4-6. 本当の変わりものは、変わりものを自称しない気がする

 今回のタイトルは、いつも自分がぼんやり思っていたことだ。しかし、今までそれを文章にしたことはない。書いてみようと思ったのは、SF短編集『ラファティ・ベスト・コレクション1 町かどの穴』を読んだから。


 私は、「変わりもの」を自称する人(やモノや組織)が本当に変わりものであるという確率は、かなり低いと思っている。

 人を例にあげると、「Aさんは変わり者だ」という認識は「周りの人や世間、普通さや一般常識との比較」によって初めて発覚する。つまり、変わり者を自称する人は、何かと自分を比較した上で「私は変わり者である」と言っているわけだ。

 そういう意味では、「自分ではそう思わないけど周りから変わり者と言われる」という旨の発言も、根っこにある考えは同じだ。他者との比較、他者からの認識。それらを加味して、自分は変わり者だと言っているのだから。


 さて、そうなると一つの疑問が湧く。本当の変わりものが、そんな誠実でシチメンドクサイことをするだろうか? 多分、しない。「変わりもの」とは、周りがどうとか世間とか一般常識とか、そういうものから逸脱している何かのことを言う。

 だから、「変わり者」を自称する人というのは、「周りの人/世間の中に自分が居る」「この世には普通さや一般常識が存在する」ことを理解していると言う点において、極めて真っ当な人だと私は思う。


 自称「変わりもの」の中に含まれる「変わっている点」をあげるならば、わざわざ「自分は変わりものである」と公言する、その意思決定にあるだろう。少なくとも、ごくありふれた一般人だと自覚している私は、そんな意思決定をする気が全くない。



 さてさて。最近私は、個性の塊みたいなSFの短編集を読んだ。


『ラファティ・ベスト・コレクション1 町かどの穴』(2021年 ハヤカワ文庫)

 文庫本の帯には、「SF界の奇想の王」と書かれている。


 お恥ずかしいことに、私はR・A・ラファティの作品を読むのはこれが初めてだ。ベスト・コレクションと銘打たれた本から入るなんて、音楽で言うベスト・シングル・コレクションアルバムを聴いてファンを自称するようでかなりミーハーな感じがするが。私は、この短編集だけで、R・A・ラファティの作品が大好きになってしまった。

 だって、彼の作品はあまりにも全部「変わりもの」だから。しかも、その「変わりもの」であることを特段騒ぎ立てることもなく、まるで当たり前のことのように物語が続くから。


 たとえば、表題作の「町かどの穴」。その名の通り町かどに穴があいた話なのだけれど、それどころではないくらい訳がわからない現象が繰り返し起きる。(その現象はなんなのか、物語がどう着地するのかは、ぜひ実際に小説を読んで頂きたい)

 私は割と早々に浮かんだ大量の疑問符を抱えながら、小説をワクワクと読み進めてしまった。

 わざわざタイトルにまでなっている町かどの穴を置いておいて、新規軸の概念が唐突に現れ、また別の概念が現れ……。それを受け入れる人もいればそうではない人もいて、「普通」と「異常」がぐるんぐるんと回る。おかしいのは私なのか作中の登場人物なのか。登場人物たちにとって何が普通なのか、異常なのか……。


 他の作品を読むうちに、これがラファティ節なんだなぁとわかるようになるけれど、だからと言って予測出来るわけでもない。「その台詞、今言う?」とか「なんでその例えが出たの?」と、言葉の選び方までも次に何が出てくるかわからない。そんな突飛で不思議な世界観を、短編でいくつもいくつもいくつもいくつも読み進める。

 こんなの、好きになってしまう……。


 私は、この短編集を読んで「本当の変わりものは、変わりものを自称しない」と確信した。それは、変わった人間、変わった作品、変わった組織……なんでもそうだ。

 『ワタシは変わりものですよ!』

 大声で言えば言うほど、周囲に溢れるごくありふれた「普通」がまとわりつき、声の根幹はどんどん「平凡」に見えてくる。

 しかしラファティの作品は、一言も自分のことを「変わりもの」だとは言わない。それなのに、どう見ても変わっている。これは、真の「変わりもの」と対峙しなければ味わえない感覚だ。私の脳みそを返してくれ!



 とは言え、ラファティ自身が実際にどんな人だったのか私にはわからない。このエッセイを書いている時点で、カバーに書いてある経歴以上のことは調べていない。彼はもしかしたら、「俺は変人だ!」と騒ぎ立てる人だったかもしれないし、穏やかで優しい無口な人だったかもしれない。

 しかし、もしラファティの小説そのものに自我があったら。多分その小説は、自分が「変わりもの」であるなんて、ちっとも気づかないだろう。だって小説にとっては、あの突飛であべこべで辻褄が合って摩訶不思議な世界が、当たり前のことなのだから。

 そもそも、ラファティの小説は「変わりもの」という概念さえ知らないかもしれない。文庫本の帯に書かれた「SF界の奇想の王」という言葉も、きっと見てはいないだろう。ラファティの小説は、そんな気配を帯びていた。

 その「ごく自然な変わりもの」っぷりに溢れる作品を読むのは心地よくて楽しくて、私はまた彼の作品を読んでみたいなと思った次第だ。

 次に読むラファティ作品も、自分が「変わりもの」であることなんてきっと知らない。


 私は、そんな「変わりもの」を自称しない作品が大好きだ。だってそうした本当の「変わりもの」に接している時だけは、「普通」や「一般常識」といったごくありふれた感覚が、退屈なものではなく「作品の面白さを教えてくれる材料」に変わるから。

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