおり、俺は最近バイトに出れていなかった。
これには様々な理由があるのだが、決して宝くじが当たった訳ではない。
「ああー、まぁ色々あってな。皆変わりないか?」
「ですよ。マサ先輩がバイトに来ない影響で店の売上が上がったって店長が言ってました!」
朝からなんて威力をした言葉を吐くのかこの後輩は。
でも俺一人の影響が売上に貢献するということは、逆説的に俺最強なのかもしれない。……違うな。意味のない現実逃避は止めよう。
「俺は疫病神かなにかかよ……。空閑はどうなんだ?」
「くーちゃん先輩ですか? 相変わらず仏頂面で仕事してますよ。でもくーちゃん先輩は可愛いのでオールおっけーです」
あざとく手で丸印を作る柚木。てかくーちゃん先輩ってなんだよ。
俺は空閑の事を詳しく柚木には話していない。わざわざ言いふらす事でもないし、働き場所を提供した身としては、その場所を居心地の悪い場所にはしたくない。
柚木も空閑については深く聞いてこなかった。こういった所は素直に「人としてできている」といったところか。
「そ、そうか。まぁ仕事ができているならいいや」
「マサ先輩よりよく働きますよ。……じゃあ、今日は来るって事でいいですよね?」
「おう。働かなきゃ生きていけないからな」
すると柚木はにま~っと笑みを浮かべる。
「絶っ対に来てくださいね!」
そう言って柚木は、もう完成間近の先輩の朝ごはんをちゃぶ台に並べるべく、先輩の元へと行った。
(……朝から元気な奴だなほんと)
◆
学校が終わり、そしてバイトが終わった現在。時刻は21時過ぎ。
俺は今、座り心地のいい高級な椅子に腰掛け、目の前に広がる料理を若干引きぎみで見ていた。
この家の料理はまだ慣れない。何回かこの家で晩御飯をご馳走になっているが、絶対にメニューが被らない。
「――政宗さん。食べないのかしら」
大きな机を挟み向かいにいる女性――華ヶ咲鈴乃さんは、上品な所作でワイングラスを傾ける。
だが服装が着物のせいで、やっぱり違和感がある。ワインはやっぱりドレスだろ! ……とか思ってみたりする。
「い、いえ! 頂きます!」
ネット知識のテーブルマナーでナイフとフォークを使い、肉を口に運ぶ。
(――っ! う、うまい……っ! 本当の肉ってやっぱり凄ぇ)
この家から出てくる肉が柔らかいのは当たり前だ。味付けも滅茶苦茶いい。
それでいて肉本来の味がソースに負けてないというか……肉の味をソースが演出しているというか……。
まぁ、とにかくうまい。
「お口にあったかしら?」
「は、はい。とても美味しいです」
「貴方は腐っても華ヶ咲家に関わる人間。こういった物も口にしておかないと周りからなんて言われるか分からないわ」
この部屋の中に流れるクラシックの音色に鈴乃さんの上品な声が重なる。
今日は鈴乃さんの後ろにベンさんが控えていない。彩乃さんも習い事があるとかでこの場所にはいない。
少し重い空気に気まずさを感じていた時、
「……そういえば、今月分は振り込んでおいたわよ」
「――っ! ……す、すいません」
「いいのよ。貴方には彩乃さんが迷惑を掛けているし」
俺がバイトに中々行けなかった理由。
それは鈴乃さんに呼び出される事が多くなったから。多分、彩乃さんの普段の様子を知りたいのだろう。
「それに、あの程度の金額ならどうという事もないわ」
「あ、あはは……」
そして、鈴乃さんから生活費の援助を受けるようになったという事。……単純にちょっと怠けてしまいましたはい。
俺は最後まで「いらないですよ!」と抵抗した。
だが、俺なんかが鈴乃さんに敵うはずもなく、俺の口座に見知らぬお金が振り込まれるようになった。
……いや、恐すぎだろ、本当に。目を疑ったもんねあの時。
「本当なら引っ越しもしてもらいくらいだけど……私がそこまで干渉するのもね」
「ま、まぁあの家はあの家で住み慣れてますから……」
鈴乃さんは持っているナイフとフォークを置き、
「時に政宗さん。貴方に聞きたい事があります」
鈴乃さんの声色に真剣さが帯びる。それを感じ取った俺もナイフとフォークを置き、聞く体勢を整える。
「な、何でしょうか?」
「――最近、彩乃さんの様子がおかしいと、私は感じているのですが、何か心当たりはありませんか?」
(……っ。鈴乃さんも空閑も同じ事を……!)
刹那、昨晩に感じた違和感を思い出す。だがそれが何かまでは推測できなかった。
「……すいません。自分には何も……」
「……そうですか。ならいいのです」
それ以上何も言う事なく、鈴乃さんは食事を続けた。
彩乃さんがもし何かに悩んでいるなら、力になりたい。
だけど、多分あの人は弱味をみせない。こちらから動いても暖簾に腕押しだろう。
(どうにかならないもんかな……)
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