第9話 修羅場

「マサ先輩って1人暮らしなんでしたっけ?」


「ああ。1人で暮らすようになってから結構経つな」


 バイト先のマストがある繁華街から場面は変わり、閑静な住宅街を俺と柚子は隣あって歩く。

 1人でこの道を通ることが当たり前だったから隣に人がいるのは変な感じだ。


「いーなー。私も早く家出たいです」


「やめといた方がいいぞ。一人暮らしを経験してないからそんな事が言えるんだ」


 1人暮らしをやったことがない人は1人暮らしへの憧れが強い。


 そんな君に考えて欲しい。自分が暮らす家に自分1人しかいないのだ。

 自分が動かないと飯も食えないしゴミは溜まっていく一方。


 1人暮らしが長い俺からしてみれば柚木の甘い考えが理解できない。


「うーん……。でも私はやっぱり早く自立したいです! 家にいるとパパがうるさいんですよね~、やれ『スカートが短い』だの『メイクが濃い』だの……ホンと最悪ですよっ!」


「ま、まぁお父さんからしてみれば可愛い娘なんだからそれくらい許してやれよ。……羨ましいな」


 柚木の話を聞くかぎり柚木パパは本当に娘を大切に思ってるんだろう。


 俺にはそんな風に思ってくれる人がいない。だから死ぬほど羨ましい。


「? 何か言いました?」


「――ん? ……いや、何でもない。それよりほら、あそこだぞ、俺の家」


 俺は見えてきたボロアパートを指差す。そしてちらっとあの電柱に視線を滑らせる。


 ……先輩はやはりいなかった。まぁ当然か。


「え? どれです?」


「あれだよあれ。あのボロいアパートだ」


 柚木はきょろきょろと目線を動かし――うわぁ、というのがモロに出た表情を浮かべる。


 ……うん、まぁそうだよね。引くよね普通。でもあの家滅茶苦茶家賃安いんだよ。


「……え、あれっすか?」


「あれっすよ」


「……中々個性的なお家ですね、マサ先輩」


 分厚いオブラートに包んでくれてありがとう後輩。先輩は嬉しいよ。


「だろ? あんな個性に溢れた家は他にはないぞ」


「……ごめんなさい。私は別に嫌みを言った訳じゃ――」


「……言うな。悲しくなる」


 やはり俺の家の外観は今をときめく女子高生には受け入れられなかったらしい。


 でも華ヶ咲先輩は何も言わなかったな……。柚子よりもいい家に住んでる筈なのに。


「ま、まぁ勉強するだけですし! 外観はこんなでも中は綺麗なんですよね?」


(こんなって……。ちょっと本音出てんぞ後輩)


