第35話 百葉箱の中のお札(後編)
僕と鏡花は藤田さんの店を出ると、学校に戻った。
2人は後から学校の駐車場まで来てくれる事になった。
帰り道で、鏡花が堀口さんにもSNSで連絡を入れた。
返信はすぐにあり、やはり来てくれる事になった。
「後は先生方だけね」
「本当に校長を説得なんてできるのかな?」
僕は少し疑問を感じていた。
「難しいかもしれない。だけどこのまま黙って災厄が降りかかるのを、放っておく訳にもいかないでしょう?」
鏡花はそう言ったが、どこか自信ありげだった。
「他の先生には、誰に言う?」
「堂明院先生、理科の山田先生、この学校に一番長い教頭の大野先生、この3人に言えば大丈夫でしょ」
学校は既に授業は終わっていた。
職員室に戻っている堂明院先生と山田先生を呼び出す。
話を聞いた堂明院先生は
「まったく授業にもろくに出ないで、次から次へと難問を……」
と呆れながら頭を掻いた。
「だけど、あの百葉箱にそんな云われがあるんなら、取り壊す訳にも行かないでしょ。地元の人達の声でもある訳だし」
と言ったのは山田先生だ。
堂明院先生も仕方ないと言った感じで
「わかってますよ。まずはこの話を教頭先生に相談しましょう。ちょっと待ってろな」
最後の方は僕達にそう呼び掛け、堂明院先生は職員室に戻っていった。
山田先生は
「ありがとう。おかげで助かったよ」
と言うと、堂明院先生の後に続く。
20分ほど待たされたが、やがて校長室から横田校長、大野教頭、堂明院先生、山田先生の4人が出てきた。
僕達の顔を見ると、校長先生はにこやかに言った。
「この学校の歴史と、郷土史に関する事で、どうしても聞いて欲しい事があるんだって?」
鏡花は軽く頭を下げてから言った。
「はい、そしてこれはこの学校の事件にも関係することなんです」
僕達6人は裏門を出て、駐車場の端にある百葉箱に向かった。
そこには既に藤田さんとお婆さん、そして堀口さんもいた。
全員が揃うと、鏡花は百葉箱の前に進み出て、口を開いた。
「皆さん、わざわざお集まり頂いて、ありがとうございます。今からこの学校に纏わる長い因縁について、お話したいと思います」
「この学校は長い歴史があり、それに伴い様々な怪奇現象を伝える話があります。生徒の間ではこれは『和泉中学の七不思議』と呼ばれています」
「私達はこの七不思議を調べていく内に、とても興味深い点を発見しました。それは『七不思議の一つの話が、次の新しい七不思議を生む原因となる』という点です。私はこれを『因縁の継承』と考えています」
突然、5月とは思えない冷たい風が吹いた。
全員が身体をブルっと震わせる。
鏡花を除いて。
「因縁が継承されるとすると、その一番最初の因縁は何だったのでしょうか?それがこの百葉箱に纏わる話です」
鏡花の白い手がひらりと百葉箱を指した。
「江戸時代初期、江戸の開拓のために、この土地では埋め立て事業が行われました。しかし作られた堤防は何度修復しても決壊してしまう。そこで土地神を鎮めるために、七人の子供が人柱となって生き埋めになりました」
何だろう、鏡花が話している内に、段々と気温が下がっていくような気がした。
ビルとビルの間を吹き抜ける風が、「ゴォ」と唸り声のような音を立てる。
「当初の予定は六人だったのに七人の子供を埋めてしまったせいか?拐われた上に無理矢理生き埋めにされた恨みのせいか?どちらかはわかりませんが、子供達の怨念は深くこの地に残り『神田堤の七人ミサキ』となって、怪奇現象を引き起こすようになりました」
風が強くなって来た。
鏡花の髪がその風に吹き上げられる。
「当時の村人はその祟りを恐れ、七人の子供の霊を慰めるため、この場所に祠を建てました。それが戦前まであった『七児神社』です」
「しかし戦後になり、GHQの『教育の場に神道に繋がるものがあると、軍国主義の復活に繋がる』という命令により、七児神社は取り壊さねばなりませんでした。ですがこの神社を壊せば、再び『神田堤の七人ミサキ』が甦るかもしれない。それを恐れたこの土地の人々は、神社には見えない小さな祠を作り、お札をその中に安置しました。それがこの百葉箱です」
鏡花は百葉箱の方を見つめてそう言った。
「ですが四百年もこの地で恐れられ、祈りを捧げられてきた魂です。その力は既に『この土地の神』にすらになっていると言えるでしょう。それを百葉箱一つで祟りが収まる訳がありません。その霊力が不当に漏れ出ることにより、この学校に様々な事件と怪奇現象を呼び込むことになってしまったのです。それがこの学校の七不思議の原因です」
鏡花がそう静かに話し終わった。
だがまだ周囲には、ゴウゴウという不気味な風の音が渦巻いている。
しばらくして校長が口を開く。
「君の言いたいことはわかった」
校長は百葉箱を指さした。
「つまりこれを壊したり、移動させたりすると、祟りがあるから辞めてくれ、と言いたいんだな」
校長の言い方は、あくまで丁寧だった。
「だけどそれは聞けないだろうね。この百葉箱を取り壊す理由は、駐車場を広げたいだけじゃない。地震などの災害時に備えて、北側にも避難路を確保したいからなんだ。これは生徒の安全にも繋がることだからね」
