第32話 学校裏の閉じた井戸(後編3)

 彼らは何を見たのか?

 僕は鏡花の方、いや、正確には鏡花の前にある香炉から立ち上った煙を見た。


 そこには、2つの人影が写っていた。

 一人は悶絶するような姿で、苦しんでいる作業服姿の男。

 もう一人は、逆さまでもがき苦しんでいる学生服姿の男。

 どちらも苦悶の表情を浮かべていた。

 その恐ろしい表情に、僕も知らない内に後ずさっていた。

 鏡花の言葉が夜の学校に響く。


「伊地知さんは、家族の事を考え、死ぬに死ねない思いでした。そして家族のために貯めていたお金を岡野さんに盗られた。その無念さは計り知れない!」


「佐山さんは井戸に落ちた時、まだ生きていた。井戸とポンプのパイプの間に挟まれていたんです。あの時、あなた達3人がすぐに助けを呼べば助かった!だがあなた達は、そ知らぬ顔で立ち去った。佐山さんは逆さ吊りのまま、十分な息も出来ず、声も上げられない状況で数時間生きていた。その絶望と恐怖は強い怨念となって、まだここに残っている!」


 4人共、鏡花の言葉を聞いているのかいないのか、凍ったように硬直して、煙の中に写る霊の姿を見続けていた。


「この2つは強い怨念となって、この学校の七不思議の一つとなっている。だけど、祟られるべきは私たちではない。あなた達だ!」


「私は霊の因果の道を作った!あなた達は現在、様々な霊障に悩まされているはず。だがこれから受ける祟りは、今までのものとは比べ物にならない!」


「ゆ、許してくれぇ~!」


 最初に叫んだのは、岡野だった。

 彼は体を丸めて膝まづくと言った。


「殺すつもりじゃなかったんだ!俺も故郷に金を送らないとならなかったんだ。だけど博打に負けて、さらに借金まで嵩んで……。最後はヤクザまで押し掛けて来た。どうしても金を作らなきゃならなかったんだ!」


 岡野の声は泣き声に変わっていた。


「本当に殺すつもりじゃなかったんだ。伊地知に『金を貸してくれ』と言ったら、けんもほろろに断られた。それでカッとなって、つい……」


 それを聞いてか聞かずか、石田と加原も口々に懺悔し始めた。


「俺達が悪かった。ほんの冗談のつもりだったんだ。遊びのつもりだったんだよ」


「お前がまさかあそこまで本気で怖がっているとは知らなかった。俺達が見た時は、もうお前が井戸の落ちる瞬間だった!止めようが無かったんだよ!」


 中村も絶望したように膝をつく。


「お、俺達は、こんな事になるなんて、思って無かったんだ。あそこでお前をイジメている事がバレたら、俺の内申書は悪くなる。高校受験にも影響してしまう。だから、だから言えなかったんだ……」


 だが煙の中に浮かぶ霊の姿は、変わることは無かった。


「どうしたら助かるんだ!頼む、教えてくれ!何でもする!」


 中村は霊に、そして次に鏡花を見て叫んだ。

 岡野と石田、加原も次々に同じことを口走った。

 だが彼らの叫びに対しても、鏡花は冷淡だった。


「どうにもならない。私にどうにか出来る訳がない。私は霊の想いを伝えるだけ」


 4人の苦悶の声が、夜の校庭に響いた。

 やがて鏡花が静かに、そして語りかけるように言った。


「だけど、あなた達が少しでも、霊の思いや恨みを、軽くするような事が出来れば、とりあえず祟りは受けないで済むかもしれない」


 それを聞いた中村が、岡野が、石田が、加原が、全員が顔を上げた。


「本当か?」


 だがそれに対しても、鏡花はあくまで冷たい。


「本当かどうかはわからない。霊のあなた達を恨む念は強い。だけどあなた達次第で、霊の気持ちを和らげる事はできるかもしれないだけ」


「それでもいい、教えてくれ!」


「あなた達がこれから先ずっと、死に追いやった伊地知さんや佐山さんに謝罪し続けること。そしてその遺族に補償を与えること。できる?」


「わかった、わかったから。約束する!毎日、謝罪する。遺族に補償もする!」


 岡野と中村がほぼ同時に言った。


「俺も」


「俺もだ!」


 石田と加原も、後に続いた。



 それを聞いた鏡花は、両手を交差させたかと思うと、香炉の上をかすめるようにして、勢い良く両側に開いた。

 香炉の灰がパッと飛び散る。

 それと同時に火も消え、それまで現れていた霊の姿も、煙と一緒にかき消すように消えていった。


 4人はそれを、まるで催眠術から解かれたかのように、呆けたような顔で見ていた。

 静かな中、鏡花の声がしんしんと響いた。


「私は呪いを解いた訳じゃない。私にはそんな事は出来ない。そして私は、第四階段の呪いと、学校裏の井戸の呪いを、あなた達へ結びつけた。これからこの2つの呪いは、あなた達だけに降りかかる」


