第11話 お泊まり

「マサ先輩ー、ここ分かります?」


「ん? ……ああ、ここはだな――」


 大きな嵐が来た後は晴れ間が覗くように、我が伍堂家にもゆったりとした時間が流れていた。


 ちゃぶ台の上には教科書やら問題集やらが鎮座しており、台所からは空きっ腹を刺激する匂いが漂う。


 先ほどまで荒れに荒れていたこの場所も今ではすっかり元通りになり、柚木がここに来た本来の目的であるテスト勉強を俺は一緒にやっていた。


 ちゃぶ台が小さいので柚木との距離が近い。俺のすぐ前方からは「あぁ~~っ」やら「うぅ~~っ」などのうめき声が聞こえてくる。


「――なるほど! マサ先輩ってヤンキーのくせに頭いいんですね」


「だから俺はヤンキーじゃないっての。というかこの程度の問題くらい解けないとヤバいんじゃないか? これ基本問題だぞ」


「そうなんですよねー、昔から理数系は本当にムリなんですよ私」


「理数系はとにかく仕組みを理解していかないといけないからな。……まあ俺も理数系苦手だけど」


 一応俺の成績は学年で上位30位に入るか入らないか程度だ。


 一部では先生からテスト前に問題を脅し取っているのではないかという疑いを俺は掛けられているらしい。

 全く持って心外である。


「そういや柚木よ、お前本当にここに泊まるのか?」


「……私がいたら何か出来ない事でもあるですか」


「違げぇよ、本当にここに泊まるのであれば俺はもう何も言わない。……言っても無駄だろうし。俺が言いたいのは泊まるならちゃんと親に連絡しとけって事だよ」


 流石に全てを詳細に話されると俺も困るのでいい感じにはぐらかしてもらいたいが。


「それならもうパパに連絡済みですよ。――あ、ちゃんと友達の家に泊まるって言いましたから安心して下さい!」


「まぁ、それならいいんだけどさ……。柚木は結構友達の家とかに泊まるのか?」


「滅多にお泊まりなんてやらないですよ。だからパパ凄く疑ってましたね。『あのマサ先輩とかいう男の家じゃないだろうなぁ』って」


「はっ!? 何で柚木のパパさんが俺の名前知ってんだ!?」


 柚木の様子を見にマストに来たりしてたんだろうか……。

 でも柚木はそんな事一言もいってなかった筈だし……。


「私が家でよくマサ先輩の話しますからね、その度にパパのおでこに血管が浮き出るんですよ。『俺のマイエンジェルに……ッ!!』的な感じで」


「……俺は一生柚木のパパさんに会えないな」


「えー、それは困りますよ。だっていずれ――」


 シャーペンを口元にやり何かをぼーっと考える柚木。――と思ったら一瞬にして顔がボッと赤くなる。


「――ッ! ……な、何でもないです。忘れてください」


「……何だよ。何かあるならちゃんと言えよ」


 何だというんだ全く。俺の人生の中でも柚木という存在は一緒にいる時間が長い人間だ。


 でもこうして時々よく分からない反応をするのでとても困る。


「ねぇ伍堂君ー、塩コショウってどこにあるの?」


 顔が完熟トマトになった柚木の後ろにある引き戸が開かれ、ピンクの可愛らしいエプロンを着けた先輩が現れる。


 先輩はどちらかというと「可愛い」より「美しい」が合うと思っていたが、やはり先輩自身の素材がいいのかピンクのエプロンも様になっていた。


「そこの戸棚に有りますよ。というかそのエプロンどうしたんです?」


「これ? 食材買いに行ったついでに一目惚れで買ったんだよ。どう? 似合う?」


 その場でくるっと回る先輩。


「え、と。……はい、とてもよくお似合いです」


「うふふ、そう。それなら良かったわ」


 くそ……! やっぱりこの人といると調子が狂う。もしかしたらこの先輩と俺は人間的に合わないのかもしれない。

 ――いや、人間のランクは月とすっぽんだけどさ。


「……買い物行ってくれたんですよね。幾らでした?」


「え? いいよ伍堂君。ここに居候させてもらってる対価だと思ってくれれば」


「いやでも……」


