第21話 またもや
昨日柚木に言われた言葉が、一夜明けた今でも深く心に突き刺さっている。
俺は逃げていただけなのだ。
『迷惑をかけたくない』という名目で。先輩の名前を使って。
先輩は今苦しんでいる。なら――助けてあげなければ。
「――と言っても、学校には行かないといけないわけで」
学生の仕事である勉強を疎かにしていては、只でさえ低い鈴乃さんの評価も地に落ちてしまう。
この歩き慣れた道も、覚悟を決めて歩くとまた違った味が出てくる。
校門をくぐるといつも通り昇降口に吸い込まれていく生徒の波が……って、あれ?
(何だ……? 何かあんのか?)
今日は吸い込みが悪いのか。
昇降口の前には人だかりができていた。それもほぼ全員が昇降口前で立ち止まり何かを見ている。
「――お、おいこれって……」「マジならやばくね?」
ざわざわとそんな声が聞こえてくる。一体何だというのか。
「――政宗君ッ!!」
久しぶりに聞いたあの声。
それは唐突に後ろから聞こえてきた。だがそれはいつものように優しく、そして甘い呼び方ではなくとても切羽詰まったような声色だった。
「せ、先輩!」
「いいからこれッ! 何があったの政宗君!!」
肩を揺らしながら俺の目の前に一枚の写真を突きつける。そこには――
「……え?」
その写真は辺りが暗い。おそらく夜に撮影したものだろう。
そしてその写真の中央には2つの影。その影が人間だと気付くまで時間は掛からなかった。
片方の人間は地面に寝そべり、もう片方の人間は倒れている人間に覆い被さるような体勢。
その光景は……身に覚えがあった。
「これ、政宗君よね?」
「……は、はい。確かにこれは俺ですね。――でも何でこんな写真が」
見方によっては俺が柚木を襲っているように見えるこの写真。
だが俺はそんな事はしてないし、偶然この体勢になっただけだ。悪いことはしていない。
「おい……あれ見ろよ」「うわ……あいつじゃん。やっぱりあいつはヤバい奴だな」
そんな声が聞こえてきたと思い昇降口の方を向くと、そこに居た殆どの人が俺を冷ややかな目で見ていた。
その視線は汚物を見るような、最底辺の人間を見る目。
――まるであの時のような視線。
「何で……こんな事に……っ!」
その時、俺の横を一人の女子生徒――空閑が通りすぎる。
空閑が通りすぎる瞬間、彼女の横顔を見る。その口元は三日月のように端がつり上がっていた。
「――ダメじゃない。女の子を襲っちゃ」
(こいつ……! こいつがこの写真を……!)
俺は手のひらから血が出る程に拳を握りしめる。己の無力さ、空閑への怒りで心が支配される。
俺は今こんな事をしている暇などないのに……!
「何やってるんだ! 早く教室に入りなさい! もうそろそろ始業の時間だぞ!」
昇降口の方から先生の怒号が響く。その怒号を皮切りに昇降口は再度吸い込みを始める。
「……すいません先輩。話があったんですがまた今度で」
「政宗君……。私は信じてるよ。政宗君はこんな事しないって。何かの偶然が重なってこうなっただけだって」
俺は精一杯の笑みを先輩に向け、重い足を動かし昇降口へ向かう。
空閑が俺を嫌い、鬱陶しがっている事は十分承知していた。しっかりと警戒すべきだった。
くそ……っ! 俺は何でこんなに――。
「あー、伍堂。お前に少し話がある。生徒指導室まで来るように」
「……はい。分かりました」
先生の隣を通りすぎる時、昇降口にばら撒かれていた写真を手に取った先生から声が掛かる。
俺は奥歯が悲鳴をあげるほどに食いしばりながら、いつもと違う道を通って生徒指導室まで足を運んだ。
◆
「……それでは、失礼しました」
ガララ、と生徒指導室の扉を閉め俺は深く息を吐く。
一応あれは偶然あの体勢になっただけで決して女性を襲った訳ではないと説明したが……。
多分、信じてないだろうな。俺には前科があるから。
「取り敢えず教室に――」
教室のある二階へ向かう為に階段を登ろうとすると――奴がいた。
「空閑……」
「いい感じじゃない伍堂。やっぱりあなたはそうやって皆から嫌われている方が似合ってるわね」
「お褒めに預り光栄ですよ空閑凛音さん。好感度は既に底辺だと思っていたがまだ底があったとは知らなかったよ」
「あらそう? 最近あの華ヶ咲先輩を味方につけていたようだけど人間不思議ね。どれだけ強い武器を持っても何だかんだ居るべき場所に戻るのね」
空閑は今の俺の状況がすこぶる嬉しいのか、髪を靡かせながら口元に手をあて笑う。
「どうやってあんな写真を撮ったんだ。またお得意の男を使ったのかよ」
「 写真? ――何の事かしら? もしかしてバラ撒かれていた写真を撮ったのが私だと思ってるの? 勘弁してほしいわね。そんな決めつけ」
見え透いた嘘を……!
十中八九こいつが犯人で間違いない。だがこいつが犯人だという証拠もない。
例え俺がこいつが犯人であの写真は誤解だと言い回っても全員が空閑の味方をするだろう。
「……やっぱりあなたはこういう扱いが似合ってるのよ。あなたみたいな偽善者。虫酸が走るわ」
「……何がそんなに気にくわないんだよ。そんなにあの時の事が嫌だったのか」
そう。
俺はあの時空閑を救ったのだ。自分の正義心に従って。
だが、空閑にとっては――
「私はね、あなたみたいな人種が一番嫌いなの。ムカつくの。もうどうしようもないくらい! ……まぁもうどうでもいいわ。既にあなたの味方なんてこの学校には存在しないのだから」
「お前……っ!」
この場で感情に任せ殴りかかるのなんて簡単だ。女子の空閑相手に腕力で勝負すれば勝つのなんて簡単だ。
その瞬間のみ、相手に勝ったという快感が得られるかもしれない。だが、その後に待っているのは――地獄だ。
俺は先輩を助けると決めたんだ。こんな事で時間を使っている場合じゃない。
「……ふぅ。――俺はもう行く。もうこれ以上俺はお前に関わらないからお前も俺には関わらないでもらえると助かる」
「逃げるの? やっぱりしょうもない男ね」
空閑の言葉には耳を貸さず俺は自分の教室目指し歩く。
そして何とか教室に着き俺を迎えたのは――中々キツイ教室の空気だった。
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