第19話 華ヶ咲鈴乃

「私はね伍堂君……。華ヶ咲の正統な人間ではないんだよ」


 俺と大和さんがいるこの空間はとても静かだった。今日に限って隣から怒鳴り声も聞こえない。


「それは、どういう……」


「私は華ヶ咲に婿入りした人間。一応華ヶ咲家の代表は僕の名前になっているけどね。……まぁ形だけという訳さ」


 形だけ。


 その言葉で今の大和さんが家の中でどういった立場なのかは察することができた。


「名家として名高い華ヶ咲家。当主たるもの男であれ、何て言う古臭い伝統もあってね……。まぁそれで女性である鈴乃は当主にはなれなかったのさ」


「でも……そんな伝統変えようと思ったら変えられるんじゃ」


「ほう、何故そう思うのかね?」


「あ、えっ……と。こう言ったら失礼かもしれないですけど……」


 伝統。それは華ヶ咲家みたいな昔からある名家にはとても大切で、絶ちきれない鎖なのだと思う。


「――あの鈴乃さんなら、そんなの簡単に変えてしまうと思ってしまって」


 大和さんの目が少し大きくなる。そして、


「……あはははは! そうか! 君もそう思うか!」


 気品のあるジェントルマンだと思っていた大和さんだが、俺の言葉に破顔して笑う。


 これは……どうしたものか。俺も一応苦笑いを浮かべてみるが何がそんなに面白いのか理解できずにいる。


「あの……俺何か面白い事いいました?」


 大和さんはこちらに手のひらを向ける。


「――はあー。いや失敬失敬。まさかたった一度会っただけの人間にそこまで思わせるとは……。流石鈴乃という所か」


「いやまぁ……、結構強そうな方だったので。昔堅気のルール何て気にせず取っ払いそうな気がして」


「私もそう思っていたよ。……でも彼女は何よりも誰よりも――華ヶ咲家を誇りに思ってる」


 俺はあの日に見た鈴乃さんの佇まいを思い出す。あの上品な佇まいは一朝一夕で体得できるものじゃないと思う。


 普段から人から見られる事を意識して生活しているからこそ、あんな風に立ち回れるのだろう。


「彼女自身も『当主が男でなければならない』何てルールは古臭いと思ってる。でもそれと同時に今まで先代の方々が守り抜いてきたルールを自分の代で変えてしまっていいのだろうか、とも思ってる」


 変化する勇気。


 安定を捨て、進化を求め変化することはかなりの勇気がいることは俺でも分かる。


「僕は鈴乃と違ってこんなだからね。鈴乃の支えとなれるようにもっと頑張らないとって思っているんだけど中々ね……」


「じゃあ先輩があんなに拘束されているのも……」


「鈴乃自身も女ということで色々あったらしいからね……。彩乃にはそんな事がないよう幼い頃から色々させてたよ。僕から見れば少しやり過ぎだと思ったけどね」


 鈴乃さんの苦労も分かる。


 女というだけで大きなディスアドバンテージを被ってしまい、その差を埋める為に自らを犠牲にして華ヶ咲に相応しい人間になるよるに努力していた。


 その頑張りは報われるべきだし、認められるべきだ。


「私たちは中々子供に恵まれなくてね。やっと出来た子供が彩乃だった。――性別が分かったときの鈴乃の複雑な面持ちは忘れられないよ」


 同じ女性として、これから我が子が受ける扱いを知っているからこその面持ちだったのだろう。


「鈴乃が今彩乃にしている事は僕は間違っているとは思えない。……けど、やり過ぎだとも思う。だけど僕の言葉じゃもう鈴乃には届かない。僕が華ヶ咲に相応しい人間になれれば違うのだろうけどね」


「俺から見れば大和さんも十分立派な男性ですけどね」


「いやいや、僕なんかより君の方がしっかりしているよ。僕は良くも悪くも合理的だ。感情だけで動けない」


 え、それは俺が感情だけで動くと思われてる?


「――あ、決して貶している訳ではないよ? 寧ろ僕は羨ましい。彩乃を助けてあげたいという感情で動けていたなら現状は違った筈だからね」


「……俺はそんな評価される人間じゃないですよ。ベンさんから聞いてるでしょうが、俺は学校の嫌われ者ですよ?」


 眉をピクッと動かす大和さん。そして口の端を吊り上げる。


「全ての人間に好かれる人間なんて存在しないさ。特に君のように、優しく正しい心を持った人間はどうしても注目される」


「……俺は只の偽善者。今回先輩を助けたのも気まぐれです」


 人を助ける行為。これは人間なら無くてはならないと思う。


 俺はそう思って生きてきた。けど、現実は違う。


 人は俺みたいな人間の事を『偽善』と呼び、その偽善を利用しようとするのだ。


「……伍堂君。君は君自身のその優しさを偽善だというが、彩乃は今回君の偽善に救われたんだよ?」


「――! そ、それは……」


 結果論だ。


 あの時、俺が助けなかったら酔っぱらいのおっさんに連れていかれていたかもしれないからで……。


「伍堂君にとって、彩乃を助ける行為にメリットはない。寧ろデメリットの方が大きい。多分伍堂君以外の人間ならそのまま無視していたと思うよ?」


「あの時は! ……シチュエーションがヤバかった、から……」


「考えてもみたまえ。道に人が倒れているとしよう。その倒れている人間を見た人は全員駆け寄るか? ――答えはNOだ。大多数はまずスマホを構えるだろうね」


 昨今、急速にSNSが普及し誰でもスマホを持ち手軽にネットワークサービスを受けられる。


 俺はSNSに詳しい訳じゃないが、ネットワーク上には事件の現場や倒れている無防備な人間を撮影しネットワーク上に投稿する輩もいる。


「伍堂君はね、困っている人がいたら直ぐに感情で動ける人間なんだよ。それも『良い感情』でね」


 もう日も暮れてきた。室内は電気を付けていないせいで徐々に暗くなっていっている。


 でも何故か、大和さんの柔らかな微笑は鮮明に俺の目に映る。


「そんな君にお願いだ。どうか彩乃の傍に居てやってくれ。これは君にしか頼めない」


 大和さんはこの家に来たときのように、深く頭を下げた。


 その姿は己の無力さを痛感しているようにも見えたのは気のせいだろうか。


「……分かりました。俺に何ができるかは分かりませんが……善処します」


「善処、か……。約束しない所も君の優しさなのかな?」


「只俺は確約するに値する自信がないだけですよ」


 大和さんは握手を求めるように俺に手を伸ばす。


 この手をとってしまうということが何を示しているのかは理解しているつもりだ。


「娘を頼むよ、伍堂政宗君」


 ◆


「長い間居座ってしまって悪いね」


「い、いえいえ! こちらこそこんなボロアパートで申し訳ないです」


 大和さんは懐かしむかのように、玄関から俺の住まいを眺める。


「……ふぅ。――では私はこれで失礼するよ」


「はい。お気を付けてお帰りください」


 俺はしっかり頭を下げる。招いたのはこちらだが、年上の方に対しての敬意はなくてはならない。


「――やっぱりいいな」


「え?」


 いい?


 何がいいと言うのか。この家に大和さんが気に入るような物はない筈だが……。


「伍堂――いや、政宗君。本格的に華ヶ咲に婿として来る気はないかい?」


「……………………はッッ!!??」


「やはり君は素晴らしい青年だ。政宗君が来てくれると華ヶ咲も安泰だ。君は僕みたいにはならないだろうから立派な当主になれるぞ!」


 お、俺が婿入り?


 でかい屋敷に俺が住む?


 ……考えられない。というか婿ということは――


「勿論、政宗君に彩乃の人生も任せたいと思っているよ僕は」


「――な、何言ってんすか! そんな事……ッ! てか先輩の気持ちはどうなるんですかッ!」


「彩乃の気持ち、ね……。それは心配しなくてもいいと思うが?」


 このいたずらっ子のような笑み。俺はこの笑みに似た笑みを知っている。


『そんな照れなくていいじゃないですか~っ!』


 あの小悪魔。柚木双葉と同類の笑みだ!


「――まぁ婿入りの件は追々ということで。……娘を頼んだよ」


「追々って……。まぁ、頑張ってみます」


 そして大和さんは去っていった。


 さて、これからどうしたものか……。


(俺一人の頭じゃキツいよな……)


 あいつに助太刀頼むか。……あのにたぁ~っとした笑みが目に浮かぶが。


「頼れる相手なんて……柚木しかいねぇしな」

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