 そして一息つくと、言葉を続けた。


「だけど、さっき言った事をあなた達が実行すれば、霊の思いは鎮まるかもしれない。後はあなた達次第……」


 それを聞くと、4人の男達はのろのろと立ち上がった。

 立ち去ろうとする時、鏡花が岡野に声をかけた。


「岡野さん、旧校舎の体育館を取り壊したのって、もしかしたら伊地知さんだったの?」


 岡野はまだ涙の跡が残る顔で、漫然とうなずいた。


「あ、ああ、そうだ。あの体育館を壊そうとすると、何故かおかしな事が起こってな。重機の調子がおかしくなったり。みんなやろうとしなかった。最後は現場監督が特別手当てを出す、という事になって、伊地知がブルドーザーに乗ったよ」


 それを聞くと鏡花は納得したようにうなずき、続いて中村に声をかけた。


「あなた達3人が佐山さんをイジメ始めた原因は、第四階段で佐山さんが『存在しない段』を踏んだから?」


 中村も、体の芯が抜けたような表情でうなずいた。


「最初は冗談のつもりだったんだ。階段で遊んでいて、そしたら誰かが『佐山が存在しない段を踏んだ』って。それで石田や加原が『コッチに来るな!祟られる』って言い出して。俺も面白ろ半分で、それに乗っかった」


 石田と加原は、もはや何もしゃべる気力も無いようだ。

 鏡花はやはり黙ってうなずいた。

 それを見た中村が


「アンタ、本当に霊と話せるんだな」


 と言い残すと、フラフラと立ち去っていった。



 4人の男達は去っていった。

 僕は彼らの後ろ姿を見ながら思った。

 彼らは、確かに罪人だ。

 それも人の命を奪ってしまったという、許されない罪の。

 だが、今や彼らにも、それぞれの生活があるだろう。

 そして家族も。

 彼らは、赦されるのだろうか?


 僕は鏡花の方を見た。

 彼女は何も言わずに、片付け始めている。

 鏡花は本当に不思議な少女だ。

 霊と話せる、霊の想いがわかる。

 今回は『呪いの矛先を、特定の人間に向ける』という事までやってみせた。

 こんな事、普通の人間に出来るだろうか?

 そして、そして……

 鏡花のスマホについていたストラップ。

 あれは聡美が付けていたストラップじゃないのか?


「鏡花……」


 僕はおずおずと声をかけた。

 鏡花はスポーツバッグに香炉と保温ポットを仕舞いながら、僕を方を見た。


「あの4人には、何て書いて呼び出したの?」


 鏡花は片付けをしながら答えた。


「それぞれの人に『あなたが過去に起こした事件を調べています。お話を聞かせて頂きたいと思います。もし応じて頂けない場合は、あなたの家族・会社・周囲の人に、私が調べた事を公開します』って」


「それだけ?」


 鏡花の動きがちょっと止まった。


「その後に『来て貰えれば、あなたが現在蒙っている現象を止められると思います』って」


「彼らは、祟られていたの?」


「実際にはどうだったか、わからない。だけどこれだけの怨念だもの、何らかの霊障が起こっていてもおかしくない。当てずっぽうだけど、当たってたみたいね」


 僕が次の質問をしようした時だ。

 玄関から、堂明院先生、理科の山田先生、図書館司書の堀口さんが出てきた。


「あんな事をして、大丈夫なの?」


 堀口さんが真っ先に言った。


「ホント、あの人達に何かされるんじゃないかって、ヒヤヒヤしたよ」


 堂明院先生もホッとしたように言う。


「だけどまあ、これで理科室の気味悪い現象も起こらないんだな?」


 これを言ったのは山田先生だ。


「ええ、たぶん」


 と短く鏡花が答える。

 僕は堀口さんに向かって聞いた。


「堀口さんはこの件と、どんな関係があるんですか?」


 だが堀口さんは、難しい顔をしている。


「納得できたでしょうか?」


 鏡花がそう聞く。

 だがそれにも堀口さんはしばらく沈黙していた。


「彼らが、トシ兄、佐山俊彦を殺したのね」


 またもや沈黙が流れる。


「いつから私と佐山俊彦が知り合いだって知ってたの?」


「知ってた訳じゃありません。ただ堀口さんは七不思議に関心を持っていた。特に1987年くらいに起きた事件について。わかったのは、佐山さんの住所が、堀口さんと同じアパートだった事がわかってからです」


 それを聞くと、堀口さんはフーっと深い溜め息をついた。


「トシ兄は従兄弟なのよ。母親が同士が兄弟なの。トシ兄の家は母子家庭でね。ウチの母親のそばに住んでいたの」


 僕は初耳だった。

 堀口さんが七不思議や和泉中学で起きた事件に詳しいのは、そんな事情があったのか?


「仲が良かったんですか?」


 僕がそう聞くと


「トシ兄は優しい人だった。あまりカッコ良いタイプじゃなかったけど。でもこれで叔母さんに報告できるかもしれない」


 と小さい声で言った。


「この事は公表するつもりか?」


 堂明院先生がそう聞くと、鏡花は軽く首を左右に振った。


「もう時効になっているでしょうし、彼らが約束通り遺族に賠償していく方が、霊にとっても安らぎになると思います」


「そうだな、それがいいかも。今さら公けにしても、誰の得にならないだろうしな」


 そう言った堂明院先生の方を、鏡花は向き直る。


「それじゃあ先生、後の事はよろしくお願いします」


 堂明院先生がうなずく。


「少しでも霊が鎮まるように、努力するよ」


 鏡花をそれを聞くと、スポーツバッグを抱え、そのまま校門に歩いて行った。

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