第16話 笑う絵(後編)
その日の夕方六時過ぎ、僕と鏡花は再び学校に向かった。
昼間では絵は笑わないし、そもそも近藤先生も堂明院先生もクラブの指導があったためだ。
僕には一つ不満があった。
鏡花はなぜ堂明院先生を呼んだのか?
関係のない人はできるだけ巻き込まないと言ったのは彼女だ。
近藤先生はわかる。美術の先生だから。
だが堂明院先生は呼ぶ必要はないはずだ。
僕は鏡花との二人だけの世界の中に、堂明院先生が割り込んでくるようで嫌だった。
校門の所で鏡花と落ち合い、二人で職員室に向かう。
職員室のドアを開けると
「おお、待ってたぞ」
と堂明院先生が出てきた。
職員室には、あとは近藤先生しかいなかった。
近藤先生は僕達の方を見ると苦笑いしていた。
「あんまり変な噂を広めるな、って言ったのに。堂明院先生まで巻き込んじゃって」
「変な噂が広まらないためにも、何も起こらないのか、それとも何か起きるのか、確かめたいんです」
僕がそう言うと、近藤先生はヤレヤレと言った様子で席から立ち上がった。
「仕方がない、それじゃあ行くかい?」
僕達と近藤先生、堂明院先生の四人は、薄暗くなった校舎の中を美術室に向かった。
あえて電灯などは点けないようにお願いしていた。
僕と鏡花は、これまで調べたことをかいつまんで先生に話す。
警備員のあいだでは「笑う絵」の話は有名であること、「笑う絵」がこの学校の卒業生である若月さんの家にあったこと。
若月さんの家にある時は「絵が笑う」という怪奇現象は無かったこと、この学校にあった「首取りの鎧兜」を若月さんの家に持ち出してから若月家が没落したこと、「首取りの鎧兜」は戦国時代の武将である安西景将のものであった可能性があること。
「よくそこまで調べたな」
近藤先生は半分感心、半分呆れた調子でそう言った。
「この学校の警備員バイトをしてるって、もしかして吉田君のことかな?」
堂明院先生が尋ねた。
「その人を知っているんですか?」
僕がそう聞くと
「でも彼自身は、そんなの見たことないって言ってなかったか?まぁ彼はそういうオカルトを信じるタイプじゃないが」
とあいまいな言い方をした。
美術室は校舎の東側にあるため、到着した時は室内は真っ暗だった。
「じゃあいいか、ドアを開けるぞ。しっかり見ろよ」
そう言って近藤先生は美術室のドアを解錠し、勢いよく開けた。
美術室の中は真っ暗だった。
だが暗闇に目が慣れてくると、段々と物の輪郭が見えてくる。
最初は机や椅子、壁際の石膏像、その後から壁にかけられた絵。
目的の『笑う絵』は右側の壁の一番奥だ。
その辺りに目を凝らしてみるが、四角い額縁があることが解るだけで、絵に描かれた人物さえわからない。
「このままじゃどうしようもないだろう。懐中電灯だけ点けるぞ」
そう近藤先生は言って、懐中電灯を点けた。
暗闇の中で一部分だけが丸く切り取られたように浮かび上がる。
近藤先生は問題の婦人画の前に行った。
「ほら、見てみろ。どこにも変わったところなんて無いぞ」
先生はライトで絵を照らし出す。
僕達も絵の前に集まった。
昼間に見た時と同じだ。
無表情か微かに微笑んでいる表情で本を読んでいる。
「そうだな、微笑んでいると言えばそう見えるが、怪奇現象というほど笑っているようには見えないな」
絵に顔を近づけてまじまじと見ながら、堂明院先生もそう言った。
「やっぱり光の加減か何かで、笑っているように見えたんだろう。呪いとかじゃないよ」
近藤先生がそう言った時だった。
……ぉぉぉぉぉぉ……
どこかで何かの音がした。
「もういいだろ。それじゃあ帰るぞ」
近藤先生は僕達を廊下の方に出るように、手で促した。
僕は疑問を感じながらも廊下の方に向き直る。
先生には気づかないのだろうか?
そう思っている間にも、物音はさっきより大きくなっている。
僕達に続き、近藤先生が出口に向かおうとした時だ。
持っていた懐中電灯が、パパッと明滅したかと思うと、そのまま電気が消えてしまった。
「あれ?接触不良かな?それにしてもこんなタイミングで」
近藤先生がそう言って懐中電灯を軽く叩いた時、堂明院先生が低い声で
「近藤先生、何か聴こえませんか?そう、これは……」
と言い出した。
……ぉぉぉぉぉぉ……
そう、耳なりのような、それとも遠くの音のような。
この音は確かに聞こえる。
……ぼぅぉぉぉぉぉ……
これは何かが燃えている音だ。
遠くで何かが燃えているような、そんな音。
「う、うわあぁぁぁあっつ!」
近藤先生が圧し殺したような呻き声とも悲鳴とも言えないような声を上げた。
僕達は近藤先生の方を見る。
近藤先生の目は、壁の絵に釘付けになっていた。
そして絵は……
笑っていたのだ!