 正直に言えばこの一食だけでも食費が浮くのはとても助かる。

 この家に泊める対価だと思えば受けとるのが当然だし、俺が素直に受け取った方が先輩も困らずに済む。


 ……でも、なんだかな……。


「ねぇ伍堂君」


「――ぇ……ッッ!!」


 先輩の俺を呼ぶ声によって俺の意識は思考の濁流から抜け出し現実世界へと帰還する。


 すると、俺の眼前に広がるのはほぼゼロ距離に迫った先輩の綺麗な顔だった。

 桜色の薄い唇から発される息遣いが肌感覚で感じられる。


「君の優しさは長所だと思うけどさ、時にはその優しさも短所になるんだよ。私から君にしてあげられることはこのくらいしかないんだから、ね?」


「う、……うす。分かり、ました」


 近い近い近い近い近い近い近い!!


 本ッ当にこの先輩のパーソナルスペースはどうなってるんだ!


「むーーー。……ちょっとマサ先輩。私分からない所あるんですけど」


「え。――あ、ああ! どこだ!? どんな問題でも答えてやるぞ!!」


「……何でそんなに慌ててるんですか」


 冷静さを取り戻す為にわざと大きめな声で叫んだのが気に入らなかったのか、柚木はジト目で俺を見る。


「ふふっ、はいはい。二人ともそろそろ机の上片付けてね。そろそろ出来上がるからさ」


「わっかりましたっ! ほら柚木! 早く机の上を片付けろ」


「……はーい、わかりましたー」


 学校の奴らのお陰で蔑みの目や怯えられる目は慣れたのだが、如何せん柚木のジト目は慣れない。


 柚木のジト目は本当に「ジ〰️〰️」と効果音が聞こえる程のジト目なのだ。


(本当、その目は止めてほしい……)


 ◆


「さ、食べようか二人とも」


「「……ヤバ」」


 珍しく俺と柚木の声が合う。


 それもその筈、古びたちゃぶ台には相応しくない程の豪華な食事が目の前に並んでいるからだ。

 どこかのグルメリポーターが「食の宝石箱や~!」とか何とか言っていたのを思い出す。


「どしたの、二人とも」


「い、いや。華ヶ咲先輩ってもしかして何でもこなせちゃうようなチートキャラだったりします?」


「彩乃でいいよ柚木ちゃん。……そのチートキャラっていうのがよく分からないけどこのくらい女子なら普通じゃない?」


 先輩の放ったその言葉が、柚木の胸にグサッッ!! と刺さり息絶える音が隣から聞こえる。


 まぁ確かに柚木の料理スキルはバラメーターの底辺を突き破る程に壊滅的だからな。


 マストなどのファミリーレストランの料理は全て定型化されている。だから手順を間違わない限り絶対に不味い物は出来ない。


 ――だが、この柚木という存在はその概念をぶち壊した人間だ。


「ま、まあ元気だせよ柚木! これから頑張ればいいんだから」


「うぅっ……もう立ち上がれないかも知れません……」


「……? 何だか分からないけど食べないの二人とも。早く食べないと冷めちゃうよ」


 先輩はそう言い黄金色に輝く唐揚げを一つ口に放り込む。


 揚げ物を食べた時に発生する心地よい音が部屋に響く。


「で、ではいただきます……」


 何時ぶりだろうか、揚げたてのから揚げを食べるのは。


 ――いや、それよりこんな風に大勢で食卓を囲む方が稀か。


 俺はから揚げを箸で掴み……口に放り込む。


「……旨い」


「ふふっ、よかった。どんどん食べてね」


 旨い、旨いし温かい。


 揚げたてのから揚げがこんなに温かいなんて知らなかった。

 から揚げが乗っている大皿と俺の口の間を行き来する箸の動きが止まらない。


「……ヤバいよ、ヤバいよ双葉。マサ先輩がこのままじゃ年上お姉さんに取られちゃうよ。何か手を打たないと……」


(何言ってんだ? こいつ)


 ぶつぶつと何かを唱える声を俺の耳が捉える。


 ……が、まぁいいか。今は先輩の料理を堪能することにしよう。


「いっぱい食べてね、伍堂君」


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