第11話 音楽室の怪(後編2)

 その時だった。

 一番窓際のベッドの上で、何かが動いたような気がした。

 目を凝らしてみる。

 が、何も見えない。

 気のせいかと思って壁の方を見た時、視界の端でベッドの上に黒い影のようなものが見えた。

 慌てて視界をベッドの上に戻す。が、やはり何も見えない。

 しかし視界の中心をベッドから外すと、確かにベッドの上に黒いもやと言うか、影のようなものが見えるのだ。


……ぅぅぅぅぅ……


 微かな声が聞こえる。

 いや、聞こえるような気がするだけか?


……ぅぅぅぅぅ……


 意識を集中する。

 これは実際に聞こえている音か?

 それとも聞こえているような気がするだけか?


……さむぃ……


 これは割合とハッキリと聞こえた。

 いや、耳で聞いたのではない。

 意識に戻り込んで来るように頭の中で聞こえたのだ。


 ベッドの上を見ると、黒いもやがさっきりよりも濃くなった気がする。

 黒いもやは布団の上にうずくまるように、覆いかぶさっているように見えた。

 見ようによっては、人が布団の上に腹ばいになっているようだ。


……さむぃ……


 黒いもやが、段々と布団の上の方に移動していく。

 そのまま行けば、鏡花の顔の位置に達するはずだ。


 僕は思わず鏡花の方に駆け寄ろうとした。

 だが身体が動かない!

 僕の身体はピクリとも動かなかった。

 腕も、足も、口さえも!

 いや目さえ動かせていないのかもしれない。

 だが視点がズレているおかげか、ベッドの上の黒いもやがハッキリと見えている。


 既に黒いもやは、もやではなく人型をしていた。

 そしてその顔は……写真で見た米岡教員の顔だと言えた。

 さらに年齢を重ねて老人の顔となり、さらには疲れ切った顔であったが、確かに米岡教員の特徴を残していた。


……さむぃ……


 その声と共に、米岡の霊が片手を伸ばした。

 鏡花の顔の位置だ。


 その時、突然に布団が跳ね上げられた。

 そこには四角いモノが差し出されていた。


……ぅぉぉおおおあああぁぁぁぁ……


 それを見た米岡の霊がたじろぐように揺らめいた。

 素早く身体を起こした鏡花が、四角いモノを掲げたまま叫んだ。


「米岡!川中由紀子を殺したのは、オマエだ!」


 米岡の霊の顔が醜く歪む。

 かと思ったら全体が崩れるように黒いもやとなり、震えるような動きを見せた。

 そのまま黒いもやは萎んでいくように小さくなり、最後にもう一度震えたかと思ったら、消えて行った。


「はっ」


 そこで僕は初めて息を吐きだした。

 自分でも気づかなかったが、呼吸を止めていたらしい。


「鏡花!」


 僕は思わず彼女の名を呼んでいた。

 「さん」付け無しでだ。

 鏡花は僕の方を振り返ると「もう大丈夫」と言って立ち上がった。

 暗くて表情は見えない。

 彼女は保健室の入口まで行き、部屋の電気を点けた。

 蛍光灯の人工的な光が部屋の中を満たす。

 それで初めて、鏡花が掲げた四角いモノの正体がわかった。

 川中由紀子の遺影だったのだ。


「これって……」


 僕がそう言いかけると、それに気づいた鏡花が答えた。


「これは本物ではないわ。川中さんの住んでいたアパートは現在ではオフィスビルになっているし、父親の転居先なんてわからない。これはクラスの集合写真から、川中さんの部分だけ引き延ばして写真に焼いただけ」


「こんなものが幽霊に通用するの?」


「米岡の霊に自分の罪を意識させるため。米岡が川中由紀子を殺した。だが罪を他人に擦り付け、更には犯人を捕まえた英雄となる事を、川中由紀子の霊は許せなかった。彼女の怨念はこの学校の七不思議の一つとなり、米岡は逃げ出した。だが川中由紀子の霊に取りつかれた米岡は、どこにいる事も出来なかった。結局、教師の職も失い、浮浪者としてこの学校の近くにいるしかなかった。米岡にとっては最も根源的な罪であり、恐怖の中心でもあった。そして誰にも知られたくない過去でも……」


「自分の罪である少女の遺影と、その過去を指摘されて、米岡の亡霊は消えていったのか。これが鏡花の言っていた”検証”なんだね」


 鏡花はうなずいた。


「でも周囲の人の中には『米岡が怪しい』と思っていた人もいたみたいね。この近所で古くからやっている居酒屋のお婆さんに話を聞いたの。米岡には女生徒に対して芳しくない評判もあったようだし。ただ学校側が評判を押さえさせて表彰までしてしまって、それ以上、捜査なんかは無かった。転勤した後はすぐに行方不明になっていたらしいしね」


 僕には気になっていることがあった。

 それについて聞きたかった。


「鏡花……あっとゴメン!影見さん」


 自分で勝手に「鏡花」と名前を呼び捨てにしていることに気付いた。

 慌てて言い直すと、鏡花はクスっと笑って


「鏡花でいいわ」


 と言ってくれた。

 彼女の笑った顔は初めてかもしれない。


「それじゃあ、あの、えっと……鏡花……さん」


 僕は焦りながら言い始めた。

 顔が赤くなるのを感じる。


「この話の由来で『一人で残っていた少女が、学校内に侵入して来た変質者に殺された。死体はグランドピアノの中に隠された』って言うのがあったよね。ここで気になるのは「グランドピアノ」って言うキーワードは、どこから出て来たんだろう?誰かが見ていた訳でも、記事に載っている訳でもないのに」


 僕がそう問いかけると、鏡花の表情はまたツイと無表情になった。


 「それはわからないわ。誰かの作り話かもしれないし、それとも……」


 「それとも?」


 「川中由紀子の霊が、誰かに訴えかけたのかもしれない」


 その時だ。

 ガラっと音を立てて、保健室のドアが開いた。

 僕は飛び上がった。

 心臓が一拍すっ飛ぶ。


「何やってるんだ!こんな時間まで!」


 入って来たのは堂明院先生だ。


「もう十時近いじゃないか!先生だってもう大半が帰っているんだぞ!この時間に保健室にいるなんて、聞いてないぞ!」


「すみません」


 僕は素直に謝った。

 だが先生は仁王立ちのままだ。


「もう終わりました。後の事はよろしくお願いします」


 鏡花はそう言い残すと、何事も無かったかのように堂明院先生の横をすり抜けて廊下に出て行った。

 僕もこの機会を逃すと面倒な事になりそうなので、そのまま鏡花の後をついて廊下に出る。

 堂明院先生はすこし呆気にとられたように、僕たちの方を見つめていた。

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