第7話


 ダンジョン酔いには個人差がある。酒に酔う程度のものから、人格が変わるという落差が激しいものまで存在する。



 このダンジョン酔いが、各国に軍隊によるダンジョン攻略の強行を躊躇わせる大きな要因だー



 探索者組合の会見より








「よし、行きましょうか」


 俺はヤツラの住居の扉を壊した後、必要な物を携えてその入り口の前に立っていた。



 突き破られた入り口がぽっかりと開いている


 高さは大体俺の胸の位置ぐらいだ。

 頭をぶつけないように膝を曲げ腰をかがめながら忍び込む。



 左右を慎重に覗きこみながら、右、左と首を振る。ヤツらの住居の天井はわざと光を入れる為に隙間が空いている。


 そこから差し込む光で中は薄暗いものの、中の様子がまったく見えないわけではない。



 中にはすでにヤツらはいないようだ。



 そのまましゃがんだまま進みヤツらの住居に俺は入り込む。


 携えた物をひとまとめにして近くに置く。


 床などはなく地べたは灰色の土地の延長線にある。



「以外と臭くないな…」


 鼻で息を吸うと、木で出来た住居だからか?

 畳の匂いに似たものが入り込んでくる。

 日本人として嫌な匂いだとは思えない。



「綺麗好きな家族ってか?」





 前回、仲間と一緒に同じ仕事をした時は確か酷い匂いだったのを覚えている。

 …


 真夏の公衆便所を発酵させたような吐き気を覚えるものだった事だけしか思い出せないが。



 喉の奥から一瞬こみ上げる物を、感じたがそれを飲み込んだ。



 部屋の奥に落ち葉が絨毯のように敷き詰められているスペースがある。


 ヤツらの、寝床だろうか?



 そのうちの一枚を拾いあげてじっと見つめる。


 大森林から持ち帰ったのだろう。この土地に植物は自生していない。




「ここだ」


 また独り言が口から抜け出た。俺は片膝をつい落ち葉を掻き分けながら辺りを見回した。



 割と広い空間だ。人間の大人でも3人は座り込めばまあまあ居心地がいいのではないだろうか?



 ヤツらのサイズなら5.6体ならストレスなく暮らせるだろう。


 その広い空間には今俺が探っている寝床以外に目につくものが一切なかった。



 俺はここしかないと当たりをつけてを探し続けた。




 革手袋越しに落ち葉を掻き、握りつぶしながらどかしていく。



「出てこい、出てこい。」



 一向にみつからないそれに対して、自然と俺の落ち葉を掻きわける腕の力が強くなる。



 ザッ、ザッ、と落ち葉の擦れる大きな音がヤツらの住居に反響した。






「おっ!」



 声が飛び出す、


 心臓がどくりと大きく跳ねた気がした。


 あった。


 俺は右手に何か固いものを感じていた。


 その場所を掘り返すように落ち葉を一気にどけると、寝床の底の地面から木の根が三本ほど重なり、ぷくりと浮き出ている。




 見つけた。やっぱりここにあった。


 俺は脇に置いてあるマッチ箱を手に取り、そのうち一本だけ取り出す。



 箱にそれを勢いよく擦り付け、点火する。なんの変哲もないただのマッチ棒だ。



 だがここではこれが、効く。



 俺はその木の根に火のついたマッチを近づけ、火が消えない程度に炙るように揺らす。



 すると、まるで木の根が火から逃げるように地面に沈むこんでいく。

 あれだな。身体の太い蛇がくねっているみたいだ。



 木の根が火を嫌がり、逃げ去った後そこには板状になっている石が置かれている。


 長さは1メートル、厚さは数センチの薄いものだ。



 おいおい、まるで何かの入り口みたいだな?


 灰色の色彩がマッチの火で照らされる。踊るように小さな火が揺らめいた。




 ビンゴ。



「イエス、イエス、イェース」




 ここまで見つかれば後はもう終わったようなものだ。



 俺は傍に置いてある赤いペイントの金属製の容器を手に取りそれを見つめる。



 バルタン。ホームセンターなどで比較的お求めやすい価格で販売されている害虫駆除用の道具だ。



 ただし、これは「バベルの大穴」特別仕様のものだが。


 許可を得た探索者しか購入する事が出来ず、無許可で所持していることが判明すると罰を受ける、そんな特別製だ。




 で、どういう風に特別製かと言うとだな……







 俺は強引にその石、まあつまりはヤツらの地下室への入り口を持ち上げる。



 軽くて丈夫。だが、軽いというのも考えものだな。




 ヤツらの力で木の根で覆い隠していたつもりだったらしいが、本当にこれで見つからないとでも思ったのか?



 俺は手早くまた新しいマッチを擦り、新しい火を作る。



 バルタンの蓋の上からぴょこんと飛び出ている、線。


 導火線に火を近づける。


 きちんと火が灯ったことを確認する。



 心臓の鼓動が心地よい。もっと。もっと速くなれ。



 地下への入り口を覗き込む。真っ暗で何も見えないのだが、今の俺にはわかる。




 やつらは、そこにいる。



 寄り添っているのか、気付いているのか、怒っているのか、怖がっているのか。


 まあ、どれでもいい。



 その穴を覗きこみながら俺は右手をその穴に向けて、掌から力を抜いた。



 当然のようにバルタンがその穴に吸い込まれるように落下する。




 数秒もせずにその穴の下から金属がぶつかる透き通った音が小さく鳴り響き、間も無く煙が吹き出る音も漏れ出た。






 ふ、ははっ。


 あ、だめだ。抑えきれない。





「キックオフだ」



 俺は急いで住居から出る。


 腰のベルトの右に引っ掛けている薪割り用の万能斧を取り出し素振りを始めた。


 持ち運びしやすい40センチほどの片手斧だが、いやに軽く感じる。



 あれ、こんなに軽いものだったか?



