4-7.自作品の登場人物と会話する……?

 最近、横溝正史著「真説 金田一耕助」を読んだ。これはかの有名な金田一耕助シリーズの大ヒットに戸惑いつつも、その中で暮らしていく著者本人の胸中を描いた親しみやすいエッセイだ。現代では大物として扱われている人たちが、このエッセイの中ではひょっこり若者や友人として登場するのもいい。なんだか、史実のスピンオフ作品を見ている気持ちになる。

 さすが稀代の名作家、エッセイも非常に面白い。推理小説の堅めな文体とは違って、人柄がにじみ出る書きぶりについ夢中になって読んでしまった。(そう言えば、「沈黙」でおなじみ遠藤周作氏のエッセイも笑ってしまうほど面白かった。シリアスな作風の人のそうした側面を見ると、なんだかほっとする)


 さて、この中で私はびっくりしてしまったことがある。本作の中で横溝氏は、自作品の登場人物である金田一耕助と会話しているのだ。

 横溝氏がどうしてこんなに金田一耕助シリーズが売れるのかと戸惑い、「なぜなんだい」と思っていると、金田一耕助が返事をしてくれる。金田一耕助と結婚したいという手紙が届いたのを“耕ちゃん”(愛称で呼ぶくだりも割と驚いた)にみせて、金田一耕助がでれでれする……なんて表記もある。

 一方で、金田一耕助は小説の主人公だから年齢がないよね、といった目線も語られる。著者の中では、あくまで金田一耕助は“創作物の登場人物”に過ぎない。

 しかし、この語り口だ。もし、金田一耕助という探偵の存在を知らずにこのエッセイを読んだら、「金田一耕助という人は実在していて、それを小説にしたのかな」なんてしばらく頭が混乱しそうだ。


 私はこんな風に、自作品の登場人物と会話をしたことがない。これに近いことは以前、本エッセイで書いたことがある。

『5-2.自作品の登場人物は「うちの子」なのか?』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054892430828/episodes/1177354054921704588

 ここでも触れたように、自作品の登場人物を「うちの子」と呼ぶ人が居るのは認識しているし、似たケースで言うと二次創作で使用したキャラクターと著者が会話する場合があることも知ってはいる(不思議だなあとは思うけど、いずれも否定する意図はない)。

 だけど、それは比較的若者の風習だろうと思っていて、「私はもう大人だからそういう楽しみ方が出来ないんだろうなあ」と思い込んでいた。


 ところがどっこい、大人も大人の横溝氏が、エッセイでごく自然に金田一耕助と話している。となると、この風習は年齢を問わず作品を書く人ならばよくあることらしい。本当にびっくりした。金田一耕助が著者にとって比較的近い時代を生きている人間であること、ヒット作として強く意識せざるを得ない存在であること……等、理由を考えるのは出来るのだけれど。

 どうやったら、自作品の登場人物と会話が出来るようになるのだろう。私は今の今まで、登場人物と目が合ったことさえないので不思議だ。かと言って、何か話がしたいわけではないけれど……。


 何はともあれ、「真説 金田一耕助」はとても楽しいエッセイだった。ヒット作の影には、色んなドタバタやおろおろがあるのだなあと心が和む。最近自分が読む本の多くが、人が死にがちな小説だったので、いい癒し効果を得られた。他のエッセイも読んでみたいなと思う。

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