第10話 修羅場②

「ごめんね伍堂君? 我慢できなくて先にお風呂もらっちゃった」


 華ヶ咲先輩の髪は濡れており、昨日先輩に貸し出した俺の学校ジャージを纏っていた。


「い、いえ……。それは全然いいんですけど……」


 そう。

 そんな事はどうでもいい。今大事なのは――、


「そ れ で、どういう事なんですかマサ先輩」


「……これにはマリアナ海溝よりも深い訳がありまして……」


 この状況をどう柚木に説明するかである。


 別にこの家に華ヶ咲先輩がいようかいまいが柚木には何も関係ないので説明する必要はないと思うが……、


(そういう訳にもいかないよなぁ、だって滅茶苦茶機嫌悪いし)


 ボロいちゃぶ台を挟み柚木と華ヶ咲先輩は対面している。そして俺はそんな二人の中心に腰を下ろしている。


 これは……どうすればいいのか。

 眉間にシワを寄せ鬼の形相を浮かべる柚木に対し華ヶ咲先輩はいつも通りの余裕を感じさせる微笑を浮かべ柚木を見ている。


「――伍堂君」


「ッ! は、はい! ……何でしょうか?」


「彼女を連れてくるなら言ってくれれば良かったのに。私お邪魔でしょ?」


「は!? か、彼女? ――ち、違いますよ! こいつは只のバイト先の後輩で――」


 その時、バンッ!とちゃぶ台が叩かれる。


 おいこら後輩、壊れたらどうすんだ。


「か、かかか彼女ッ!!?? そんな訳ないでしょ! ……というかそのセリフは私のセリフですよ! あなたこそマサ先輩の女なんでしょうが!!」


 ズイっと身をのりだし華ヶ咲先輩の顔に迫る柚木。だが華ヶ咲先輩はまったく動じず変わらずの微笑のまま、


「違うよ? 私は伍堂君と同じ学校に通う先輩っていうだけでキミが思うような仲じゃないよ」


「そんなの信じられる訳ないじゃないですか!! だったら何でマサ先輩の家にいるんですか!? マサ先輩より前に家に居たっていうことはこの家の合鍵持ってるってことじゃないですかっ!!」


 そうだ! それだよ後輩!


 俺の家の鍵は俺が持っている鍵一つだ。スペアは無い。なのに何で先輩がこの家に入れているのか。


「それは俺も聞きたいです。もしかして鍵開いてました?」


「ううん、キッチリ閉まってたよ?」


「え、じゃあ先輩はどうやって……」


 俺がそう言うと先輩はごそごそとポケットを漁り……一つの鍵をちゃぶ台の上に置く。


「この鍵を使って普通に中に入ったんだよ」


 ちゃぶ台の上に置かれた鍵は確かに俺の持っている鍵の形状と酷似していた。


「……え、これどうしたんです?」


 その鍵を見せられて「ああ、成る程!」とはならない。寧ろ謎が深まった。


 そして先輩はすぅっと息を吸い、とんでもない事を口にする。


「作ったんだよ」


「…………はぃ?」


「だから、作ったんだよ。この家の鍵。まぁ結構費用は掛かったけど私のポケットマネーで何とかなるレベルだったから良かったよ」


 先輩の言っている事が理解できない。――いや、理解するのが恐いのかもしれない。


 鍵を作った? え、どゆこと?


「……色々と言いたいことはありますが、取り敢えずこの鍵は没収させてもらいます」


 俺はちゃぶ台上の鍵を取る。


「ちょ、ちょっと待ってよ! それが無いと私家に入れないじゃん!」


 違法な手段で作られた鍵が握られた俺の右手を先輩は掴む。


「いやいや、自分の家があるでしょうが。昨日は流れで泊めてしまいましたが今後は駄目です。ちゃんと自分の家に帰って家族と相談した方がいいと思います」


 俺が言っていることは間違っているのだろうか?


