『韓国 行き過ぎた資本主義――「無限競争社会」の苦悩――』を読んで
タオ・タシ
『韓国 行き過ぎた資本主義――「無限競争社会」の苦悩』を読んで
板子一枚下は地獄よと恐れられた海。その向こうの半島には、文字通りの生き地獄、「ヘル朝鮮」が存在していた――
韓国関連だと今はGSOMIAが旬な話題ですが、本書は外交と国防ではなく、内政関連にスポットを当てた内容です。
著者は韓国の大学を卒業後日本の大学で修士課程を修了し、現在はフリージャーナリストの方です。記述は感情を抑え、データを駆使して韓国の内情を炙り出しています。
文中に頻出する金額は、ほぼウォン表記。0.09を掛ければ日本円に変換できます。ネットで調べた限りでは、ソウルと東京の物価はさほど変わらない様子です。
なお、掲載されているデータは全て出典が併記されています。ゆえに文章は流れるようなというわけにはいかず、目が滑るかもしれません。「データの羅列された文章なんて読みたくない」という方もいるでしょう。そういう方は、第1章「過酷な受験競争とテチドンキッズ」だけでも読んでみてください。想像を絶する重圧がかの国の未成年に圧し掛かっていることが分かるでしょう。
「賢い人は偉い人」という価値観の国である韓国は、「大卒にあらずんば人に非ず」と形容できるほどの学歴偏重社会です。その中でも最優たるTOP5(昔はTOP3だったように記憶していますが)の大学に進学するためには、より良い高校に進学せねばなりません。そのために、かの国の小・中学生は寝る間も惜しんで、親との触れ合いの時間もほぼ持つことなく、勉学に励み、あるいは追い立てられます。そしてそのための出費も保護者を苦しめていることが分かります。
無事に大学進学できても、まだ地獄は続きます。かの国の若者失業率は9.5%。ノムヒョン元大統領が大学を増やした結果、大卒の肩書きを持つ韓国人があふれ、就職難となりました。ゆえにほかの資格を獲得して、他者と差をつけるための戦いが始まります。これまでと同じく、多額のお金がかかることは言うまでもありません。第2章「厳しさを増す若者就職事情」はそんな大学生たちの苦闘のレポートです。
苦闘を制して首尾よく一流企業や外資系企業に就職できたとしても、まだまだ地獄から抜け出すことはできません。そこで待っているのは、全社員との昇進競争と、40代にしてすでに対象となるリストラの恐怖です。制度上は60歳定年ですが、韓国企業は能力が無いとみなした社員に対して容赦なく「肩叩き」をするのです。第3章「職場でも家庭でも崖っぷちの中年世代」では、会社での不断のプレッシャーに加えて、第1章と第2章で見てきた加熱一方の教育熱に伴う出費及び家族との別居に翻弄される中高年の苦悶が描かれます。
そして中途あるいは定年退職したかの国の人々にとって、リタイア後もまた地獄です。経済成長一本槍に国力を投入してきたかの国において、年金も含めた福祉政策は二の次三の次でした。国民年金が本格導入されたのは1988年、基礎寝金の受給開始は2014年から。掛け金が少ないのだから、支給額も当然微々たるものです。ちなみに、支給開始年齢は65歳。それ以前に、兵役があったり、学歴アップのために大学院に進んだり、就職のため卒業猶予をしたりして、28歳で新卒ってのもざらな彼らなんです。そんな状況で、40代半ばで解雇されたら、どうなると思います? 第3章の後半と第4章「いくつになっても引退できない老人たち」で描かれるのは、かの国におけるリタイア後の惨状です。
そして、貧すれば鈍す。かつて「東方礼儀之国」と呼ばれ、親や年長者に対する敬いの心が賞賛を浴びてきたかの国は、今やすっかり変質しました。日本、いや、世界をぶっちぎって独走する少子高齢社会――もともと自ら認める乳幼児輸出大国であるに加えて、近年は若者の海外移住者が増加している――への歩みに、これまで読んできて分かるように経済的余裕の無さが重なって、子供に面倒を見てもらえない貧窮老人が激増しているのです。老人の自殺率は、OECD加盟国ワーストです。
さて、最後まで読んだあなたは、こんな疑問を持つでしょう。
「これ、なんとかならないの? なんとかする気は無いの?」
この「ヘル朝鮮」――残念ながら私の独創ではなく、かの国の若者たちの自嘲です――になるに至った原因と、処方箋はないのかと。
それについて、著者は何も語っていません。この方のほかの著作を読んだことが無いので、そういうことに言及しないことをポリシーにしている方なのかもしれません。あるいは嫌韓日本人のエサになるのを避けたのかも。
私は、別の可能性に思い至りました。「この方が韓国出身ゆえ、かの国の人々にとって自明の理であることを書かなかっただけなのでは」という。
その手がかりは、第2章にあります。映画配給会社に就職希望の大学4年の女性の発言です。彼女が就職を希望している会社は企業順位で15位のグループに属していて、韓国ナンバー1の映画会社だというのです。
あなたが周りを見回して目に付いた製品を製造する日本企業が、国内第何位かってすぐに言えますか? あなたや家族がお勤めの企業が国内第何位かって、すぐ頭に浮かびますか?