 そして、しばらくすると。


 急に全ての住居の扉が開いた。




 うひっ。




 この気持ちの悪い笑い声は一体誰の声だ。



 そんな事を考えながら俺は住居から漏れ出る白い煙ともに這いながら出て来るそれに近づく。





 スウェーデン産の斧の頑丈さと切れ味は先程よくわかった。



 次はより小さい獲物に対しての取り回しの良さだな。



 早く試して見たくてしょうがなかった。


 ティピー式の住居の隙間から筋のような白い煙が漏れ初めている。




 残っている住居の内、全ての扉が開かれる。



 俺があれだけ苦労してこじ開けた木の扉が地面に吸い込まれるようにして開いて行く。






 白い煙が逃げ場を見つけたかのように住居から漏れ出てきた。


 すげえな。バルタン。


 まるで質量を持った雲のようだ。あの煙はたっぷりの科学物質、要するに毒が練りこまれている。


 俺は今更ながら少しだけヤツらに同情した。



「ロクなもん入ってないんだろうな、あれ」



 その煙の中に黒い影が飛び出してきた。


 巣の中に隠れていた灰ゴブリンだ。まるで炎に包まれた家屋から飛び出してくるかのような勢いでそいつは煙を突っ切る。




 だが煙から出てきた瞬間に足をもつれさせすぐに転んだ。


 きちんと成分がまわっているようだ。オーケーオーケー。



 3メートルほどの距離を縮める為俺は斧を構えてゆっくりとそいつに近づく。



「ア、ギゥ、ガァ…」


 うつ伏せに倒れたそいつの唸り声が聞こえる。


 威嚇…ではなさそうだな。これだけ近づいているのに俺にまだ気付いていない。それどころではないのだろう。



 俺はそいつを見下ろす。ボロの腰蓑にだいたい1メートル程の身長。腰回りにヤツらが好んで使う鉈は見受けられない。


 鼻はこの位置からは見えないが耳が小さい。さっき殺した連中と比べると体色も白よりの灰色と薄いな。




 幼体だ。巣に隠れていたやつだ。



 俺に気付いたのだろう。痺れがまわっている体を両腕を使い起こし、立ち上がろうとして尻餅をついた。



 そいつの茶色の瞳を見下ろす。


 涙が固まり。やにまみれになっている。


「ア、ア、ギゥ、アイ」





 物凄い勢いで、瞼が上下する。

 ギョロギョロとした目が隠れる場所を探しているように俺には見えた。


「ははっ、すげえ瞼の動き」


 足を地面に押し付けながら尻餅をついたまま後ずさりを始めるが、うまく足が動かないみたいだな。


 俺は一歩ずつ近づいていく。



 そいつはわめきながら、足と腕をばたつかせて後ずさる。



 後ろを振り向き、一際大きくギャァギャァと鳴く。



 まだ仲間がいるみたいだな。


 ならあまり遊んでいる余裕もない。


 一息にそいつとの距離を詰める。斧を翻すように持ち上げ、脳天に視線を集中させた。





 振り上げた斧が、降り始める瞬間にそいつは気付いたようだ。瞬きを繰り返しながら自分を守るように顔の前で腕をクロスさせる。




 違う、そこじゃない。もっと上だ。



 俺の左足がそいつの右足を踏み潰す。柔らかいものを潰す感覚がブーツの底越しに広がり、今まで一番大きな悲鳴が耳に届く。


 犬のうんこ踏んだ時に似てるな。



 左足で踏み込み、生まれた体重を意識しながら振り上げた斧を、ただ単純にそいつの脳天目掛けて振り下ろした。




 チドっ、と斧がそいつの頭にぶつかると簡単にそいつの頭は真っ二つになった。



 追加で刃を押し込むことなく首はおろか胸の部分にまで斧はスッと入り込んだ。



 豆腐に包丁を入れたようにすんなりと。




 骨も柔らかいみたいだ。特別斧が引っかかる事もなく、そいつの体から斧を引き抜く。



 十字に組んだ腕は何の役にも立たなかったな。


 そいつの左右の瞳は泣き別れてもなお、しばらくパチリ、パチリと開いたり閉じたりしていたが、やがて動かなくなった。






 雄か雌かの区別まではつかなかったが、かなり体の弱い個体だったな。




 先程同じように脳天に斧を食らわせた成体の事を思い出した。


 あいつの頭は固かったな。斧を新調しておいてよかった。



 俺は青い血や、肉片がこびりついている斧を見つめる。





 さて、残りは何匹いるんだ。


 苦しいだろう?、その中。


 早く出てこいよ。





 心臓が鼓動している。全力疾走をした後よりも早く。


 だが息苦しさなど微塵も感じることはない。



 さあ、まだまだいるんだろう?



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