第18話 夢

「さあ彩乃さん。あなたが習い事を長期間疎かにした事でやることがたくさん溜まっています。本当なら学校を休ませてでもやらせたい所ですが華ヶ咲の名前に傷がついてしまうので――」


 あーあ。


 何か目の前で沢山喋ってるけど全然頭に入ってこないや。


 まぁどうせ言っている事は同じような事だろうし別にいいか。


「ちょっと彩乃さん。ちゃんと聞いているのですか?」


「――はい。聞いています」


 政宗君の家に居たせいで自分の家がとても広く感じる。机もちゃぶ台じゃないし、隣から聞こえていた夫婦の怒鳴り声も聞こえない。


 第三者から見ればこっちの方がいい環境なのは一目瞭然。満場一致だ。


 でも……疲れるな。この空間。


「明日から学校が終わり次第直ぐに帰宅すること。――後、あの子とももう縁を切りなさい」


「なっ――! それはいくらなんでも」


「貴方の為です。あの子と関わって貴方に何の得があるというのです。……私は別にあの子を嫌っている訳ではありません。彩乃さんが華ヶ咲に相応しい淑女となる過程にあの子との付き合いは不要だと言っているだけ」


「そんな勝手に――!」


 周りを見ても誰も助けてはくれない。親しかったベンでさえこちらを見ないように下を向いている。


 私は多分いつまで経ってもこの人には逆らえない。逆らった所で何も変わらない。

 折角勇気を出して家を出たのに、結果を見ればこの通り。


「……わかり、ました」


「私は貴方の為を思って言っているのです。いつか貴方も分かりますよ」


 貴方の為、ね……。


「はい。分かりました」


 政宗君、ちゃんとご飯食べたかな。放っておくと直ぐに面倒くさがってご飯抜きとかにしちゃうから。


 あ、洗濯物もまだ畳んでないや。今日ご飯食べてからやるつもりだったから。……政宗君、ちゃんと畳むかな? また丸めただけでタンスに突っ込んだりしないよね。


(もし、普通の家に生まれていたなら……)


 こんな立派な家じゃなく、普通の、極々普通の家庭に生まれていたなら……どうなってたんだろ。


 自分のやりたい事をやって、勉強して、たまに親に叱られて。


 ――好きな男の子と恋愛して。


「手が止まっていますよ。早く食べなさい。さっそくですが今から一時間後にピアノの講師の方が来られるのでそのつもりで」


「……はい。分かりました」


 自分が想い描くifの世界。


 望めば望むほどにその夢の世界は遠くなっていく。


 私は結局、この人の人形になるしかないのだ。


「会いたいよ……政宗君……」


 ◆


 私が家に連れ戻された次の日。私は普通通りに学校へ向かう。


 学校なら政宗君と話せると思ったが、私のそんな浅い考えなどお母様にはお見通し。

 先ほどから後ろの方をチラチラしている人影。多分家の者だろう。


(あれさえどうにかすれば……!)


 ――とか何とか思っても中々上手くいかず時は既に放課後。


「……彩乃様? どうかなされたのですか?」


「――いえ。何でもないわ」


「何だか顔色が悪い気がするのですが……」


 自分では何とか笑顔を取り繕っていたつもりなんだけどな……。


「気のせいよ。私は大丈――」


 私は見逃さなかった。


 私を取り囲む人垣の隙間から見えた待ち人。政宗君の姿を。


「政――」


 その続きの言葉を何とか奥歯で噛み砕く。


 多分今この瞬間も私は監視されているだろう。そんな状況で政宗君とふれあってしまったら……。


 そんな考えが私の脳内を光の速さで駆け巡る。そして私の脳が弾き出した答えは――無視だった。


(ごめん……! 政宗君……!)


