第3話 胸の内

「ふぅ、ご馳走さま。美味しかったよ」


「お粗末様です。まさかカップ麺一つでここまで喜んで貰えるとは思いませんでしたよ」


「私の夢の一つだったからね。カップ麺食べるの」


 お腹が空いていたのか夢だったカップ麺を食べられた事が嬉しかったのか、先輩はカップ麺の汁まで飲み干し完食した。

 何となく女の子はラーメンとかそういったガッツリ系の食べ物とは縁遠い存在だと思っていたがそういう訳でもないらしい。


 先輩の強張っていた表情も、カップ麺を食べてからというものすっかり力みが取れ自然体の表情になっている。


「えっと、伍堂君……だっけ。改めて拾ってくれてありがとうね。伍堂君が拾ってくれなかったら私どうなっていたことやら」


「まぁ流石にあのまま無視して行くのは少し心が痛んだんで……」


 もしあのまま先輩が酔っぱらいに連れていかれていたと想像すると……ゾッとする。


「伍堂君はうちの高校の生徒なんだよね? じゃあ私のことも――」


「勿論知ってますよ。華ヶ咲彩乃先輩ですよね? うちの高校の生徒で知らない人間はいませんよ」


「あはは、やっぱりそうか。私は有名人だからね」


 そう笑いながら先輩は大きく腕を伸ばし「う~んっ」と伸びる。

 自己主張の強い大きな双丘が艶かしく揺れるので止めてもらいたい所である。……眼福眼福。


「でも君も私に負けない程の有名人じゃない」


「……やっぱ知ってましたか」


「最初に顔見ただけじゃ分からなかったけど名前を聞いたら流石にね。聞く噂はあまりいいものじゃなかったけど」


「……」


 高校入学時、俺はある面倒事に巻き込まれた。今思えばあんなのほっといたらよかったのだが当時の俺は薄っぺらな正義感で面倒事の渦中に突っ込んでいったのだ。


 結果は一目瞭然。この通りだ。


「……駅くらいまでなら送りますよ。また酔っぱらいとかに絡まれたらいけませんからね」


「え? 何で? 私家に帰りたくないって伍堂君に言ったよね?」


 はぃ? と頭にクエスチョンマークを浮かべる先輩。……いやいや、このままという訳にもいかんでしょうが。


「俺は『一時的に』と言ったんです。今の先輩は元気そうですし。――何より怖いでしょ? 俺と居るの」


 あの出来事がきっかけで俺は全校生徒から恐怖の対象として見られている。その件についてはもうどうでもいい。最近は結構慣れてきたし。


 先輩も俺の事を知っていたのなら当然他の生徒と同様怖がっているに違いない。

 今日初めて話した人だが何となく悪い人ではないと思う。そんな人のストレスにはなりたくない。


「さあそろそろ行きましょう。まだこの時間なら電車も動いてますから」


 立ち上がり制服のブレザーを羽織る。


 その時、ちょこんとブレザーの裾が引っ張られる感覚。


「……何ですか先輩、行きますよ」


 膝立ちのまま下から先輩は俺の顔を見上げる。その顔は何だか怒っているようだった。


「何それ? 伍堂君がいると私が怖がる? ――そんな訳ないでしょ。確かに君の顔付きや目付きは一般的には中々迫力のある部類だけどそれだけでしょ? そんな外見だけの判断で私が君を怖がる訳ない」


「いや、でも俺の噂を知ってるって」


「勿論知ってるわよ。でも私は直接その場を見た訳じゃない。私はね伍堂君、直接この目で見た出来事しか信じないの。あの写真が本物だったとしてもそこに至る経緯を私は見てない。だから私は君を他の人達みたいに怖がらないし何より――」


 先輩は膝立ちからすっと立ち上がる。年上のお姉さんだからだろうか。先輩と俺の背丈は少し俺が高いくらいでそんなに変わらなかった。


 先輩の顔が近い。さっきまでカップ麺にがっついていた人とは思えない程いい匂いがする。


 細く長い指が俺の頬に当たる。そしてそのまま撫でられ顎の下でストップ。


「――現時点での君は、私が怖がる要素は一つもないわよ」


 メドゥーサに見られた人間? 蛇に睨まれた蛙?


 そんな風にしっかりと先輩の大きな瞳に捉えられた俺の目付きの悪い目は視線が逸らせなくなり、やがて体もピキンと固まり動けなくなる。


「え、あ、う、……え?」


 口から出てくる言葉はとても高校生とは思えない程に成り立っていない。

 でも仕方ないだろう! 学校1の美少女に猫のように顎の下を撫でられたらこうなるって!


「だからさ、取り敢えず今日はここに泊めてよ。結構気に入っちゃったここ」


「……先輩みたいな方が気に入る要素はないと思いますが……。一応聞いときますがどっかのビジネスホテルとかに行くっていうのは――」


「ないね。宿泊代勿体ないじゃん」


 金なら腐るほど持ってんだろッ!!


 ――と、言いそうになるがその言葉は何とか喉元で抑えることに成功する。

 ……はあ、もう何言っても聞きそうにないなこの家出お嬢様は。


「……今夜だけですよ」


「やった! じゃあ一晩お世話になりまーす」


 ため息をつきながら俺はその場に座り込む。


 さて、これからどうしたものか。当然俺の家に来るような人間は存在していないので俺の家には俺が生活できる必要最低限の物しかない。


 寝間着はまあ俺のジャージとかで我慢して貰うとして問題は……、


「ねぇ、私体冷えちゃったからお風呂入りたいんだけど……いいかな?」


 ……そうだった。それも問題だった。


 え? こういう時って普通の男はどういう感じでいればいいの?

 勿論うちの小さい風呂でいいなら全然使ってもらっていいし、一応毎週掃除してるから清潔な方だと思うが……。


「え、あ、はい! どうぞごゆっくり。風呂はそこを右に曲がった所にあるんで」


「分かったわ。後伍堂君のでいいから何か服貸してくれない? 流石に制服のままはちょっと……」


「俺の学校指定ジャージで良ければ」


「うん、それでいいわ。じゃあお風呂借りるわね」


 自分でも動きがロボット化しているのが分かる。そんなロボット政宗はタンスからジャージを取り出し先輩に手渡す。


 そして先輩は俺のジャージを手に浴室へと消えていく。――数秒後、ピチャピチャというシャワーのお湯が浴室の床を鳴らす音が聞こえてくる。


「意識するなっていう方が無理だよこんなの……」


 男としての本能を何とか抑える為に俺は必死に部屋の清掃に力を入れるのであった。

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