第34話 百葉箱の中のお札(中編)
「でも、本当に大丈夫かなぁ」
山田先生が不安そうに、ため息混じりに言った。
「そうですね。校長は今年赴任されたばかりだから、この学校の話はあまり知らないですしね」
堂明院先生まで声のトーンが低い。
「あとは教頭先生が説得してくれる事を期待するのみだが、難しそうだよな」
山田先生はさらに大きなため息をついた。
「どういうことですか?」
僕達が聞くと、堂明院先生は少し難しい顔をしたが、結局は話してくれた。
「いや、この百葉箱は取り壊す事になったんだよ。これを無くせば車がもう2台置けるようになるからね。それと北側にも出入り口が出来る」
「そんなことして、大丈夫なんですか?『百葉箱の中のお札を触ったり、動かしたりすると、祟りがある』って言われているのに」
堂明院先生は頭を掻いた。
「でもなぁ、その話の由来ってわからないんだよ。百葉箱を移設しようとした用務員が死んだって話と、大昔に理科の先生が変死したって話だけだろ?この学校は都内でも1・2を争うくらい古い学校なんだ。その間に、事故死や病死があったからって、全て祟りだの呪いだのって、言えないだろ」
僕達は黙り込んだ。
確かに堂明院先生の言う通りだ。
だが山田先生はポツリと言った。
「理科教師の私がこんな事を言うのも何なんだけど。でも百葉箱には関わるなって言うのは、ずっと以前から言われていた事なんだ。私達だけじゃない。近所の人だって、この百葉箱は恐れている。「粗末にすると恐ろしい事が起きる」ってね。古くからこの土地に住んでいる人は、率先してこの百葉箱の周囲を掃除していた。私が生徒だった時代から、そういう習慣があったんだ」
鏡花がじっと百葉箱を見つめた。
「これは触れてはいけない。絶対に」
そして「この百葉箱の由来を調べれば……」と。
僕も先生達の方を向き直る。
「そうですよ、この百葉箱の由来を調べればいいんですよ!」
「百葉箱の由来?」
山田先生がオウム返しに言った。
「そうです。その由来に意味があるものだったら、校長先生だって考えを変えるかもしれないですよね!」
「この百葉箱、何の意味もなくここにあるとは思えない。少なくとも、何のためにここに置かれたのか、それは調べないと危険……・」
鏡花の語尾は消え行くようだった。
山田先生が言った。
「私からも頼む。この百葉箱の由来を調べて欲しい。何かあるような気がする。それを知らずに取り壊してしまうと、大変なことが起きるような気がするんだ」
だが、それを聞いていた堂明院先生は、難しい顔をして山田先生を見ていた。
「百葉箱ねぇ」
堀口さんはそう言いながらため息をついた。
「私もあの百葉箱については『中のお札を触ったり、動かしてはいけない』としか聞いてないのよね。そもそもだいぶ前からある話だし……」
僕と鏡花は隣接する図書館に来ていた。
百葉箱を見た後、学校の図書室にも行ってみたのだが、それらしい記録は無かった。
それで「学校の記録ではなく、この土地の歴史を調べよう」と言うことになったのだ。
「学校にあった記録で、一番古かったのは昭和三十三年のもので、それに載っていた七不思議がこれです」
そう言って、僕達は一番古い文集のコピーを広げた。
「この中で戦争に関連する話は、『焼け焦げた卒業写真』『演じてはいけない台本』『血で書かれた手紙』『不幸になる自転車』『体育館の床の染み』の5つなんです」
鏡花が一から五までを、指でなぞる。
「それで『欠け梅の木』の話だけは、因縁の由来が江戸時代初期なんです。もしかしたら『百葉箱』の話も、戦前、いやそれ以前のかなり古い話じゃないかと思って」
「欠け梅、欠け梅」
堀口さんはその言葉に思い当たるものがあるらしい。
「それってどんな話なの?」
僕達は説明した。
「江戸時代初期に、この付近を埋め立てするために堤防を作ろうとしたんですが、それがうまく行かなくて、人柱を立てることに決まったんです。その時に通りかかった旅の僧を埋めた後に、生えてきたのが『欠け梅』の木だって話です」
「えっ、その話って……」
堀口さんは意外そうな顔をした。
「ちょっと待ってて」
そう言うと図書室のカウンターの奥に消えていった。
「堀口さん、何か知っているのかな?」
僕はそう鏡花に話しかけたが、鏡花はリストを見つめたまま、口を閉ざしていた。
15分後、堀口さんは
「あった、あった!」
と言いながら、一冊の古そうな冊子を持ってきて、僕達の前に置いた。
「外神田・善昇寺の過去帳を読み解く」
と書かれている。
筆者は「佐伯俊夫」という人で、どうやら自費出版の本らしい。
「これの『江戸時代初期』の「神田堤の七児神社」を読んでみて」
堀口さんにそう言われ、僕と鏡花はさっそくページを開いてみた。
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「神田堤の七児神社」
外神田武家屋敷、藤田家のそばに小さな祠があり、付近の人からは「七児神社」と呼ばれている。
江戸時代初期、徳川家康が江戸幕府を拓く時に神田明神下の湿地帯をから日比谷浦にかけて、駿河台の神田山を切り崩して埋め立てた。
この時に神田川や入間川(隅田川)の氾濫を防ぐために「神田堤」と呼ぶ堤防を作成しようとしたが、何度作っても堤防は崩れ、うまく行かなかった。
そこを通りかかった旅の僧が「6人の子供を人柱にすべし。さすれば土地神の荒魂が静まる」と予言した。
工期の大幅な遅れに焦った役人は、周辺の村から親がいない子供を拐ってきた。
しかしその内の一人は「小さい弟をおぶった女の子」であったが、そのまま6つの穴に入れて七人を人柱とした。
しかしこの後、この一帯で「子供の泣き声」や「七人の子供の幽霊」が見られるようになり、その姿を見た者は変死するなどの怪異が続いた。
村人は「人柱の子供が七人ミサキになった」と考え、子供達の霊を慰めるため、祠を立てたと言う。
また、この背中に負われていた子は梅の実をかじっており、そのまま埋められた。
それ以来、この土地には1本は「半分かじられた梅の実」が出来るようになり、人々は「欠け梅」と呼んで、欠け梅の実ができる年は凶事がある、と言う言い伝えがある」
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「これって・・・」
僕は思わす声をあげると、堀口さんが納得したように言った。
「私が知っている話はこっちよ。話の筋は概ね同じだけど、人柱として生き埋めになったのが、『旅の座頭』か『拐われてきた七人の子供』かが違っているわね」
七人、ここでも七人ミサキという言葉が出てきた。
七人の生き埋めにされた子供、七人ミサキ、七不思議……
鏡花が、本の一番後ろの奥付けの部分を確認した。
その様子を見た堀口さんが先に説明する。
「この本を書いたのは、佐伯俊夫さんと言うアマチュアの郷土史家ね。と言っても、この本も自費出版されたもので、ここには寄贈されたものだけどね」
「この作者は、今もご存命ですか?」
「どうかな。この本が発行されたのが昭和50年代だから、もう亡くなっている可能性も高いわね」
「この本の元になっている善昇寺と言うのは?」
「戦前くらいまで浅草橋との中間くらいにあったお寺だそうよ。今はとっくに廃寺になっているけど」
「ここに協力者として”藤田トヨ”って名前があるんですが、この人は?」
「よくわからないわね。ただ江戸時代には、この辺りに藤田家って言う武家屋敷があったそうだから、その子孫かもしれないわね」
僕はその名前を見た時から思い出していた。
「ねぇ、この前の定食屋さんが藤田さんだったよ。もしかして何か関係があるかも」
「私もそう思っていた。それにあの時にお婆さんが『あそこには七人の拐われた子の恨みが埋まっている』と言っていた。もう一度、話を聞きに行った方がいいかも」
堀口さんが僕達2人を見つめる。
「面白そうね。私も一緒に行きたいんだけど、まだ勤務時間だしね。でも一人で危ないことはしないでね。この本は貸出し禁止なんだけど、特別に持っていっていいわ」
その日はもう午後6時を回っており、藤田さんのお店も忙しくなる時間なので、訪問するのは明日にすることにした。
翌日、やはり午後2時過ぎに、僕と鏡花は藤田さんのお店を訪れた。
「やあ、また来たんだ」
藤田さんは明るく僕達を迎えてくれた。
今日はお婆さんも、藤田さんの母親らしき人も、お店の後片付けを行っていた。
「このまえ話していた『学校裏の井戸』のこと、例の三人が佐山君の家族に謝罪したんだって?」
僕は疑問に思い、藤田さんの方を見た。
僕達はあの後、あの4人がどうしたか知らないし、藤田さんは逆になぜその事を知っているのか?
