3-2.「表現したいこと」と「表現したこと」の関係性
一次創作では、この二つの関係は「≠」だと私は思う。
平べったく言うと、「このお話でなにを表現したかったの?」と聞かれた時に、「AとBがいて、二人が段々仲良くなって……」と答えるのではなく、例えば「AとBの対比を通して、人は絶望しても立ち上がる強さを持っているということを表現したかった」と答えられること。
それが、一次創作にとっての、「魂」だと信じて疑わない。
というのも、自分が昔、初めて文学賞で最終選考に残り、授賞式に招待された折、出版社の人との歓談中にされたこの質問に、うまく答えられなかった。
最終選考まで進んだのだから、それなりにうまい文章が書けて、展開も面白く、一定の評価をされたのだろう。
要は、「魂」がなくても物語は書き終えられる。でも、読み終わった後に、「だから何?」という空っぽな感覚が残る。きっと、それが分かれ道の一つの要因になったんだと思う。
だから、どんなに短い物語でも、長い物語でも、私は「何を表現したくて、この表現をしたのか」を考えるようにしている。もちろん、それは人に押し付けるものではないから、読者の人に聞かれても答えることはないけれど。
そして、この二つが良い塩梅で噛み合うことが、面白さに繋がるんだろうなぁと。(ちゃんと形になってるかは目をつぶってね、心意気としてはそうですという話です)
考えた物語が自分の一次創作である理由は、「魂」にしかない。一次創作の本質的に一番重要ないいところは、「魂」を自分のものにできる点なのかもしれない。
(前項目の「ルールを決められる」が広範囲へのいいところであれば、「物語の魂を自分のものにできる」のは、深い範囲へのいいところ……という感じです)
一方、二次創作の場合は、「表現したいこと」=「表現したこと」になって良いという自由がある。わーい。
なぜなら、だいたいの場合二次創作は、「Aさんのちょっと良いとこ(または悪いとこ)見てみたい」が、読み手と書き手の動機の多くを占めるから。
つまり、「こんなAさんが見たい!」というのをストレートに表現するのが、二次創作では一番喜ばれるし、楽しい。または、作中で描かれなかった部分を想像してみるとか。そういう、「表現したいこと」をどれだけわかりやすく明確に的確に「表現する」かが、二次創作では重要になるんだなぁと、よく思う。
そういう特徴があるので、二次創作の場合は「表現したいこと」と「表現したこと」がどれだけイコールになるかが腕の見せ所。「表現したいこと」のためならば、それ以外を多少簡略化しても許されるのが、二次創作のフットワークの軽いところで、私は結構面白いなぁと思ったりもする。
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