第5話 初夜
カチッ……カチッ……と時計の秒針が暗くなった部屋に響く。
いつもの夜では全く気にならないのに今夜だけはやけに音が大きく感じる。
うちのボロアパートには部屋が2つしかない。1つはテレビやちゃぶ台が置いてある所謂リビングという場所。
そしてもう1つの部屋を俺はいつも寝室として使っている。本当に寝るだけの空間で、朝に鳴り響く目覚まし時計と布団しかこの部屋にはない……はずだったんだどなぁ。
「そっちちゃんと布団被ってる?」
「え!? あ、はい! 大丈夫です」
――今夜だけはこの殺風景な部屋に彩りがあった。
はあー、本当に何でこんなことに……。
(しかもこれ1人用の敷き布団だから背中当たるんだよなぁ)
今俺たちは 背中合わせで横になっている。さっきから首筋に先輩の髪が触れ少し痒い。
だが体勢を変えると色んな所に触れてしまいそうになる為不用意に動けない。
学校中から嫌われた俺が得たものは何事にも動じない強靭な精神力だと俺は思っている。
仕事しろよッ!! 俺の精神力!!
「……いやー、人生何が起きるか分からないもんだね本当」
悶々する気持ちを心の中で呟く独り言で押し潰していた矢先、先輩のか細い声が俺の耳に届く。
「そう思ってるのはこっちも同じですよ」
「あはは、そりゃそうか。もし伍堂君が拾ってくれなかったら今頃私は知らないおじさんとベッドインしてたのかもね」
「現状はあまり変わりませんよ。だって先輩今日初めて会った男の家に上がって同じ布団で寝てるんですから」
「……それもそうだね。おじさんがヤンキーに変わっただけか」
(ヤンキーて、まぁ言われ慣れてるからいいけど)
やはり先輩も表面上では余裕そうに見せていても俺を怖がっているのだろうか。
……多分そうに違いないよな。俺を怖がらないうちの高校の生徒はいない。
その言葉を最後に俺たちの間に会話が交わされることは無かった。
俺は勿論眠れないが先輩は多分もう眠ってしまったのだろう。……絶対に振り返れないが。
(そろそろ俺も寝なきゃな……。明日も学校だし)
先輩との会話が終わってから体感で一時間くらい経っていると思う。だとすれば結構ないい時間だ。
俺は寝ようと目を瞑る。そのまま思考を停止し眠りに堕ちようとするが頭に浮かんでくるのはみかんの段ボールに入った華ヶ咲先輩だ。
俺の家に来てからは俺をからかい遊んでいたが、あの段ボールに入っていた華ヶ咲先輩の表情はとても暗かった。
――まるで、この世の全てを憎んでいるような。
「――ねぇ、まだ起きてる?」
不意を突かれ思わず俺の尻が先輩に当たる。
「っと……。まだ起きてるんだね」
「す、すいません! ……えっと、何でしょうか?」
すぅっと先輩が多めに息を吸い込んだ音が聞こえる。
「私が、さ。何であそこに居たのかを話そうと思って」
その言葉に思わず俺は先輩の方を振り返ってしまう。
当然俺の視界に映るのは先輩の背中――のはずだったのだが、
「……あ、こっち向いた」
「――ッッ!! な、何でこっち向いてるんですか!?」
反射的に俺はもう一度先輩に背を向けようと回転するが、俺の肩に先輩の手が置かれそれを阻止する。
(何……ッ! だか所詮女の力――)
と、思ったが俺の体はピクリとも動かない。先輩は自分の方に抱き寄せる感じで逃げようとする俺を片手だけの力で対応。
「中々……ッ、力強いですね……!」
「ふふっ、用は力の使い方だよ。合気道もやってたから少しは格闘技できるんだ私」
1人用の敷き布団。只でさえ距離が近いのに先輩と俺の距離は初めより確実に縮まっている。
ナニコレ、やっぱりビッチだろこの女!
