第12話 笑う絵(前編1)

 昼休み、僕はベランダに出ていた。

 相変わらずクラスの連中とは、今一つ距離感が掴めない。

 唯一、関係が縮まったのは、他のクラスメートと全く交流のない鏡花だけだった。

 ベランダに出ていると、四月中旬の風が気持ち良かった。


「美術室にある絵ね、」


 いつの間に隣に来ていたのか、鏡花が話しかけて来た。

 僕は目を丸くする。

 鏡花から話しかけて来たの初めてかもしれない。

 いま、ベランダに出ているのは、僕と鏡花だけだ。


「あのノートに書いてある通り、夜になると笑うんだって」


 そう鏡花が言った。


「それも例の警備員のバイトをしている大学生から聞いたの?」


 僕はどちらかと言うと、鏡花とその大学生の関係の方が気になったので、そう聞いてみた。


「そう。この前の『音楽室のピアノの音』の時にね」


 彼女は、風に柔らかく吹き流された髪を右手で押さえながら答えた。


「警備員の中でも、この学校の警備は嫌われているらしいの。変な事が起きるからって」


「鏡花の知り合いの大学生の人は平気なの?」


「その人は霊感とか全然ない人だから。逆に『割り増し時給がついていい』って言ってたわ。でも中には『笑う絵』を見た人もいるらしくて、そのあと精神を病んでしまった人もいるそうよ」


 僕は思いきって言ってみた。


「ねえ、その絵、今から見に行ってみない?まずはどんな絵なのか、見てみないと」


 実は『保健室のベッドに現れる老人』の件以来、ずっと考えていた。

 僕は全然役に立っていないことを。

 音楽室の件と保健室の怪を結びつけたのは鏡花だし、保健室の老人の霊を退散?させたのも、鏡花だ。

 僕から持ちかけた七不思議の謎解きなのに、自分が何もできていない現状がイヤだったのだ。


 鏡花は僕の方を見た。

 不思議な、形容しがたい色を目に浮かべている。

 彼女はもたれ掛かっていた手すりからゆっくりと体を引き離した。


「いいわ、行きましょう」


 まだ五時間目が始まるまで時間があるためか、昼休みの美術室には誰もいなかった。

 僕は美術室の中を一瞥した。


「どれが問題の絵なんだろう」


 美術室の中には何点かの絵画が飾られている。

 その中で人物画が三点、風景画の中に人物が描かれている絵が二点ある。

 鏡花はそれらの絵を一点一点注意深く見ていった。


「絵が笑うって言うくらいだから、表情がわかる程度には大きく描かれているはずよね」


 僕も鏡花の側に寄り、それらの人物画を見てみる。

 そこへ美術担当の近藤先生が入ってきた。


「あれ、五時間目はD組は美術じゃないだろう?」


 僕は慌てて言った。


「いや、美術室に面白い絵があるって聞いたんで。それを見てみたいと思って」


 近藤先生は怪訝な顔をした。

 マズイ、変な事を言ったかもしれない。

 鏡花はまるで先生が来たことなど、気にしていないかのようだ。

 絵を見たまま疑問を口にする。


「ここにある絵画とかって、先生が購入したものなのかしら?」


「え、そうなの?」


 僕がそう聞くと先生は答えた。


「全部が購入したものじゃないよ。寄贈を受けたものもある。ちなみにこの中で私が購入したものは無いな」


「寄贈を受けたものって?」


 僕と鏡花は、ほぼ同時に聞いた。


「その右の壁の一番奥にかかっている婦人画と、奥の壁の右から二番目にある風景画さ。石膏像では、窓際の右にある二体がそうだ」


 先生が教えてくれた絵画の中から、婦人画の方に近づいていく。

 婦人画は中年女性が本を読んでいる姿を描いたものだった。

 座っているソファや背景の部屋の様子から、裕福な暮らしぶりが感じられる。

 だが顔の表情は、笑っているかどうかはわからなかった。

 無表情と言えば言えるし、口許に微笑を浮かべていると言えば、そうも見える。


「この絵の由来とか来歴って、残ってないのかしら」


 僕も同じことを考えていた。

 とりあえず聞いてみる。


「この絵って、どうしてこの学校に寄贈されたんですか?」


 それを聞いて、先生は「ハハァ」と言う顔をした。

 ニヤニヤ笑いながら、近づいてくる。


「本当は七不思議の『笑う絵』を見に来たんだな。そうかそうか。笑うぞ、その絵は。よく見てみろ」


 先生は面白そうにそう言った。

 僕は改めて絵をじっくりと見る。

 だが、やはり「笑っていると言えば、そう見えなくもない」と言う程度にしか見えない。


 後ろに来ていた先生が説明した。


「絵画の中には、見る方向によって表情が変わってみせるテクニックがあるんだ。他にも、左右どちらから見ても鑑賞者の方を見つめているように見える技法とかね。まぁ、この絵が学校に贈られた状況と相まって、七不思議みたいな階段めいた話が出来たんだろう」


「贈られた状況って?」


 またもや僕と鏡花が同時に同じことを聞いた。

 こういうのも「気が合う」って言うのかな?

 近藤先生は少しだけ「しまった」という顔をしたが、すぐに「仕方ない」と言った様子で話してくれた。


「この絵の持ち主は、この近辺では有名な資産家だったんだ。だがバブル崩壊と共に事業が失敗したそうでね、家も土地も財産も全て手放してしまったそうだ。その時に『学校が貸していたあるもの』の代わりに、この絵が寄贈されたそうだ。この絵は割りと有名な画家の作品だからね」


 そこまで説明してくれた時、五時間目開始の予鈴のチャイムが鳴った。


「もういいだろ。さあ、クラスに戻りなさい。あんまり変な噂を広めるなよ」

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