「いや、付き合いのある同級生から連絡が来てさ、中村・石田・加原の三人が佐山君の家に謝罪に行ったって聞いたんだ。僅かながらでも賠償するって。もう時効だから事件にはならないだろうけど、そんな事もあるんだなって言ってたよ」
僕は何となくうれしかった。
少なくともあの3人は、佐山さんを死に追いやった事を償おうとしているのだろう。
これで佐山さんの魂が慰められるなら、僕達が七不思議の謎に挑んだ価値がある。
「で、今日は何の用だい?」
そう聞く藤田さんに、僕達は言った。
「和泉中学にある百葉箱について、お聞きしたいんです」
藤田さんの表情が、サッと曇った。
「百葉箱?」
「ええ、今度は駐車場にある百葉箱について調べているんです。『触ってはいけない、動かしてはいけない』と言われているんですが、その由来がわからなくて」
そこで鏡花は例の冊子を取り出した。
「ここに『神田堤の七児神社』という話が書かれています。この本の作者は佐伯さんという方ですが、協力者に『藤田トヨ』という名前がありました。この方は藤田さんの関係者ではありませんか?」
するとお婆さんが「ヤレヤレ」と言いながら、腰を伸ばしながら言った。
「藤田トヨは、私の母親じゃよ」
老婆はそれまで自分が拭いていたテーブルに座ると、僕達にも座るように促してくれた。
「いつかこの事を聞きにくると、思っておったよ」
だがすぐに遠くを見るような目で言った。
「この事は、土地の者はあまりしゃべりたがらんからな。新しく住んだ人間は、話自体を知らんだろうし」
「お婆さんはこの前『あそこには七人の拐われた子の恨みが埋まっている』と言いましたよね?それはこの冊子に載っている『神田堤の七児神社』のことですか?」
老婆はゆっくりうなずいた。
「そうじゃ、この辺り一帯は、江戸幕府が開かれるまで東京湾に面する湿地帯だったそうじゃ。そこを神田山を切り崩して埋め立てたんじゃ。しかしここは山手台地から流れ出す神田川と入間川がぶつかる辺りで、せっかく作った堤は崩れ、埋め立て工事は中々進まなかった。」
老婆を語るのを、僕達はじっと聞き入った。
「そんな時に通りかかった旅の僧が『ここの土地神を鎮めるには六人の子供を人柱にする必要がある』と告げた。当時の役人は付近から、親がいないと思われる子供を拐ってきた」
店主が老婆にお茶を持ってきた。
老婆はそれを一口飲んで喉を湿らす。
「その最後の一人は、小さい弟を背負った女の子じゃった。しかしその2人共が6つ目の穴に埋められてしまった。それからじゃ、この土地が「神田堤の七人ミサキ」に祟られるようになったのは」
老婆は一度、ガラス戸ごしに外を見やった。
「その祟りを恐れた村人は、七人の子供の霊を鎮めるために、七児神社が建てたんじゃ」
そこまでは本に書かれていた通りだ。
僕達が知りたいのは、その先だった。
「この前、和泉中学にはお堂があったけど、戦後GHQの命令で取り壊されたと言いましたよね?そのお堂って七児神社の事だったんじゃないですか?」
「そうじゃ。じゃがお堂を取り壊そうとした時から、おかしな事が続くようになった。工事現場での事故ばかりか、作業員同士の喧嘩や近所の愚連隊による殺人など、最後は現場監督が自分の頭を銃で撃ち抜いての」
「そこでお堂の代わりに百葉箱を建てて、お堂に見立てた?」
老婆は先ほどと同様にうなずいた。
「その通り。進駐軍が神社がイカンと言うなら、神社の代わりになるものを建てようと言うことになったんじゃ。そこで一見、お堂には見えず、そして学校にあってもおかしくないもの、という事でお堂を百葉箱風に作り替えて、同じ場所に建てておるんじゃ」
「では、百葉箱が壊されるような事になると?」
老婆の目が見開かれた。
「そのような事は決してさせてはならん!昔からのこの土地の者はみんな知っとる。『神田堤の七人ミサキ』の祟りが、再び甦るだろうことをな!」
店主も話に入ってきた。
「俺もずっと代々この土地にいた人間だ。あの社は四百年近く、この土地で祀られているものなんだ。単なる怨霊ではないんだ。現代の人間には理解できないかもしれないが、あの百葉箱を壊すなんて話があるなら、絶対にそれは止めなければならない」
それを聞いた鏡花は、2人を見ながら静かに言った。
「今夜8時、和泉中学に来て貰えませんか?校長先生を説得するために、お2人の力が必要です」
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