「で、話題を戻すけどさ。私があそこに居た理由だけどさ……」
俺は観念して体の力を抜く。それを先輩も感じ取ったのか力を緩めていく。
「まぁ単純に言えば普通に家出だね。その理由なんだけどさ――面倒くさくなったんだよね、全部」
「め、面倒? 何が面倒になったんです?」
先輩はずっと俺の方を向いていたが、俺の言葉の後に俺から目線を外し横向きから仰向きになる。
そして左手を天井へと伸ばす。
「私の家って所謂名の知れた名家じゃない? だから色々とやらされるんだよ。やりたくもない社交術や女としてのレベルを上げる為に料理生け花茶道……本当に嫌だったんだ。そんな日常に」
今までのことを噛み締めるように、先輩はぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「でさ、思ったわけ。『もうどうでもいいや』って。今まで華ヶ咲の名前に泥を塗らないように必死に取り繕って生きてきた私だけどもう限界。だから私は家を出たの。前々から家出がちだったけど今回はもう帰らないつもりだよ」
「帰らないって……。じゃあ何であの場所に居たんです? しかも段ボールの中に」
「場所に至っては特に理由は無いよ。でも段ボールに入ってたのはちゃんとした理由があるよ?」
「……何です? それ」
「定番じゃない? 捨て猫がみかんの段ボールに入ってるのって。だからあれを真似したらだれか拾ってくれるかなって考えてあの段ボールに入ってたんだよ」
先輩には悪いがとても頭の悪い理由だった。
何だそれ。……ということは俺はまんまとハマったのか罠に。
「そしたらこれまた定番。ヤンキーが捨てJKを拾ったではありませんか!」
「捨てJKって……。まぁ捨て猫だったら漫画でよくあるパターンですけどね。……でも良かったですよ」
「良かった? 何がさ?」
先輩は仰向けのまま顔だけこちらに向けてくる。何だか俺だけ先輩の方に体が横向きなのは恥ずかしいので俺も先輩を見習い仰向けになる。
「良かったというか……。俺はてっきりもっとヤバいやつかと」
「ヤバいやつって?」
「……か、家庭内暴力、とか」
――2秒後、隣から堪えきれなくなった様子の先輩から笑い声が聞こえる。
「――ぷっ、あはははは!! わ、私が家庭内暴力を受けてると思ったの君は! あーお腹痛い」
「そ、そんなに笑わなくてもいいでしょ! 俺結構心配して――」
先輩に爆笑され、何だか恥ずかしくなった俺は文句を浴びせる……が、俺の忙しなく動く唇に先輩の人差し指の指先が乗っかり唇の動きを妨害する。
「ありがとね、心配してくれて。でもそんな大層なもんじゃないよ。只私の我が儘で家出しただけだから。というか私の実家で私に気軽に話しかけてくる人なんてそうはいないしね。勿論、学校内でも。……だから、さ」
先輩は俺の唇から人差し指を引く。そして俺の唇に触れていた指先をそのままゆっくりと自分の唇に押し当てる。
「――伍堂君だけだよ? 私のこんな一面知ってるの」
「――ッ!」
刹那、窓から少しだけ月の光が差し込み先輩の顔下半分だけが照らされる。
人差し指はしっかりと唇に当てられ、頬は赤らんでいた。
段々と目も闇に慣れていく。先輩の顔上半分を正確に確認した訳では無いが、先輩の目は年の差を感じさせるような、そんな優しい目をしている……ように見えた。
「よしっ、じゃあ私寝るね! おやすみ」
「……え、あ、はい。おやすみ、なさい……」
数秒後、先輩の寝息が聞こえてくる。どうやら本当に寝たみたいだ。
(………………俺も、寝るか)
時計を見ればもう深夜だ。早く寝なければ明日に差し支える。
俺への警戒心が全くないのか先輩は割りと無防備の状態だ。襲われたらどうするのか。
(――俺の事も、言わなきゃな)
そう思った瞬間、俺の意識は深く堕ちていった。
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