言えるんです、かの国の人々は。頭に浮かんじゃうんです。
かの国の人々は二元論に生きていると言われます。
上か/下か
敵か/味方か
正義か/悪か
勝ちか/負けか
この判断基準が生み出すのは、さっぱりした気風ではなく、対人関係までをも含めた、この世のありとあらゆるものの序列化です。なにしろ、オリンピック開会式の入場行進中継で、国名紹介の後に「GDP世界第○○位です」って付け加える国ですから。企業もその序列化からは逃れられず、就活生は序列を大いに気にします。なぜなら、どこの企業に在籍しているかで個人の序列が決まるから。
もっと言うと、序列を決める一番大事なファクターは「学歴」です。同期入社でも、学歴が上の人に敬語丁寧語を使わないと、無礼だと怒られるそうです。ゆえに、11月に行われる修能試験は人生を掛けた大一番だし、「タマネギ男」ことチョグク前法務部長官の娘の就学に関する不正が大問題になるのです。
著者にとっては、その会社が国内第15位であること、それが大学生の口から自然に出ることは自明の理なのでしょう。ゆえに、「ヘル朝鮮」に至った原因である、
「もはやDNAとすら言える序列偏執主義。
“恨”の民族であるがゆえに序列に安住せず、上を妬み、下を蔑み、1つでも序列を這い上がろうという風潮。
賢い人は偉い人という価値観。
これらが混ざりあったがゆえの、超競争主義」
をあえて記すまでもなかったのではないでしょうか。
そして処方箋は、セウォル号沈没事件の顛末を伝え聞いたローマ教皇の言葉、
「韓国人は一度、霊的に生まれ変わらなければならない」
を持ち出すまでも無く、これまた自明の理なのでしょう。
それにしてもこの生き地獄、かなり厄介といわざるを得ません。なぜなら、努力すれば(ニアリーイコールお金を掛ければ)抜け出せる可能性がごくわずかながらあるのですから。そしてかの国の人々が、異様なまでに自己評価が高く、根拠の無い自信に満ち溢れていることは、退任後の逮捕者続出にもかかわらず大統領の椅子を得ようとする人が絶えないことからも推察できるでしょう。
「わたしならもっとうまくできる。なんとかなるさ」
自分が選択した道が正しいことは確定的に明らかである。よって、自分の前に立ちふさがる奴は、すべからく間違っているのだから。
まあほら、地獄と言っても、「命令を拒否したらシベリア送り 命令を受諾する返事が遅れてもシベリア送り 話すときに目を見ないのは嘘をつくつもりだからシベリア送り」や「メガネをかけた奴や美人は、他人より優れていることを鼻にかけた反革命分子だから抹殺」よりはましでしょう。
過去の社会主義国と一緒にするなって? ご心配なく。現大統領ムンジェインは「頭の中の8割は北朝鮮のことで占められている」左派の(北朝鮮による)人権(蹂躙は見ない振り)派弁護士です。先日韓国紙が、キムジョンウンへの秘密忠誠宣誓を記した書類を発見し、その署名者の中にムンジェインの名があったことを報じましたから、筋金入りです。
その閣僚や要職には、彼の同志である民主活動家上がりのド素人が多数任命されました。大統領府から日々下りてくるご無体な指示に振り回されて、官僚たちは無気力になってしまいました。
司法と軍の高官はあれこれ難癖をつけられて罷免・逮捕され、何人か自殺者が出ていて、その後釜には大統領に従順な人間が配置されています。
こういった左派の国政壟断に対抗しようともがく保守派との間に起きている社会の様相が概説されているのが、第5章「分断を深める韓国社会」です。内容的には韓国関連のネット記事などを追っていれば既知の事ばかりですが。
私は、かの国は確実に上からの社会主義革命が進行中であると判断しています。
だから、まだましでしょう。今はまだ。
というわけで、韓国社会の現状を包み隠さず伝える良作であると思います。なにより、現地に暮らす人々の生の声を多数収録している点に価値があります。やや悲観的な文調が通底音として流れているため、一気に読むのは疲れますが。データも多いし。
ただ1点、物言いをつけるとすれば、タイトルでしょうか。「行き過ぎた資本主義」の結果「無限競争社会」が生まれているかのようですが、本当にそうなんでしょうか。かの国で序列が上の上な一握りが、資本主義を錦の御旗に序列下層民を虐げてるだけにしか見えないし、それは取りも直さず、かの国の人々の民族性と新自由主義が悪魔合体しているだけだと思うのです。
『韓国 行き過ぎた資本主義――「無限競争社会」の苦悩――』を読んで タオ・タシ @tao_tashi
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