 私の中で行われた理性と感情の勝負は理性に軍配が上がった。


 そんな結果が出てしまった事が恥ずかったのかは分からないが、私は政宗君の方向を向けなかった。


「――そうだ彩乃様! 来週駅前に美味しいケーキ屋ができるそうですよ!」


「そ、そう。なら今度行ってみましょうか」


「……ッ! あっ彩乃様が私を誘ったッ!? ――はひゅぅ~~~」


 私に話しかけていた子は幸せそうな顔をして倒れる。そのせいでほぼ隙間の無かった人垣が崩れていく。


「……政宗君」


 政宗君が居た筈の場所には、もう人影は無かった。


 ◆


「――では彩乃様。ここまでです。後はしっかりと復習なさるようお願いしますね」


「……はい。ありがとうございました」


 お母様の言い付け通り、私は『自分の家』へと直帰し習い事を受けた。今日はお料理だ。


 料理ならもうあらかたマスターしているのに何でこんな事をやらないといけないのか。……というかこの先生一々小言が多いから苦手なんだよね。


「では私は帰りますね」


「はい。今日はありがとうございました。気を付けてお帰りください」


 先生は気持ち程度に頭を下げ厨房から出ていく。先生の姿が見えなくなったと同時に深いため息が私を包む。


「政宗君……今何やってるのかな……」


 政宗君が近くに居ない時間。直ぐに慣れる筈もなく頭に浮かぶのはあの凶悪な人相。


 でもその凶悪な人相の下にとても純真で真っ直ぐな顔を隠し持っている事を私は知っている。


「駄目だな私。もう完璧に攻略されちゃってるじゃない」


 今頃、双葉ちゃんと仲良くバイトしているのかな。……想像すると少し妬けちゃう。私もバイトしてみたいな。マストの制服可愛いし。


「私と双葉ちゃんがホールして……。政宗君が人を殺すような目で料理するの。私が料理でもいいけど多分政宗君にホールは無理だろうなぁ」


 誰に聞かせるでもない戯言を、シンクに腰掛け一人厨房で呟く。


 ストレスの多いこの家での生活。こうやって楽しい事を考えるくらいは許して欲しい。――考えれば考える程辛くなるけど。


「……さて。もうちょっとで晩御飯だし先にシャワーでも浴びちゃおうかな」


 その時、厨房の扉が開く。そこに立っていたのは、


「……ベン」


「お嬢。少しお話が」


 年中グラサンにスーツ姿のこの男。私が幼い時からいつも視界に入る近さにいる。


 おかげで私は友達作りにとても苦労した。


「何よ。言っておくけど私、あの時政宗君を床に押さえつけたのまだ許してないから。――いや、許すつもりもないわ」


「どうか許してほしいものです。あの時は仕事として仕方なくだったのですから。……たった今、あの少年にも詫びてきた所です」


「……ッ! たった今って……ッ!」


 ベンが政宗君に会った? 何の為に。


「話してみると中々良い男ですね。お嬢が気に入るのも分かります」


「ふ、ふん! ベン何かに政宗君の本当の良さなんか分かる訳ないじゃない!」


「いやいや。あの少年には今時珍しい程に真っ直ぐな芯がある。短い時間でしたが会話することで確信しました」


 ……何故だろう。政宗君が誉められているとすっごす嬉しくなる。


 若干にやつく私を尻目に、ベンはくいっとサングラスの位置を直す。


「それと……今現在あの少年の家には大和さんが居られます」


「――! な、何でパパが……!?」


「多分、私と同じ事を伝えに言ったのだと思いますよ」


「同じ? 同じって何よ?」


「ははっ。まぁそれは後日に……。――話は変わりますがお嬢。少しお耳に入れたい件がありまして」


 ベンは私に近より、私の耳元である事を囁く。


「……ッ! それって……ッ!」


「どうされますか、お嬢」


「……。――引き続き様子を見ておいて。こういう仕事得意でしょ?」


「まぁ、それが仕事みたいなものですからね」


 あぁっ!


 考える事が多過ぎてパンクしそう。


 あの件は今の私では動きにくいし……ベンを信じるしかなさそうね。


(それにしてもパパ……何しに政宗君の元へ行ってるんだろう?)

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