第5話 音楽室の怪(前編1)

 翌日。

 四時間目が終わった時、鏡花が席を立って教室を出て行こうとした。

 そして廊下に出る時に、チラっと僕の方を見る。

「ついて来て」という意味だと思い、僕は席を立った。


 鏡花の方から僕を誘い出すのは初めてのことだ。

 廊下に出ると、鏡花はそのまま先を歩いて行く。

 僕も黙って、少し離れて後をついていく。

 彼女はそのまま教室二つを通り過ぎて、奥の生徒展示室に入って行った。

 僕もその後に続く。

 鏡花は壁際の棚の前に立っていた。

 聡美のファイルがある場所だ。


「これ、返しておくね」


 いつの間に持っていたのか、昨日持って帰った七不思議研究ノートを手に取り、聡美のファイルを取り出すとその中に挟んで元に戻した。

 鏡花は昨日と同じ机に座る。

 僕も同じように前の席に後ろ向きに座った。


「昨日『心当たりがある』って言っていたけど?」


 僕がそう聞くと、鏡花は一枚の紙を広げた。

 七不思議ノートの一部のコピーだ。


「この『7、夜に聞こえるピアノの音』について、ね」


「何かわかったの?」


「わかったって言うか、微妙だけど」


「どういうこと?」


 鏡花はゆっくりと一回まばたきをした。

 長いまつ毛が扇ぐようだ。


「私の知っている人が、アルバイトでこの学校の警備員をやっているの。それでその人に聞いてみたんだけど」


 彼女はそこで一回、言葉を切った。


「そんな話、聞いたこと無いって」


 僕はため息をついた。

 安堵のような、落胆のような。


「その人は大学生で、週に二~三回くらいこの学校の夜間警備のバイトをやっているんだって。でもピアノの音なんて聞いたこと無いそうよ」


「その人が警備の時はたまたま音がしない日だったとか、そういう可能性はあるんじゃないの?七不思議でもピアノの音は毎日鳴っているとは書いていないし」


 鏡花は小さく頭を左右に振った。


「他の人からも、そんな話は聞いていないって。その人が言うには『誰もいない音楽室でピアノの音がするって言うのは、よくある怪談だ』って笑ってたわ」


「確かに、そうだね」


 僕自身もそう思っていたから「いかにもありそうな話」として除外したのだ。


「その人って、どのくらい警備員のバイトしてるの?」


「去年の冬からだから、一年以上だそうよ」


「じゃあ間違いないか。この話はデマだったって事だね」


 僕がそう言って、この会話を終わらそうとした時だ。


「こんな所で何をやっているんだ?」


 不意に廊下の方から男の声がした。

 振り返ってみると、堂明院先生が立っていた。


 堂明院先生は社会科教師だ。

 背が高く、歳もまだ三十歳前らしい。

 爽やかな感じのイケメンで女子生徒に人気がある。

 でも僕は正気なところ、この先生があまり好きではなかった。

 教師のクセに女子受けばかり狙っているような気がする。


 堂明院先生はツカツカと、僕達が座る机のそばまでやって来た。


「ちょっとした調べものです」


 僕が無愛想にそう言うと、堂明院先生は机の上にある七不思議のコピーに目を止めた。


「和泉中の七不思議か。懐かしいな、まだあったんだ。どれ『夜に聞こえるピアノの音』だって?」


 堂明院先生は目を細めて腕を組み、顎に手をやった。


「知っているんですか?」


 つぶやくように鏡花がそう聞くと


「俺が生徒だった頃に、社会科の先生がそんな話をしていたな」


 先生は顎を手で撫でた。

 ヒゲは綺麗に剃られているが。


「その先生が若い頃に先輩教師から聞いたそうだ。昔は先生が学校に泊まって警備する宿直制度ってのがあったらしいからな」


 とまるで独り言のように言った。


「堂明院先生はこの学校の卒業生だったんだ」


 僕がそう言うと


「まあ実際にこの学校に赴任して来て、そんな話は聞いた事がないけどな。よくある作り話だったんだろう」


 と明るく答えた。

 先生はそのままクルリと向きを変え


「出した展示物や資料は、ちゃんと片付けておけよ」


 と言うと、そのまま教室を出て行った。

 僕はそんな先生の後姿を目で追っていたが、視線を鏡花に戻す。


「堂明院先生の話だと、音楽室のピアノの音って今は聞こえないけど、昔は聞こえたって事だよね?」


 鏡花は目線を合わさずにうなずく。


「そうね。まずは『夜に聞こえるピアノの音』が、いつまで聞こえたのか、その点から調べてみましょう」

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