時雨逅太郎

 死んでもいいと思っている。そんな日々が繰り返している。失望を内にも外にもし続け、ユートピアがこの世界にないことを知っているからだ。

 なぜか人は、死んでもいいという言葉を引き留める。僕がこの言葉に悲しみの一切がないこと、単なる効率のための動きだということを説明してもだ。


 死んでもいいなどという言葉は安価なものになってしまった。人を引き留めるため、慰められるため。僕らの言葉は安価になってしまった。言葉が真に届くことがなくなっていき、実のところは違うんでしょう、などといったコミュニケーション。


 言葉から重みが抜けていく。穴の空いた風船なんてものではない。割れた茶碗ほどに、深刻さが隙間から流れ出して消えていく。


 人を引き留めるため、慰められるため。死んでもいいという言葉がこうも引き下げられたのは、違う、それを発した人間ではない。

 それを嗤う者のため、それを軽んじた者のため。

 そして定型の流れのため。


 いつも思うことがある。言葉をいくらつづったところで、それは安っぽいものにしかならないと。僕はここできっと複雑系を編み上げなければならない。一言で何かが通じるなら、通じてしまうなら、この文章は全て蛇足で燃やしてしまうべき光の羅列なんだ。


 端的になど、一体如何ほどの意味があるのだろう。時間を割くつもりがないなら、最初から話し合おうなどと思わなければいいのに、と思う。

 端的に伝えて動けるのは機械だけだ。流れ作業だ。指示だ。論理だ。記号だ。

 僕はこの文章が伝わることをあきらめてはいないが、期待もまたしていない。

 伝えることが、どれだけ無謀なことかを知っているだろうか。


 言葉がふわふわと浮かんで何処かへと行ってしまう。引用ほど無力な行いはない。端的に伝えられた言葉への想像力が、僕らには欠ける。いつからこうなっていったのか。なんにせよ、もう何も意味を成さない。


 無駄なんだよ。


 誰かが言う理想的な話し方、喋り方、伝え方などに振り回されることの愚かさはここに集約される。僕らは欠けている、当然。自覚もない、当然。僕も当然そのうちの一人である。


 世間の意見など一過性で、正直どうしようもない。正義は蠢く。移り変わり常に誰かに牙を剥く。この世に秩序がある限り、平等もなければ差別も消えない。

 僕らはどうにも勘違いをしているようなのだ。

 僕らは自分の世界の中でしか生きていない。


 秩序に麻痺した頭はきっと反論をなにかする。自分と違うものに対して。

 狂気に太刀打ちのできない脆い頭がここにある。体を捨てたいと何度も思っている。体に心に強く刻み付けられたこの定型を幾度となく恨み、その鎖を破らんと暴れ続けている。僕は愚かしいのだ。


 僕らは鎖を使う。

 鎖を使うから、僕らに平等なんてありえない。

 皆、幸せになどなれないし、きっと心の底では望んじゃいない。


 わかっていた話だろう。


 

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時雨逅太郎 @sigurejikusi

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