第22話
くそ、くそ、くそ、くそ、くそ。
ネットオークションで落とした自衛軍の使い古しのコンバットブーツ。それの靴底が灰色の土をえぐるように踏み付ける。
ホルスターにかけた斧が外れそうだ。前後に激しく揺れている。
それと、右ポケットからはまた振動。
ああ、もう感覚がうるせえ。
とにかく、ここを離れて、すぐにサポートセンターへ連絡!
足と交互に腕を振る。
肩甲骨を広げ後ろに振ったものを前に、前に振ったものを後ろに。繰り返すごとに加速していく。もっと早く。もっと遠くへ。
俺の後ろにいるのは死だ。追いつかれたら最期。生きることはできないだろう。
手足を働かせながら肩越しに後ろを振り向く。
いる。
そいつは腕と足を同時に出してその短い手足で走っている。
ああああ。ダメか。やっぱり俺を狙っているのか。
ほんの少し期待していた。もしかしたら見逃してくれるではないかと。
でもダメだ。完璧にソレの興味を引いてしまったらしい。ソレが俺を追いかけてくる。
くそ、俺になにをするつもりだ。この野郎。
どうせ悪態を零してもなにも聞こえないだろう。
事実、ブーツが地面を踏み付けて土を巻き上げる音も、徐々に苦しくなる俺の呼吸の喘ぎも、なにも聞こなかった。
ソレがなんなのかは分からないがとにかく逃げなければ。
ソレは俺と10メートル程離れている。つかず離れずその感覚を維持していた。
スピードを緩めることはできない。俺は灰色の荒地を駆ける。
とにかく、早く!速く!
心臓が五月蝿い。息が切れる。後頭部の中に暖かい液体が駆け巡りそれが全身に広がる。
苦しくない。永遠に走れそうだ。
ダンジョン酔いがアドレナリンの過剰分泌を促し、俺の感覚を一時的に麻痺させる。
今はそれがありがたい。
うわ、まだいる。
ソレは短い手足をわしゃわし動かし、こちらへ向かい走り続ける。
くそが。こんな内容の怪談あるんじゃないか?
灰色の光景が流れる。
灰色の岩と、灰色の土、砂しかない、寂しい土地。
走りやすい。俺は更に足の回転を速める。
つま先で地面を掴み、跳ね返ってくる力を太ももに伝え、更に加速する。
頑張れ、付いて来てくれ。こけないでくれよ。
頑丈なコンバットブーツの靴底が正確に地面を掴む。
無事に帰れたら絶対ピカピカに磨くから。
頼む。頼む。頼む。
バランスを崩さないように気をつけながら後ろを振り向く。
なんだその気持ち悪い走り方。くそ。
ソレの姿を見るとまた体がぐんと前に傾く。ナンバ走りに似た手と足が同時に出る走り方。その手足の短さが余計に嫌悪感を煽る。
恐怖を燃料に足を動かす。戦略も戦術も準備となにもない。
ただ、ただ、走った。
灰色の光景が流れて続く。
灰色の岩が目立つようになってきた。サイズは様々で俺の膝ぐらいしかないものや、俺の三倍はありそうな大きいものまで。
眼前に岩、高さは俺の股ぐらい。低い。横にの避けるには長い。
おっしゃああ!
「」
勢いのままそれに手をかけ体を滑り込ませるように飛び越える。
地面に足がつく。絡むようにもつれる足を無理やりに前に動かし、上半身を前に傾けまた走り始める。
アイツは!?
首だけで後ろを確認する。
…いない?
撒けたのか?
ほんのすこしスピードを緩めて後ろを凝視してー
あああ! 見なければよかった!
アレが持ち上げていた。あの大きな耳を前に倒すように折りたたみ、二本の短い腕で真上に持ち上げている。
くそ、くそ、くそ、サザエさんのつもりかよ!
俺はすぐに前を向き、更にそこから遠く、遠く。
走ー
音はなかった。
無音の世界の中、背中を最初なにかに触られたと思った。次の瞬間には思いっきり押されて、そして、足から地面の感触が消えていた。
足を掻いても、なににも当たらない。
地面が近づく。
ああ、くそ、痛いだろうな。せめてものと腕を顔の前でクロスさせて衝撃に備える。
う、ああああ。
世界が回る、腕に土が砂が石が食い込み、服の生地を裂いて、皮膚に穴を開ける。
勢いの縦に一回転。そこから横に何回転?
俺は地面に転がり、倒れ伏した。
ああ、駄目か。体全体が痛い。痺れているような熱いような痛みが全身に広がる。
生きてる。直撃はしなかったのか。
目の前には灰色の土、うつ伏せに倒れている。
腕、動く。
足、動く。
よし4本ある。体を起こそう。
がっ…!
「」
息切れとは違う、吐息。肺のあたりに感じる激痛のショックにより肺が潰れ息が逃げ出す。
その声は聞こえない。ただ自分が痛みにより叫んだという実感のみがある。
肋骨か? くそ、くそ。最低だ。
でも逃げなければ死ぬ、しぬ。しぬ。しぬ。
痛みにより四肢が麻痺しそうだ。それでも動かす。無理やりに。
指で灰色の土を掴み、腕に力を込めて顔を前に。
あ
耳の孔が俺を覗き込んでいる。
近くで見ると本当に大きい。耳の穴は俺の顔と同じ程大きい。頭を突っ込めそうだ。
ソレは
岩を投げつけられた。追いつかれた。
あ、あああああああああ。
暗い、暗い、並んだ2つの孔が俺を覗き込む。その奥に見えるものはない。
終わった。
それが短い右手を俺にゆっくりと伸ばしてくる。
あっ…
「」
仰け反るような上澄った声のはずだ。
ソレの腕。ソレの手。ソレの五本の指。ソレの五枚の爪。
赤黒いかすがこびりつき、爪の隙間にびっしりと詰まっている。
それがなんなのか、わかってしまった。
駄目だわ、死んだ。
俺はその血の塊に塗れた手から目を離せなかった。なぜか始めてジェットコースターに乗った日の光景を思い出す。
あの時も、最後まで目を瞑らずに、レールの先を見ていたな。
何か負けたような気がして、目を無理やり開いたんだっけ。一緒に乗っていた親に笑われたっけな。
じゃあ、今回も同じだ。最後までコレから目を離さないでおこう。
ああ、怖いな。嫌だな。
その手が俺の頭髪に置かれて、
そして。ぐっと押し込まられた。
痛い。
痛い、痛い、痛い。引っ張るな。そこは引っ張るなあああああ。
ソレは頭髪を掴み、めちゃくちゃにシェイクするように上下に俺の頭を振る。
ばばばばばばばば。
視界の隅が赤く染まる。首の付け根がミシィと音を立てた。
ヤツに頭髪を掴まれたまま引き摺られ始める。首がとれたらとれたで構わないと言った風にその勢いに遠慮はなかった。
俺は1つ確信を得る。
あ、これはロクな死に方できそうにないな。
回収した血まみれの頭蓋骨があの埋めてきた保管箱の中で笑った気がした。下顎のない口部を歪めて。
耳に引き摺られていく。
ポケットが熱い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます