第19話 図書館にある題名のない本(後編1)

 まだ時刻は午後四時半だ。

 学校を出た僕と鏡花は、平野夫妻が住んでいる住所まで行ってみることにした。

 平野夫妻が住む公営住宅までは三十分もかからない。


 エントランスにあるオートロックで、部屋番号を押す。

 しばらく間があって、女性の返答がインターフォンから流れる。


「どなた?」


「和泉中学の図書委員を担当している影見といいます。寄贈いただいた本に関して、少しお聞きしたい事があって伺いました。十五分ほどお時間を頂けないでしょうか?」


 事前に、最初に話すのは鏡花と決めていた。

 こういう場合は女の子が最初に話した方が、相手は受け入れやすいだろう。

 五秒くらい相手の反応はなかった。

 だがやがて


「和泉中の生徒さんなら仕方がないわね。いま開けるから、上がって来て」


 と返答があり、エントランスのドアが開いた。


 出迎えてくれたのは奥さんの方・平野かおりさんだ。

 小太りでガッチリしたの感じ中年女性だった。

 僕達はリビングに通された。


「それで、聞きたい事って、なに?」


 平野さんはそう言いながらタバコに火をつけた。


「この本の事です」


 鏡花はカバンから例の『題名のない本』を取り出した。


「この本にはタイトルも出版社もありませんでした。どういう本でどのような由来で学校に寄贈されたのでしょうか?」


 平野さんは、深く吸い込んだタバコの煙を一気に吐き出すと言った。


「やはりその本のことなのね」


 さらに二~三回続けてタバコをふかす。


「その本は娘が書いた詩集なのよ。自費出版したの。だから出版社なんてないわ」


「娘さんは和泉中の卒業生なんですか?いまはどうしているんですか?」


「死んだわ」


 平野さんは感情を押し殺した様子で言った。

 僕はこの言葉を予想していたので、それほどショックでは無かった。

 でも平野さん自身は出来れば口にしたくない言葉だろう。


「もう何年も前にね。小学校高学年くらいの時から、身体の麻痺が始まって、入院と退院を繰り返していた。世界でも十数例しかない珍しい神経性の難病だったの。中学になってからは、ついに一度も学校に通う事が出来なかったわ」


「亡くなったのは、2011年ですか?」


「ええ、平成二三年の秋だった」


「それで彼女の思い出の品である詩集を学校に寄贈した?」


「そう、『良美も学校に通いたかったろう。せめて良美の残した詩集だけでも、学校に置いて貰えないか』って、ウチの人が言い出してね。あの子の書いた絵と詩集を自主出版の形で本にして、和泉中にも置かせてもらったのよ。アタシとウチの人も和泉中の卒業生だしね。あとは親戚に配ったりしたわ」


 そう言いながら平野さんはタバコを灰皿に押し付けた。

 続けて二本目を咥えて火を付ける。

 鏡花は詩集の最後のページを開いた。

 平野さんに差し出す。


「ここに少女と滝の絵が描かれています。何か覚えはありませんか?」


 それを聞いて、僕はビックリして思わずその絵を覗き込んだ。

 そこには下書きと言うか、殴り書きと言うか、そんな感じで、女の子と滝らしきものが描かれていた。

 女の子の頭の上から紐と言うか煙のようなものが出ていて、それが滝に吸い込まれていくようにも見える。

 しかし鏡花は、いつこの絵の事を知ったのか?

 図書室では例の『挿絵の少女がしゃべった』ページまでしか、見ていないはずだ。


「滝?」


 平野さんも驚いて、その絵を凝視した。


「こんな絵、こんな絵、あったのかしら?いつ?」


 そう言いながら、タバコを持つ手が小さく震えている。


「『滝』と聞いて、何か思い当たることはありますか?」


 鏡花はさらに問いただすように聞いた。


「私が賞を取った写真が『滝の写真』だった……」


 平野さんの顔色が若干青ざめたように感じた。


「私は和泉中の写真部だった。ウチの人も同じ写真部の同級生。私とダンナは写真撮影のために群馬に行った。そこで撮った写真がある雑誌の賞の優秀賞に選ばれた。それが『滝を渡る鳥』という写真で、滝を背景に鳥が飛んでいる写真だったわ」


「その写真を、見せてもらうことはできますか?」


 平野さんは首を左右に振る。

 タバコの先にだいぶ灰が溜まっていた。


「写真はここには無いわ。賞を取ったから学校の展示室に飾られていた。それにちょっと変な噂が立っちゃって……そのまま学校に寄贈したの」


「それってもしかして『写真から泣き声がする』って噂ですか?」


 平野さんはジロリ、と睨んだ。


「そうよ。「和泉中の七不思議の一つ」って言われたわ」


「その滝の場所を教えてもらえますか?」


「群馬県の川場村にある『三唱えの滝』って言う所だけど、どうしてそんな事を知りたがるの?」


 そこまで言った時、平野さんの顔色が変わった。


「まさか、まさか、あの子があの滝の、あの写真の祟りで死んだって、そう言うんじゃないでしょうね」


「それはわかりません。ただ娘さんの詩集が、今の和泉中七不思議の一つとは言われています」


 そう言いながら鏡花は詩集を仕舞い、帰り支度を始めていた。

 平野さんが下を向いたまま、つぶやくように言った。


「そんな事って……あの滝はウチの人が私に告白してくれた場所。そして初めて結ばれた思い出の場所なのに……」


 鏡花は無表情で、誰に言うともなく言った。


「滝は霊が集まりやすい所。そして昔からいわれが多い所。そんな場所で不用意な事をすれば、要らぬ禍いを招いても不思議じゃない……」


 その言葉を聞いたのか、聞いていないのか。

 平野さんは疲れたように顔を上げると、こう言った。


「悪いけど、もう帰ってもらえない?聞きたい事は全部聞いたでしょ?」


 鏡花は立ち上がった。

 僕も慌てて立ち上がる。


「どうもありがとうございました。色々と不愉快な事までお聞きしてしまって、申し訳ありません」


 僕らは丁寧に頭を下げた。

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