4-8. 「クリスマス・キャロル」でスクルージが失ったもの

 先日、イギリスの文豪チャールズ・ディケンズ著『クリスマス・キャロル』のお芝居を鑑賞した。恥ずかしながら私は、ディケンズの本を読んだことが無かった。そのため、ざっくりしたあらすじしか知らないままで、お芝居と対峙したわけだ。


 そして、お芝居を観終わった私の感想は、「とにかく怖い」に尽きる。『クリスマス・キャロル』が、“心温まるクリスマスの物語”という触れ込みで世に出回っているのは知っている。しかし私には、とにかく怖くて仕方がない物語に思えた。

 もちろん、これは「つまらない」とか「劣っている」といった感想ではない。物語の完成度が高いからこそ、そして俳優陣の演技が見事だったからこそ、怖かったのだ。


 私は『クリスマス・キャロル』を、「一人の男が、人ならざる者に精神的許容量を超えた情報を一気に与えられた結果、正気を失い明るく幸せに発狂した話」だと思っている。

 だから、舞台を鑑賞して数日たった今でも『クリスマス・キャロル』が怖くて仕方ない。その気持ちを整理したくて、今パソコンに向かっている。


※なお、本エッセイには『クリスマス・キャロル』の結末を含むネタバレが含まれる。1843年出版の本に今更ネタバレも何も無いとは思うが、気になる方は閲覧しないようにしてほしい。※


 『クリスマス・キャロル』のあらすじをざっくり言うと、“意地悪ケチんぼ金持ち爺さんのスクルージが、過去・現在・未来其々のクリスマスの精霊と旅をして、自分を省みて改心する話”だ。

 私はそのあらすじだけを見た時、トライアンドエラーをしながらスクルージが改心していくのかな? なんて思った。「旅に出る→気付く→日常で実践する→成功/失敗体験をする→次の旅に出る……」という流れを繰り返して、少しずつスクルージが改心していくような内容だ。

 だけど、そんな人間らしい成長曲線をクリスマスの精霊たちは許してくれない。なぜなら彼らは、人ならざる者だからだ。


 では、どんな風にして彼らはスクルージを導いたのか。お話を最初から振り返ってみると……。


 前提として。

 そもそも、スクルージはただ性格が悪くて金持ちでひねくれているだけの高齢者だ。圧政の権力者でも無いし、法に反した金儲けをしてるわけでも無い。クリスマスなんてバカらしい、貧しい/弱い奴なんてどうでもいいと思ってる、単なる冷たくて嫌な奴。

 嫌な奴だけど要は「普通の人」なので、メンタル強度は「普通の人」と同じだ。


 そこへ、死んだ友人のお化け(過去に起因する冷たい鎖でぐるぐる巻きになっている)がやってきて「三夜連続でお前のところにクリスマスの精霊が来る」と語る。

 友人のお化けと出会った時点でもう発狂してもおかしくないのに、精神を安定させる時間を精霊たちは与えてくれない。スクルージが寝て起きたら、すぐに精霊がやって来る。


 精霊たちは、過去・現在・未来のクリスマスをスクルージに見せる。

 スクルージにだって楽しいクリスマスの思い出があり、一方で、相手に冷たく当たって恋人と別れた過去がある。そして、現在の自分の悪評や、スクルージが切り捨てた人たちのささやかだけど幸せなクリスマスを目の当たりにする。更にその後には、自分が死んだ後に蔑ろにされる未来の光景を見せつけられる。


 道中、スクルージがどれだけ「自分は反省した、変わった」と精霊に訴えても、旅は終わらない。とにかく精霊は色んなクリスマスを見せて、スクルージの精神をガンガン削ってくる(SAN値を削られると言うとわかりすいか)。


 確かに、発狂の予兆は時々見られた。

 堅物でケチ、人間嫌いで通しているスクルージだが、過去に自分が過ごした楽しいクリスマスの記憶を見ているうち、態度が変わる。今ではそんなことをするわけがないのに、音楽に合わせて少しずつ踊り出す。でも、ここではまだ「ちょっと気が緩んだ」程度にしか見えない。

 次に、現在のクリスマス。ここで甥っ子(スクルージは彼に冷たく当たっている)主催のパーティーを見た時、スクルージは自分についての嫌味や皮肉を聞いた後でも、パーティーのゲームに交じって遊び始める。(ちなみに、精霊との旅路で見た世界にスクルージは介入できない。どれだけゲームではしゃいでも、スクルージの姿は誰にも見えない。)

 そして、自分が死んだ未来。誰も自分のことを覚えておらず、持ち物を盗まれ売られる様子を見たスクルージは「改心する、反省する」と大泣きしてしまう。発狂までの土台は、これで完璧だ。


 死んだ友人のお化けは「精霊は三夜連続で来る」と言っていたが、実は違う。スクルージが精霊たちと旅をしたのは、実はたった一晩の出来事だった。そりゃあ、こんなの一晩で見せられたらたまったものではない。


 三人の精霊と旅をし終えると、現実世界はクリスマス当日。スクルージ以外の人にとっては、一晩しか時間は進んでいない。

 目が覚めたスクルージは、鼻歌交じりにウッキウキで着替え始める。冷遇していた部下に七面鳥を匿名でプレゼントし、街の人たちに大声で「メリークリスマス」と言い、先日冷たくあしらった寄付の話に大盤振る舞いする約束をし、甥っ子の招待に乗ってパーティーで大はしゃぎ。翌日は、遅刻してきた部下を叱るどころか給料を上げる。

 

 この時、劇中の人たちはスクルージの変化に好意的に応える。彼の正気を疑うのは、給料を上げてもらった部下だけだ。とは言え、彼も冗談半分といった口ぶりだったし、何より給料上がったので大喜びして受け入れた。

 もちろん物語はハッピーエンド、「メリークリスマス!」で締め括られる。


 だけど、一晩でこんなに人が変わるだなんて。妙なハイテンション、金払いの良さ、愛想の良さ……。これを発狂と言わずして、何と言おう。


 先述の通り、スクルージは「ごく普通の嫌な奴」だ。ただの人間で、頑固でケチで冷酷だったのは生まれつきではなく、長い年月をかけて「そういう人間になった」という結果論だ。別に、彼が強かったからではない。むしろ弱かったから、そういう人間になってしまった。

 通常、思考・行動のクセというのは時間をかけて醸成されていく。スクルージの場合、長年の凝り固まった思考・行動のクセをほぐすには、夜が三回来たって足りないはずだ。

 それなのに、たった一晩であれだけ情報を見せつけられ、精神をえぐられてしまったなら。


 幸せいっぱいで暖かそうな物語の結末を眺めながら、私は思った。

 『クリスマス・キャロル』でスクルージが失ったのは正気だった。正気を失わなければ、彼は幸せを手に入れられなかったんだなと。

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