藤田のお婆さんが激昂した。
「バカな!ここまで説明しても、まだわからんとは!この百葉箱を壊すこと自体が災厄になる事がわからんのか!」
食って掛かろうとするお婆さんを、藤田さんが止めた。
ただし藤田さんの目付きも険しい。
「ここにあったお堂は、周辺住民にとっては大切な物だったんだ。それがGHQの命令によって強制的に撤去しろと言われた。この百葉箱は窮余の一策だったんだ。この地域住民の気持ちを無駄にするのか?」
校長はあくまで冷静だった。
「お気持ちは理解しました。しかし神社であればともかく、この百葉箱は学校の資産です。しかも今さら『祟りがあるかもしれないから、百葉箱は残して避難経路は作れない』とは言えないんですよ」
そう穏やかに言った校長に対して、藤田さんとお婆さんは剣呑な雰囲気で対峙していた。
一緒にいた堀口さんも、批難するような目を校長に向けている。
先生方は、と言うと大野教頭は戸惑っているようだった。
山田先生はどういう結末になるのか、ハラハラしているようだ。
堂明院先生は、ただ難しい顔をして鏡花の方を見ていた。
「『祟りがあるかもしれない』ですか?」
鏡花が怪しく笑った。
そして百葉箱の方に向き直ると、鍵を差し込み、扉を開けた。
中から水の入ったコップを取り出す。
そして少しだけ口に含むと、「プッ」という軽い音と共に霧状に水を吹き出した。
「な、なにをするんだ?」
校長が怒気を含んだ声でそう言った。
他の人も呆気に取られている。
「この百葉箱の霊域を少しだけ広げました」
そう言うと鏡花は、百葉箱からお札を取り出した。
鏡花の長い髪が、まるで静電気を帯びたようにフワっと拡がった。
いや、彼女自身が青白い電気を帯びたようだ。
鏡花はそのまま静かに、校長先生の前に歩み寄った。
「校長先生、これが『この地に眠る怨念』です」
そう言って右手を校長の額に当てた。
次の瞬間の校長の様子は、僕にとっては衝撃だった。
鏡花に右手を当てられた校長は、目をカッと見開いた。
その目は飛び出さんばかりだ。
そして口は何かを叫ぼうとして、そのまま形で止まっている。
両手は何かを掴もうと、指が鍵型に曲げられている。
そして全身は硬直し、同時にガタガタと震え始めた。
目からは涙が、鼻からは鼻水が、口からは涎がこぼれる。顔中から脂汗が流れ出した。
だが校長は全身を固まらせたまま、一言も発せずに、ただ震え続けている。
「鏡花!止めろ!」
堂明院先生がそう叫んだ。
それを聞いた鏡花は、校長の額に当てた右手をすぅと下ろした。
それと同時に、校長先生の身体が糸の切れた操り人形のように、ドゥっと音を立てて地面に倒れ混む。
すかさず堂明院先生が、校長の身体を支えた。
校長は荒い息をつきながら、恐怖の目で鏡花を見上げた。
そんな校長を見下ろしながら、鏡花は静かに言った。
「いま校長先生が見たのは、幻ではありません。そして校長先生、あなたが落ちる先かもしれません。この土地に眠る怨念は、あなたが考えるような生易しいものではないんです」
そこで言葉を一旦区切ると、次に問いかけるように言った。
「校長先生、あなたは既に、これを見たんじゃないですか?夢の中で」
校長は取り出したハンカチで顔を拭きながら答えた。
「あ、ああ。ここまで鮮明じゃなかったが「地獄の縁を歩いている」悪夢に悩まされていた。その原因がこれだったのか……」
「きっとそれは警告です。今ならその程度で済みますが、本当に撤去したら何が起こるか……」
校長は沈黙した。
その時、遠慮しながら大野教頭が提案を述べた。
「あの、ここにはもう一度お堂を再建しませんか?小さい祠でいいんですから。そして北側の避難路も作りましょう。地元の人も入れるような。駐車場は諦めて」
それに堀口さんも同意した。
「そうですよ、別に本格的な神社にする必要はないんです。ただ小さく囲って、祠を建てればいいんです。別に今は学校の敷地に祠があっても、何も問題はないでしょう。そしてその由来を載せれば、歴史の一ページを教えるという事でいいんじゃないでしょうか?」
藤田さんもそれに賛成した。
「是非、そうして頂きたい。そうして貰えるなら、この町内会でも祠を建てるための費用は負担しますから」
その様子を見た校長は、ゆっくりと立ち上がりながら言った。
「解りました。皆さんもそうおっしゃってくれるなら、ここには避難路と一緒に小さな祠を建てる事にします。それと一緒に貴重な郷土史の資料として。それで少しでも人柱となった子供達の魂が慰められるなら……」
校長も、先生方も、藤田さんも、堀口さんも。
その場にいる人は、皆安心したような表情を浮かべた。
僕もホッとした。
鏡花の方を見る。
「これで七不思議は全て解消されたんだね」
だがそう言ってすぐにハッとした。
鏡花の表情は、少しもうれしそうではなかったのだ。
何かに耐えるかのように、下唇を噛んで、上目使いにその場にいる全員を睨んでいた。
そして小さく、本当に小さく、聞えるか聞えないかの声でつぶやいた。
「まだ、一つ、ある……」
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