第6話


仮説の段階に過ぎないが、灰ゴブリンはその精神性において非常に不安定だ。


協力して狩りをしていたと思えば、次の瞬間には共食いを始めたり……


いや。だからこそヤツらの一部は信仰を持っているのだろうか?

それともその信仰がヤツらの不安定さの原因なのだろうか?


ワタシはこれが気になって朝起きれなくなったので実験を始めたー



ソフィ・M・クラーク著


[刺激的で挑戦的な実験]より抜粋ー






 



 石碑に文字が刻まれる。彼らにしかわからない、彼らの言語で。

 

  その言語は彼らの精霊からのメッセージだ。今まで、一族に大きな変化がある時は必ず一族全員でここへ集まり、精霊からの啓示を待った。


 族長である父親を含む戦士は数日前に、彼らのみでここへ集まり啓示を受けた。戦いの時が近い、そのような内容だと父は家族に話してくれた。

  そして、今また石碑が啓示をその身に受ける。ツルツルだった石碑に無数のひびが入り、一部が塞がり、やがて文字となった。


 彼らがその石碑の文字に注目するとー













 殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった。殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった殺すべきではなかった。







「ヒッ……!」



 一番近くで石碑を見つめていた弟が何かに押し倒されたようにその場から仰け反り尻餅をつく。すかさず彼は弟に肩を貸し、立たせて自分の背中の後ろへ誘導した。


 母親と妹は少し離れた位置にいるが、石碑の文字は見えたのだろう。緑色に照らされた母の唇はワナワナと震えていた。


 彼は肩にかけられた弟の手が震えていることにも気付く。


「どうした?!、一体なにをしたのだ、クルメク!これはなんだ!」


 彼は自分でもここまで大きな声を出すつもりはなかった。


 広い地下に声が響く。


 弟は彼の背後で身を縮こませながら


「し、知らない!何もしてない!何もしてないよ、でも、でも、お、怒ってる、精霊様が怒ってるんだよ、兄様!聞こえないの?!」


 彼の怒声に負けじと、弟が声を張り上げた。こんな弟の剣幕は聞いた事がない。


「声?、なんのことだ!?、何が聞こえているのだ?」


「そこ!、石碑の上だよ!、こっちを睨んでる!、あ、あ、あ怖い、怖い怖い怖い怖い怖い」


 半狂乱になった弟を彼がなだめようとした瞬間胸元に熱さを感じた。


 父から渡されたヒスイのネックレスから濃い緑色に光り輝いている。


「レド!、そのネックレスを石碑にかざしなさい」


 母親は妹を片腕で抱いたまま、弟に走り寄り大きく見開かれた目を掌で覆う。


「クルメク!、目を瞑りなさい。何も見てはダメ!」


 母親が弟の目に掌を当てた途端弟は落ち着きその場に腰が抜けたように座り込む。


 一旦は大丈夫みたいだ。

 だが母親の険しい表情は溶けない。


 先程までの柔らかい母ではなく、一族の歴史で最も優秀な精霊士としての顔になっていた。

 彼は気づけなかった。

 その表情は勇気で作られたものではないことに。


 誰もが彼ほど勇敢ではないということに気付くことができなかった。


 彼は首飾りを手荒く外して、言う通りに石碑に向けて掲げる。


 石が砕けるような音がして物凄い速さで石碑に文字が刻まれ、生まれていく。




 殺すべきではなかった✳︎


 あの日、この場所で、あの人間を、お前たちは殺すべきではなかったのだ✳︎



 ヤツが来る✳︎


 違う世界からおまえたちの死がやって来る✳︎



 彼の頭に声が響いた。


 彼の許可を聞かず、耳を通さず、彼の頭の中だけで響くその声は酷く無遠慮で許しがたいほど不快な声だ。


 後悔してももう遅い*



 灰の第ニの一族、[腕のドセミロコ]は今日滅ぶ*


 ヒスイを継いだ子よ


 お前の母も、弟も、妹も、みな無残に殺される


「世迷言を…!貴様は精霊だろう!、我らを守る為にあるのでないか!」


 彼は石碑の上に佇む、佇んでいるような気がする存在に向けて言い放つ。後ろの方で母が息を飲むような気配を感じた。


 その言葉を無視して、石碑が、精霊が言葉を紡ぐ。


 もう終わりだ✳︎


 お前たちの啼き声と、嗚咽と、叫びを聞く為にヤツが来る✳︎


「例えどのようなものが我らを襲おうと、我が強き父と偉大な戦士がそれを打ち砕く。貴様の予言など当たるわけがない!」


「レド!!?」


 母親が悲鳴のような声で彼の名を呼ぶ。精霊に乱暴な言葉をかけるどころか予言について何かいうなど、精霊士である彼女には考えられないことだ。


「偉大なる大きな腕の精霊よ!、どうかお許しを!この者は貴方の尊さがわかっていないのです!」


 母親は支えていた弟を突き飛ばし、妹を手荒に地面に放り投げて、真っ青な顔を地面に擦り付け平伏した。


 妹はとうとう泣き出した。声を上げて泣いている。弟は再び目を石碑の方へ向けて、瞼が引き裂けそうなほど開きそのまま固まった。


「母上?! なんてことを!! クルメク! ラプチャを、早く!」


 信じられない行動をとった母親に対し、彼は声を上げると同時に、右拳を強く握った。


 振り向いて、幼い妹を放り捨て地面に平伏する母親や弱き妹を鑑みずに動けない腰抜けの弟を見ると、その拳を振り抜きたくてしょうがなかった。


 こんな、こんな得体の知れない者の為に家族がバラバラにされるのかと思うとやりきれなかった。


 石碑を睨みつける。彼の金色の瞳が淡い緑色を帯びていく。石碑の上に何かがいる。


 彼はそう確信した。大きいのか、小さいのかは何もわからないが確かにそこに、ナニかがいる。


 彼はこのナニかが自分を襲ってくるのではないかと、姿勢を低くして腰の後ろに引っ掛けていた手製の鉈に手をかけた。


  目の前の見えないナニかが膨らんでいるような気がする。


 四つ足のトカゲと相対した始めての狩りの緊張感を何倍にも凝縮した空気を感じていた。


 ふと、目の前の存在が、笑った。


 そんな気がした。





 *お前の父と戦士は死んだ


 *人間に殺された


 *傷の一つもつけられずに驚愕と恐怖のなか意味もなく死んだ







 彼の視界が一瞬ブラックアウトし、次の瞬間に両方の拳から走る痛みで意識が戻る。足元には大きく四つの破片に割れた石碑が転がっていた。


 もう見えないナニかなどどこにもいない。


 彼は自分の荒れている息を努めて戻すようにしながら後ろを振り向く。


「ひっ」


 母親の短い悲鳴が聞こえ、こちらを何回も瞬きしながら見つめてくる弟が視界に映った。


 彼らを一瞥して目を背ける。


 貴様らのことなど見たくもない。


 いつのまにか拳の中で握り締めていたヒスイの首飾りをゆっくりと付け直す。


 彼女らの近くで静かに泣いている妹のほうへ駆け寄ろうとー





 カラン、コロン、カラン。




 何かが上から落ちてきた。


 始めて聞く音だった。



 それは妹の丁度近くに落ちていて、


 真っ赤な色をした小さな筒のようなものだ。



[龍]の威嚇音のような奇妙な音が響き渡り


 筒からなにかが勢いよく吹き出した。


 白。



 一瞬で地下室を白く染めたそれ、白い煙は彼らの鼻と目を丁寧に調合された化学物質で瞬時に潰した。















 死が上から落ちて来た。






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