さっきまでの微かな微笑みでは断じてない。
目を吊り上げ、三白眼でこちらを睨み、呪いの言葉を吐いているかのように、口をカッと開いて、邪悪な表情で笑っていた。
そしてその背景は……真っ赤に燃えていたのだ。
座っているソファも、部屋のカーテンも、全てが!
まるで火事の内部を写し出したかのようだ。
パチパチと言う音まで聞こえてくる気がする。
「!!!」
近藤先生は思わず後ずさり、後ろにあった机にぶつかって倒れそうになる。
それを素早く堂明院先生が支えた。
「これは……」
堂明院先生も目を丸くして『笑う絵』を見つめいていた。
僕はその横で震えていた。
絵の中の女性が、炎と共に今にも抜け出て来るように思えたのだ。
そんな中、鏡花がついっと前に出た。
絵の真正面に立つと、右手を胸の前に上げて、絵に手をかざすようにした。
鏡花は静かに絵を見つめると、口の中だけで小さく何かを呟いた。
呪文とかお経とかじゃない。
絵に何かを話しかけたようだった。
すると『笑う絵』は何の前触れもなく、普通の絵に戻っていた。
昼間に見たごく普通の読書する婦人の絵だ。
鏡花は静かに右手を下ろした。
そしてまるで浮いているかのように僕達の方に体ごと向き直る。
堂明院先生の方を見ると
「終わりました。後の事はよろしくお願いします」
そう言うと、静かに美術室を出ていった。
僕は先生達と鏡花を交互に見ていたが、やはりすぐに鏡花の後を追った。
鏡花は僕が追い付いた事など、気がつかないかのように、スーっと音もなく歩いていく。
「ねぇ、先生方をあのまま美術室に置いてきちゃったけど、大丈夫なの?」
僕がそう聞くと、鏡花は振り向きもせず
「心配?」
と聞き返した。
僕が黙っていると、彼女は自分から言葉を続けた。
「大丈夫。おそらく霊の気持ちも収まっているはずだし、堂明院先生もいるから」
「そう言えば、保健室の時も、堂明院先生に『後の事はお願いします』って言ってたよね。あれってどういうこと?」
「堂明院先生の実家は、魔除けでは有名なお寺なの。そういう”曰く付き”の品なんかも預かってくれるのよ。堂明院先生自身も仏教系の大学を出ているし」
ーえ、そうなの?ー
と僕は声を出さずに思った。
そもそも鏡花はどうしてそんな事を知っているのか?
だが僕はもう一つの疑問の方を口にした。
「霊に気持ちも収まってるって、あの時、いったい何て言っていたの?」
鏡花は右手を顎に当てて、少し考えるようにした。
「『ここに居てはいけない』って。あなたの息子さんに会ってきた。あなたの息子さんは、あなたがここに居ることで、今も悪い縁から逃れられない、って」
僕が何とも言えないものを感じた。
怖いような、だけど心地よいような。
「霊は思念の塊なの。生きている人間と違って、目や耳で物を見たり聞いたりしない。だから霊には『自分の思うもの、自分の見たいもの』しか見えないし、聞こえない」
そういう鏡花の表情は、少し寂しそうだった。
翌日、週が明けて月曜日。
話によると、さっそくあの「笑う絵」は取り外されたようだ。
公けにはなっていないが、堂明院先生の実家のお寺に預けられたらしい。
僕としては、鏡花がどうして堂明院先生のことを知っていたのか、そっちの方が気になるが。
まさか堂明院先生に気がある……なんて事はないよな?
でも堂明院先生は、爽やかなイケメンだからなぁ。
後日……
僕はA組の前を通った時だ。
とある生徒が話しているのが聞こえた。
「俺のオヤジがさぁ、南房総に別荘持ってるんだけど、そこに鎧兜を飾ろうとしてるんだよ」
「スゲーじゃん、金持ちぃ~!」
「でもそれを持ってた人ってのが、地元の人らしいんだけど、自殺してんだよ。まだ四〇代くらいで」
「へー『呪いの鎧兜』ってわけか?」
「何でもその人の家は金持ちだったらしいんだけど、父親と母親が無理心中してるんだって」
「マジか、それホントに呪いっぽいじゃん」
「俺は気持ち悪いから止めろって言ってるんだけどさ。親父がその甲冑に入れ込んじゃって、どうしても買うって言ってるんだよ」
僕は思わず立ち止まった。
A組の中を除くが、誰がしゃべっているのか判らなかった。
まさか「あの鎧兜」の事でなければいいけど……
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