 ……いや、多分間違ってない。

 昨日起きたことはイレギュラーな事であって、先輩はしっかりと家族と話し合いをした方がいいのだ。


 少し冷たいかも知れないがこれも先輩の為。分かって欲しい。


「……じゃあ今日こそ駅まで――」


 そう言い立ち上がろうとすると、


「……待ってよ」


「何ですか? ほら、早く行きますよ」


 先輩は俺の右手を取ったまま動かない。顔を伏せている為先輩が今どんな表情を浮かべているのか分からないが、先ほどまで見せていたあの余裕のある微笑では無くなっている気がする。


「初めて、だったの。私にとってこの場所が初めて『家』だと感じられたの。今まで私にとって『家』っていうのは息苦しいだけの存在だと思ってた。……でも、ここは違ったの」


「……そう思ってもらえた事は素直に嬉しいですが……」


 それでも、先輩は家へ帰るべきだ。


 やっぱり何の関係もない男と女が一つ屋根の下で生活するのは違う気がするから。


 力ずくでも先輩を駅まで送ろうと決心したその時、くいっと俺の服の裾が引っ張られる。


「あ、あの! ……この人本当にマサ先輩の彼女じゃないんですか?」


「……だから最初から違うって言ってるだろ。この人は華ヶ咲彩乃先輩、うちの高校に通う先輩だ。――昨日は訳あってこの家に泊めたんだよ」


「泊めたって……、彼女でもない女の人をマサ先輩がですか……?」


「……ああ、そうだよ」


 俺がそう言うと柚木は先輩を見て何かを考える素振りを見せる。


 そして、俺の右手に重ねっている先輩の手の上から自分の手を重ねる。


「マサ先輩、私からもお願いします。この人を助けてあげてください」


「は!? い、いやお前さっきまで先輩がこの家に居たことに対して怒ってたろうが! なのに何で……」


「勘違いしないで下さい。私は今でもその人をマサ先輩の家に泊めるのは反対です。――でも、その人はヤンキーのマサ先輩に頼るしかない程今とても困っているようですし」


 柚木の言葉に先輩は顔を上げる。その顔には色々な感情が入り乱れていた。


「……いいの? 見た所柚木ちゃん、伍堂君の事――」


「ちょっ、それは華ヶ咲さんの勘違いですよ! 私はこのヤンキーの事なんかどうでもいいですから!」


 二人の会話を一歩引いて見ている俺。


 考えてもみれば、この家の鍵をわざわざ作る程に先輩は家に帰りたくないということだ。

 こんな家で先輩に考える時間を与えられるのであれば、この家に泊めてあげる事が優しさ……なのか?


「――で、どうするんですかマサ先輩! 華ヶ咲先輩をここに泊めるのか叩き出すのか、どっちにするんです?」


 柚木の鋭い目と、先輩の捨て猫のような目が俺の目を捉えて離さない。

 ……こんなの叩き出すとかいえないな。


「……分かりましたよ。先輩に考える時間を与えるという意味で、しばらく先輩をこの家で預かります」


「――ッ! い、いいの!?」


 先輩の顔がぱぁっと晴れる。

 やっぱりこの人はこんな顔の方がいい。


「世間的にいえば良くないと思いますが、しょうがないので――」


 ――刹那、俺の視界が真っ暗になる。


 そしてフワッと女の子の香りが俺の鼻腔をくすぐり、その香りはやがて体全体へと行き渡る。


 ついでにムギュっという柔らかな感触が顔面に伝わる。


「ありがとう伍堂君っ!! 君はやっぱりいい人だな!!」


「ちょ、ちょっと華ヶ咲さん! 確かにここに泊まることは許可しましたけど体の密着は許してないです!! 離れろ~~っ!!」


「柚木ちゃんは彼女じゃないんでしょ? じゃあ伍堂君に私が密着してもいいじゃない」


「……ッ! 言い返せない……! ――でもダメなものはダメなんです!!」


(くっ苦しい……! ――でも悪くない)


 先輩と柚木がギャーギャー言い争っている声が聞こえてくる。

 はぁ、本当にこれでも良かったのだろうか。


「じゃあ伍堂君、今日も一緒に寝るということでいいな?」


「はぁ~~~っ!!?? ちょっとマサ先輩! 『今日も』ってどういうことですか!

 」


 柚木は先輩の体から俺を引き剥がし、俺の胸ぐらを掴み激しく前後に揺さぶる。まるでヤンキーだ。


「仕方なかったんだよ! だってこの家に予備の布団なんかないし」


「そうだよ柚木ちゃん。仕方なかったんだよ」


 柚木は俺を壁際へ投げ飛ばすと、


「――私の目が黒いうちはマサ先輩に不純異性交遊なんてさせません! かくなるうえは……ッ!」


 柚木はちゃぶ台に飛び乗る。そして無い胸を目一杯張り――。






「――今夜は私も泊まります!! キャッキャウフフな展開にはさせません!!」


 ……うそーん。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る