第28話 救いの手

「じゃあ今から人を呼んで……それより校内放送の方がいいかしら」


 これから俺は楽になる。先輩が俺の誤解を解いてくれ、目の前で泣き崩れている空閑は――同情するような生活が待ってるだろう。


(自業自得だ。だから……間違っても可哀想なんて思っちゃいけない)


 そう。これはいけない事をした空閑が受けるべき報い。だから――、






「ちょっと待って、先輩」





 はぁー。馬鹿だな。俺。


 自分でも自分の偽善者加減に嫌気がさす。何でこんな事考えてんだ? 俺。


「何? どうしたの政宗君」


「えっと……ですね。今から変な事言うんですけどいいですかね?」


「変な事? ……いいけど」


 頭をガシガシと掻き、チラッと崩れ落ちている空閑へと視線を滑らす。


 普段なら絶対に泣き顔なんて見せない空閑。その空閑の目は涙で溺れていた。


「……こいつを、許す、というか見逃す? 選択肢はないですかね?」


「……は?」


「だから、こいつを見逃すっていう――」


「な――、馬鹿言わないでッ!!」


 風の音しかしない屋上に先輩の声が響く。どうやら先輩は怒っているようだ。


「自分が言ってる事分かってる!? その女はね! 政宗君を身勝手な思い込みで不幸にしたのよ!? 何でその女を庇うのよ!」


 その通りだから何も言えない。


 実際に空閑も俺を驚愕の目で見ている。


「庇う……訳じゃないですけど。まぁ、何て言うんすかね……。こんな人間として最低な奴でも、やり直しのチャンスくらいは有って然るべきだと思うんですよね」


「それは報いを受けてからやるものよ。第一、私自身が嫌よ。政宗君を傷付けたこの女を許すなんて」


 こんな風に俺の事を思って怒ってくれるのは有難いし嬉しい。……でも、


「俺は、見逃してやってもいいと思ってます。俺はこの偽善を貫き通したい」


「そんなの……ッ!」


 俺はゆっくりと空閑の元へと歩いていく。


「……おい、空閑」


 俺は空閑を見下ろす。弱りきった空閑も俺に対してはまだ鋭い目を維持している。


「……何よ。誰も助けてなんて言ってない。私を吊し上げたいならそうすればいいじゃない」


「助ける訳じゃない。俺はお前が嫌いだ。――大嫌いだ。だけど……やり直すチャンスくらいはくれてやる」


 何となく……俺と空閑は似ている気がする。本当に何となくだが。


 あの時の万引きだって多分何か理由があっての事だろう。じゃないとあんなリスクが高い事はしない。


「やり直す? ……何言ってんの、あんた。そこの全てに恵まれた女が言う通り私があの写真をバラ撒いたのよ。ほら、殴りなさいよ。――今回は写真撮らないからさ」


 空閑はもうどうにでもなれといった様子で立ち上がる。


 もう空閑は自分が辿るであろう道を察しているのだろう。皆からクズ、ゴミ、底辺と様々な言葉で蔑まれる道を。


 そんな風に感じられる力無い笑みを空閑は浮かべる。


「……政宗君。まさか手を出したりしないわよね」


「そんな事やりませんよ。ここで手を出す程俺は感情的な馬鹿ではないですから」


 ここで手を出したりしたら空閑と同じレベルかそれ以外になってしまう。


 ――さて、俺はこいつを見逃すと言ったがこれからどうするか。


 この人間性が最底辺の人間をこのまま放っておくのは絶対に駄目だ。


「……先輩。そんなにこいつ、金が無いんですか?」


 俺の言葉に先輩はすました顔で、


「ええ。その通りよ。さっきも言った通りその子は夜の仕事をして生計を立ててるのよ。……学校にバレたら終わりね」


 クスッと先輩は悪い顔で笑う。……この先輩もしかして一番の被害者である俺より空閑の事嫌いなんじゃ……。


「先輩悪い顔になってますよ。――そうですか。やっぱり似た者同士だったんだな」


「私とあんたみたいな偽善者を一緒にしないで。貴方よりよっぽど苦労してるのよ」


「別にどっちが苦労してるとかどうでもいいだろ。お前の気持ちが分かるとは言わないし、幾ら金が無かろうとお前のした事は最低なんだから」


 今一度空閑に自分がやった事を突きつける。鋭い目で睨まれるが俺は気にしない。


「政宗君、本当にその女を許す気なの?」


「許すんじゃありせんよ。――俺は空閑を真っ当な道に戻してやるだけです」


 今の空閑は最低だ。なら俺が偽善者としてしてやれる事は『許す』のではなく『改善』してやる事。


「おい空閑」


「……何よ」


「お前、今の仕事辞めろ」


「……は?」


「だから、今やっている夜の仕事を辞めろって言ってるんだよ。未成年がやっていい仕事じゃない」


 俺は別に夜の仕事をやっている女性を軽視している訳ではない。

 ああいう仕事も世の中には必要だと思うが……未成年がやる仕事ではないことは確かだ。


「……何であんたにそんな事。というか私働かないと生活できないし借金も返せないんだけど」


 借金、という言葉に少しだけ思考が止まる。


 ……借金ね。中々に闇が深いなこいつ。


「それとも、生活に困る私を見て笑いたいの?」


「俺にそんな性格の悪い趣味は無い。お前じゃあるまいし」


「やっぱりムカつくわねあんた……! ――じゃああんたは私に何をさせたいのよ」


 ふむ……。まぁ、このやり方でいいか。







「――お前、マストでバイトしろよ」






「「……え?」」


 空閑と先輩の言葉が重なる。そんなに驚くか……?


「私が、ファミレスで働く……?」


「ああ、あそこなら他より時給高めだし。それにくそ忙しいからお前の腐った根性と人間性も労働という薬で少しはマシになると思ってな」


 空閑がやっている夜の仕事と比べれば時給は安いだろうが、マストは高校生がやれる仕事の中ではしっかりと仕事量と賃金のバランスが取れている職場。


 あそこには厳しい先輩方も沢山いるから人間力の向上にはもってこいだ。


「ちょ、ちょっと待って政宗君! それってもしかしてそこの女と政宗君が一緒に働くって事!?」


「あー、まぁ……そうなりますね。でもそこは別にどうでも――」


「大問題よッ!! 私はもう政宗君とこの女を関わらせたくないからここまで色々と裏で頑張ってきたのに!」


 そう言われましても……。俺はこいつに仕返しするのではなく真っ当な道に戻すと決めた訳でして……。


「先輩には悪いんですけど……俺は別に仕返しがしたい訳じゃ――」


「わ・た・し! が嫌なの!」


 えぇー……。やっぱり先輩は俺より空閑の事が嫌いなんだな。


「あんた、本気で言ってるの?」


 空閑が俺に問う。俺は力強く空閑の目を捉え、


「本気だ。もし、お前が夜の仕事をしたいというならそれは成人してからすればいい。今は駄目だ」


「あんたにそんな事――」


「何か言ったか?」


「ちっ……。何でもないわよ」


 初めて空閑を言い負かせた気がする。……言い負かせてはないか。


(これから何かと忙しくなりそうだな)

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