1-8. 長編を書き終えた後の寂しさがとんでもない

 最近、10万字くらいのボリュームの作品を2本書き終えた。そのうちの1本は、カクヨムに掲載した「ティーンズ・イン・ザ・ボックス」という物語だ。


「ティーンズ・イン・ザ・ボックス」

※現在は非公開


 上記作品と、別場所で公開予定の長編を書いている時に、共通してとある現象が起きた。

 物語の終盤が見えてきた途端、「やだーっ! これ以上書いたら終わっちゃう!」という気持ちでいっぱいになったのだ。

 そして、「嫌だ嫌だ……」と思いながらも物語を書き終えた瞬間。胸いっぱいの寂しさがこみ上げ、しょんぼりしてしまった。もちろん、書き終えた安心感や達成感はある。でも、それと同じくらい寂しくて仕方がなかった。


 ちなみに、先述の「ティーンズ〜」では、この中の「Disc.4若者たちはびっくり箱の中にいる」の前まで書いた時に、「やだーっ!」となった。その先にももう一山、物語の展開があるにも関わらず。

 とにかく、登場人物たちの物語をもう書けなくなること、彼らと別れるのが寂しかった。


 これは人による、作品によるのだろうけど、私の場合、一人称作品の場合はかなり他人事として物語を見ている。

 主人公は私の分身ではなく、「とてもよく知っている友達」みたいなもので、そんな友達が話して聞かせてくれた物語を、私が書き留めているような立ち位置だ。


 そのせいもあって、物語を書いている時間は、例えるなら友達とのお泊まり会みたいなものなのだ。布団の中に入って、あれこれ話をするあのワクワクした時間。

 だから、物語を書き終えるのは、友達が話すのをやめるのに等しい。お泊まり会が終わって、家に帰る友達を見送るような気持ちになる。ひとりぼっちになったみたいな寂しさが、心の中で溢れ出す。


 寂しくなったら、ひとまず意識的にインプットするように頭を切り替える。映画を見たり本を読んだり、音楽を聞いたり。そうやって現実世界の日常に戻ることで、物語をいい思い出に変えていく。


 こんなに寂しい思いをするなら、もう長編なんか書きたくない……。その時は一瞬思うのに、またしばらくすると、あれこれと長編作の案をExcelに書き留め始める。

 なんだか呆れてしまうけれど、カクヨム であれば多くの人が「わかるよ」と言ってくれるような気がする。

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