第30話 俺自身の決着②

 張りつめた空気。


 よくそんな言葉を耳にするが、俺はその言葉がどんな空気を表しているのかを知った。


「伍堂政宗さん、わざわざご足労頂いて申し訳ないわね。そこに座って」


 大きく長細いダイニングテーブルの奥側。そこに鈴乃さんは居た。その後ろにはベンさんも控えている。


 部屋のインテリアは洋風なのに鈴乃さんは真逆の和服を纏い俺を待ち構えていた。


 何だろう……部屋が洋風なお陰で服装がミスマッチな鈴乃さんの発するオーラが当社比1.5倍くらいに感じる。


「は、はい! 失礼します……」


 高そうな椅子を引き座ると、何処からともなく給仕が飲み物を持ってきて俺の前に置く。


(こ、これは口をつけてもいいのか……。それともまだなのか……)


 こういった時の作法なんか微塵も知らない。ど、どうすれば……、


「――伍堂さん」


 鈴乃さんの凛とした声が俺の脳に響く。


「は、はいッ!」


「夫から聞きましたよ。私に言いたい事があると。――ベン、少し席を外してくれるかしら」


「御意に」


 相変わらずサングラスをかけているからどんな表情をしているかわからないが……。


 何となくこちらを一瞥した気がした。


 ベンさんが部屋を出たとほぼ同時に、


「――さて、伍堂さん。私に何を言いたいのかしら。これでも私は暇じゃないのだけれど。出来れば手短にお願いしたいわね」


 淡々と喋る口調。俺の全てを射ぬくような視線に負けそうになるがぐっと奥歯を食い縛る。


 ここで俺がなよなよした感じを出しちゃ駄目だ。


 鼻から空気を取り込み……口から放出。――よし。


「僕が言いたいのは只一つです。先輩――彩乃さんに自由を与えてあげて下さい」


「自由? 何を言ってるの貴方。いつ私が彩乃さんを縛ったというの。私は彩乃さんに必要な事を『教育』しているだけであって縛ったりなんてしてないわ」


 教育って……物は言い様か。


「俺に華ヶ咲家の教育を否定する権利なんてありません。それは分かっています。 ……でも、実際に先輩はそのやり方で笑っていますか?」


「自分の子供に厳しくしない大人はいません。例え今笑っていなくても歳を重ねるにつれて今やっている事が分かるのです」


 鈴乃さんが言っている事は分かる。確かに子供を甘やかすだけではいけない。


(でもあの時の先輩は……)


 あの日、みかんの段ボールに入り弱々しく笑う先輩の顔が過る。


 あの顔を知っている俺だからこそ、鈴乃さんの言っている事に負けるわけにはいかない。


「貴方の事も調べさせてもらいましたよ伍堂さん」


「俺の事、ですか」


「ええ。全てを調べ、吟味した上で今の貴方が彩乃さんの教育に相応しいピースにはならないと判断しました」


「――ッ!」


 鈴乃さんの言葉の刃がグサッと刺さる。


 この人の言うとおり俺には何もない。


 名誉もなければ財もない。底知れぬ人望も、将来何か大きなものを背負う期待もない。


「私は只事実を言っているまで。彩乃さんには未来の華ヶ咲を背負ってもらわねばならないのです」


「でも今の先輩でも充分家を背負え――」


「部外者の貴方に何が分かるというのです! 女の身で華ヶ咲を背負うという事は並大抵の事ではありません。……この家には彩乃しかいないのだから」


 初めて鈴乃さんの声色に感情が灯る。


 それだけしんどい思いをしたのだろう。


 鈴乃さんは一つ咳払いをし、


「……伍堂さんは彩乃に『自由を与えてあげて欲しい』と言いましたね」


「はい。そう言いました」


「自由、という意味が習い事などを辞めさせろという意味なら私は絶対に自由にさせません。――これは彩乃の為です。私のように苦労してほしくないのです」


「鈴乃さん……」


 俺は今日ここに先輩を自由にしてあげようと鈴乃さんに話をつけにきた。


 だが何故だろう。


 鈴乃さんの思いに同調している自分がいる。苦労してきた鈴乃さんの言葉に俺の思いが染まっていく――





『私を、拾ってくれる?』






(……ッ! 先輩!)


「……鈴乃さんの思いはわかりました。確かに今頑張る事が先輩の未来を輝かせるのかもしれない」


「……そう」


「――だけど、俺は先輩のあの顔を知っている! あの顔が今後も続いていくのは駄目だ!」


 鈴乃さんは「はぁ?」というような顔を向けてくる。自分でもそう思う。


「あの顔……? 例え悲しい顔をしていたとしても貴方に何が出来るの。貴方言ったじゃない。彩乃の未来の為に今頑張る事が必要だって」


「それは! ……そう、ですけど」


 くそ……っ!


 どうやったらあの顔をさせずに済むんだ。


 鈴乃さんは絶対に今の教育スタイルを崩さない。そして俺もそれに乗っかってしまった。


(先輩が笑顔で過ごせる日々……その日々に必要なもの)






「……俺、か?」






 小さく呟く。


 もしかしたらそうなのかもしれない。


 鈴乃さんは先輩に必要なものが俺には無いと言った。だがこれは――、


「鈴乃さん」


「な、何よ。貴方何笑ってるの」


 頬を触る。確かにほのかに緩んでいた。


「俺は先輩に――安らぎを与えられます」


「安らぎ? ……それがどうしたのよ」


「鈴乃さんは今の教育スタイルを続けて先輩を育て上げるつもりなんですよね?」


「え、ええ。そのつもりよ。だがらその教育過程に貴方は必要――」


「俺は先輩に安らぎを与えられます。それは今のスタイルを続ける鈴乃さんには困難な事を、俺は与えられます」


 自意識過剰だと笑ってくれていい。


 でも現実に先輩は……俺といる時は笑うのだ。少なくともあんなに顔はしない。


『先輩の安らぎとなる』


 これが俺の存在理由だ。


「貴方中々に攻めた事を言うのね……。彩乃はこれからも忙しく、やる事は増える一方。貴方のその言い方だとこれからもずっと」


「そのつもりです! 俺が先輩の安らぎになる! ……俺は先輩に安らぎを与える存在になります」


 鈴乃さんは一つため息をつく。


 もしかして呆れているのか……? でも俺は本気だ。


 先輩の為なら喜んで人生くれてやる。


「……はあ。もういいわ。好きになさい」


「! い、いいんですか!? 自分で言うのも何ですけど中々に無理やりですが……」


「その代わり私はこれからも彩乃さんに厳しくいきます。……親として情けない話だけど貴方の言う通り私では彩乃さんの安らぎの場所にはなりえない。――だからお願いね伍堂政宗さん」


 鈴乃さんは上品に頭を下げる。


「……はい」


 ドっと力が抜ける。これでいいのか……?


 いやでも最初は自由にするつもりだったんだけど最終的には俺が先輩に人生を預ける事になったんだよな……。


 これ先輩に言ったら怒るかな。勝手に先輩の今後の人生に俺が居るんだもんな。


(余計な事したかもな……)

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