「あ、ああ。中は毎日掃除してるから綺麗な筈だぞ」


「じゃあ何も問題ありませんね! では参りましょう!」


 ふんすっ、といった様子で歩を進める柚木。


 そんな柚木の背中を見て俺は思う事がある。


「……ずっと気になってたんだが、今の女子高生はそんな簡単に男の家に入れるんだな」


「えっ?」


 柚木は歩を止め振り返る。


「いや、だから結構簡単に男の家に入れるんだなと思ってな。よく行くのか男の家」


 俺の考えが古いのか童貞を拗らせているのかは知らないが、もうちょっと男の家に行くのを躊躇ってもいいのではないか。


 まあ柚木の外見は普通に男子にモテそうな容姿だし男の家によく行くと言われても納得いくが……。


「――なっ何言ってるんですか! そ、そんな訳ないでしょ!?」


 閑静な住宅街に柚木の怒鳴り声が響く。


「うおっ! ……そんな怒らなくても」


「怒りますよ! その言い方だとまるで私が『男の家に泊まりまくる品の無い女』みたいじゃないですか!」


「だって恥じらいとか何もなく俺の家にいこうとするから慣れているのかと……」


 顔を真っ赤にして怒る柚木。ずんずんとアスファルトを踏みしめながらこちらに向かってくる様は滅茶苦茶迫力がある。


「私はこれでも心臓バックバクなんですよ!? 今日もすっごい勇気振り絞って絞って絞りまくってここまで来てるんですからね!?」


 あまりの大声に近くの家のカーテンが捲られ、子供の目がこちらを向いている。

 ごめんね、うるさくて。


「わ、分かったから! 俺の家もうそこなんだから取り敢えず行こうぜ」


「……分かりました。でも私は品の無い女じゃないですからね! そこんとこはよろしくお願いしますよ!」


「はいはい……。いいから行くぞ」


 子供の純真な目から逃げるように、早足で家へと向かう。

 全く……あそこまで怒るかね。


 怒り心頭といった様子の柚木を連れ、俺は家の前に到着する。

 今日も変わらず隣の家の夫婦は喧嘩しているようで外まで言い争いをしている声が漏れている。


「すごいですね……。いつもこんな中過ごしてるんですか?」


「ああ、今日はまだマシな方だぞ。酷い時はガラスが割れる音がするからな」


「それ大丈夫なんですか……」


 隣に住む夫婦の怒鳴り声はもう生活音の一部と化している。なんならこの声が聞こえなくなったら俺は多分警察に通報するレベル。


(鍵は……と、――ん?)


 ポケットから鍵を取り出し鍵穴に差し込む所で俺の動きが止まる。


[ジャー…………ジャー…………]


 家の中から台所の蛇口から水の出ている音がする。あれ? もしかして水出しっぱなしで家を出てしまったのか?


 確かに今日の朝は華ヶ咲先輩がいたからいつもよりバタバタしていたが……。


「あのー……、どうかしたんですか?」


 いきなり固まった俺を心配してか、俺の背中をつんつんとつつく柚木。


「いや、何でもない……」


「は、はあ。じゃあ早く開けてくださいよ」


 俺は固まった手を動かし鍵を鍵穴へと差し込む。そして解錠する方向へと捻る。


(……あれ)


 俺はある違和感を覚える。


 あの感覚と音がないのだ。鍵を開けた時に感じる指先に伝わる感触と解錠したことを表すあのガチャッという音。


(おかしい……確かに俺は鍵を閉めたはず……)


 今日の朝を思い起こす。――うん、確かに閉めている。なのに何で開いてるんだ? 意味がわからない。


「マサ先輩? 入らないんですか?」


「――え? あ、ああ! ど、どうぞ」


 ……気持ち悪いが鍵が開いてるということは俺が閉め忘れたということだ。

 それ以外にないんだからしょうがない。


「お邪魔しまーす。――おお、中は結構普通ですね~」


 柚木は玄関にある女性用学生靴の横にきちっと自分の靴を揃えきょろきょろとしながら中へと入る。


「特に面白いもんは無いぞ。何か温かいもの持っていくから先に居間へ行っててくれ」


 俺は灯りのついている居間を指差す。


「あいあいさ~」


 ガララっと居間の横開きの扉を開け柚木は中へと入る。





 ――あれ?


 何で誰もいない筈の居間の電気が点いてるの?


 何でこの家に存在しない筈の女性用学生靴が玄関にあるの?


 ……何で?


「――って!! まさかッッッ!!!」


 俺は体中のバネを使い居間の方を振り返る。


 ――刹那、ガララッッッ! という荒々しい音と共に、般若を携えた柚木か現れる。


「――先輩、どういうことですか」


 柚木a.k.a般若の後ろへ目線を送ると、


「お帰り、伍堂君」


「……ただい、ま」


 なるほどね、こういうことか。


 目の前に降臨されているのは目のハイライトを消し絶対零度の視線で俺を貫く柚木。


 その後ろには柚木の氷を全て溶かすような温かな笑みを振りまく華ヶ咲先輩。


 ――さて、逃げるか。

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