第24話 後をついてくる少女(後編1)

 鏡花に言われた通り、僕は第四階段二階のトイレの前に居た。

 第四階段は校舎西側にあり、裏門の路地に続いている。

 学校の南側は道路だが、北側や西側には大きなビルがあるため、第四階段付近はいつも薄暗い。

 普段からあまり近づきたくない感じの場所だ。

 女子トイレだから、当然僕は入れない。

 前の廊下で待っていた。


「僕になら見える、って、何だよ、それ」


 思わずグチが漏れた。

 自殺した少女には同情するが、あの歪んだ顔を見るのは、二度とゴメンだ。

 僕はジリジリとしながら、女子トイレの前に居た。


 やがて三十分近く経ってから、鏡花と一緒に堂明院先生と教頭の大野春子先生がやってきた。

 大野先生は、この学校で一番長くいる先生だそうだ。


「遅いよ、もう!」


 僕は不満を洩らした。


「ごめんなさい、先生の準備が必要だったから。何も無かった?」


 鏡花は素直にそう謝った。


「特に、何も」


 僕はちょっとだけ不満を滲ませて、そう答えた。


「ここが、そうなのか?」


 堂明院先生が、誰にという事なく、そう聞いた。

 僕が「そうらしいです」と答える。

 大野先生は「なぜ、今になって……」と小さい声で呟いた。


 鏡花は何も言わずに、女子トイレに入っていった。

 堂明院先生、大野先生が後に続く。

 男である堂明院先生が中に入ったので、僕も一番後ろから続いて入る。


 鏡花は一番奥の個室に入って行った。

 先生方の後ろから、鏡花が何をしているのか、覗きこんだ。

 鏡花は目を閉じて、個室の壁に右手をかざしていた。

 そして何かを探るように、右手を動かしていく。


 入り口とは反対側の壁の中央辺りに差し掛かった時、鏡花の右手の動きが止まった。

 人差し指と中指の先で、壁の一部を丹念に調べる。

 次に彼女はポケットからマイナス・ドライバを取り出した。

 そして壁のその部分をこじり始めた。

 壁は石膏ボードで覆われていただけなので、白い粉を落としながら、簡単に穴が空いた。

 壁は石膏ボードの後ろに木材を横に何枚も渡した構造になっている。

 その木材と木材の間に、鏡花は指を突っ込んだ。

 何かを取り出す。

 どうやら紙片らしい。


 鏡花はそれを開いた。

 それまで無表情だった鏡花の顔が、微かに曇る。

 鏡花はその紙片を、右手で軽く握って目を閉じる。

 三十秒ほどそうしていただろうか。

 やがて鏡花は目を開けると、紙片を堂明院先生に渡すと、静かに言った。


「この紙は供養してあげて下さい。それからこのトイレの個室も、除霊した後はお札を貼って、しばらく人が近づかないようにして下さい」


 堂明院先生が渡された紙片を開く。

 大野先生も僕も、その紙片を覗き込んだ。


「もういやだ。もういやだ。

毎日、毎日、こんな生活。

誰かに怯えて、皆の言葉に怯えて。

私は何も悪いことをしてない。

なのにみんなは、私の事を恐れ、避ける。

もう死にたい。だけど死ぬのも悔しい。

私は悪いことはしてないから。

でももう嫌だ、これ以上、生きているのも。

悔しいけど、私はこれで楽になりたい」


 そうボールペンで走り書きされていた。

 自殺した少女の、最後の、無念の叫びだった。


「ごめんなさい、ごめんなさい!」


 泣き崩れて、大野先生がそう言った。



 僕と鏡花は、生徒展示室に居た。

 あの後、鏡花は僕に


「もう一つだけ、やって欲しい事があるの」


 と言った。


 正直なところ、この件にはもう関わりたくなかったが、そもそも七不思議の調査をお願いしたのは僕だ。

 それと鏡花の言葉には、何か怪しい響きがあった。

 そう、何となく彼女の言う通りにしたくなるような響きがあるのだ。


 西洋の魔女にセイレーンという話がある。

 海の魔女セイレーンの歌声を聞いた人間は、その言葉通りに操られ、やがて船は沈んでしまうらしい。

 セイレーンは、見るものを一目で魅了する美女だと言う。

 鏡花にも、そんな力があるのではないか?

 僕はそんな事をボンヤリと考えていた。


 鏡花の方は、この部屋に戻ってきてからずっと七不思議のリストと、過去の文集を見比べていた。

 すでに日は大分落ちてきた。

 黄昏時の部屋の中は、金色の光で満ちている。

 その中で鏡花も金色の光に包まれていた。

 僕は目をしばたく。

 鏡花の姿が、半透明になったような気がしたからだ。

 黄昏の光の中で、鏡花の存在が希薄になったように感じられた。


「鏡花!」


 僕は思わず大きな声を出していた。

 さすがの鏡花もビックリしたようだ。

 僕の方を見ると「なに?」と言った。

 目には非難の色を浮かべている。

 僕は焦った。

 さっきは彼女が消えてしまうそうに感じたからだが、それは口に出来ない。

 慌てて話題を探す。


「え、えっと、あのさー、そう言えば、ホラ、例の『演じてはいけない台本』なんだけど、どうして鏡花はお寺で供養されているって、知ってたんだ?」


「話してなかったんだ」


 そう言って鏡花は、読んでいた文集を机に置いた。


「『演じてはいけない台本』が納められているのは、堂明院先生のお寺なの。堀口さんが話してくれた通り、以前から色々といわくのある品らしくって」


「じゃあ台本のことは、以前から知っていたんだね」


「大体のところは。でも改めて調べたのは最近。前回、『演じてはいけない台本』か『第四階段』のどちらかの因縁が『女子トイレの一番奥』に引き継がれたと考えたでしょ。それで『演じてはいけない台本』について、堂明院先生に確認してみたの。そうしたらお寺に納められたのは、女子トイレで自殺のあった直後だって判ったわ」


「そうか。でも台本の因縁は、女子トイレの自殺で、解消されたんじゃないの?」


「あれはそんな甘いものじゃない」


 そう言うと、鏡花は窓の外を見た。

 既に教室の中は薄暗くなっていた。

 その中で鏡花の横顔が白く浮かび上がる。

 しばらくして、鏡花は僕の方を向き直るとこう言った。


「そろそろ、だわ。最後の後始末。たぶん恭一君にしか出来ない事だから」

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