第2話 新学年

 僕はノロノロと廊下を歩いていた。

 正直、気が進まない。学校に行きたくない。クラスに入りたくない。みんなと顔を合わせたくない。

 だがそんな僕の意思とは無関係に、両足は教室に向かって進んでいる。

 まだ入ったことの無い教室に。

 「三年D組」の表示が見えて来た。

 周囲では僕を追い越すようにして、他の生徒がそれぞれの教室に向かっている。


「ハァ」


 僕はわざとらしく、大きなため息をついた。

 そんな事はムダだと知りつつ、少しでも「抵抗している感」を出したかったのだ。

 見ている人は誰もいないが・・・


 僕がここまで学校に行きたくないのは理由がある。

 僕の中学は毎年クラス替えがある。よって4月の新学年の開始は、やっと慣れ親しんだ連中と離れて、新しいクラスメイトと一から人間関係を作らなければならない。

 周囲の様子を伺い、雰囲気を読んで発言を控え、それでも時にはみんなに合わせた事を口にし、面白くない事にも合わせて笑って、聞きたくもない自慢話をさも興味あるように聴いているフリをする。

 こうして徐々に「自分と気の合うクラスメート」を見つけて行かねばならない。

 孤立しないように、目立ちすぎないように。


 だが僕はその第一歩で躓いてしまった。

 肝心の新学年度の初日から、病気のため一週間も休んでしまったのだ。

 一週間も経てば、クラスの中には既にいくつかのグループというか派閥が出来ているものだ。


 よって僕は現時点ではどのグループにも属していない事になる。

 周囲に気を使いながら、どこかのグループに入れて貰うしかない。

 そうでないと、僕は中学三年生の一年間を「ぼっち」「陰キャ」で過ごす事になる。

 別に「ぼっち」でいる事には不自由は感じないが、「アイツぼっちだよな」という憐れみと馬鹿にした感じで見られるのが嫌だ。


「義務教育なんて、誰が考えたんだよ」


 僕は小さく誰にも聞こえないように口の中でつぶやく。


 あと数歩で教室に入る。

 僕はまたもや「ハァ」とため息をついた。

 今度は周囲に気付かれないように小さくだ。

 右足から教室に入った。教室後ろの掲示板に張ってある座席表を見る。

 まだ最初だから出席番号順だ。

 僕は自分の名前が書かれた「三藤みどう」の席を探す。

 廊下側から二列目、前から5番目だ。

 クラスの人数は36名なので6×6の机がある。


 だが教室を見回した僕は、息が止まるかと思った。

 一番窓際の席に一つだけポツンと7番目の机があったのだ。

 そしてその席に座っていたのは……一人の少女だった。


 時が止まった気がした。

 少女ははかなく危うい、春の陽のまぼろしのように見えた。

 背中の中ほどまで伸ばした黒い髪。

 透けているかのような白い肌。

 その端正な横顔。


 印象は依然とは全く違ってしまっていたが、彼女は……

 聡美さとみだった。

 この半年間、行方不明となっていた……


 僕は午前中の間、授業の内容も、先生の声も、周囲でクラスメートが話している声も、全く耳に入らなかった。

 五分置きぐらいに、窓際の一番後ろの席を見ていたと思う。

 そう、聡美の席だ。

 目を離した隙に、彼女が消えてしまうのではないかと思った。

 不安だった。

 休み時間の時も、ずっと彼女に話しかける事ばかり考えていた。


 だがどうしてもその気力が湧いてこない。

 以前の聡美とは、あまりに雰囲気が違い過ぎていたためだ。

 そりゃ半年も行方不明だったんだから雰囲気ぐらい違っていて当然なのだが、それでも雰囲気だけなら別人とさえ言えた。


 四時間目が終わり、周囲の連中は仲がいい同士集まって弁当を食べ始めた。

 だが彼女は一人、前を向いて本を読んでいる。

 食事を取る様子はない。


 そしてその時に改めて気付いたのだが、今日の午前中、誰も彼女に話しかけないのだ。

 クラスの誰もが彼女を「見えていない」かのようだ。

 やがてクラスの連中は昼食が終わると、半分近くが校庭や屋上に出て行った。

 いま教室内に残っているのはほとんどが女子だ。


 ……よし……

 僕は決心すると席から立ち上がった。

 と言っても目立たないように、そうっと立ち上がったのだが。

 そのまま何気ないフリをして、いちばん窓際の後ろに席に向かう。

 幸い、僕に注目するヤツはいなかった。


 彼女は僕に気づかない様子だった。

 開いた文庫本に視線を落としている。

 僕は軽く深呼吸をして、彼女に声をかける。


「ねえ」


 彼女は僕の声が聞こえていないかのようだった。


「あの、ちょっといい?」


 それで彼女はやっと顔を上げて、僕の方を見た。

 ……違うかも……と僕は思った。

 横顔は確かに聡美そっくりだった。

 いや、正面から見ても聡美そっくりだ。

 だが鼻筋は聡美よりスッキリと通り、唇は彼女より薄目で小さい。

 聡美より整った顔立ちだが、彼女にあった可愛らしさと言うか愛嬌のようなものが無い。

 彼女は低いが鈴を思わせる声で言った。


「私が見えるの?」


 何を言っているのかと思った。

 彼女はそこにいる。

 それは今日、この教室に入ってきてから変わってない。


「え?うん」


 戸惑ってそう答える僕に


「話もできるようね」


 と彼女はそう言った。

 何か少しウンザリしているようにも見える。


 話しかけたのはマズかったのだろうか、と思いながらも、ここまで来たら全部言うしかない。


「あの、聡美、じゃないの?」


「聡美?」


小島聡美こじまさとみ


 言いながら「やっぱり違う」と思わざるを得なかった。

 聡美ならこんな反応はしない。

 だが彼女が「記憶喪失」という可能性もある。


「あなたは?」


 彼女が聞き返してきた。


「僕は三藤恭一みどうきょういち。聡美とは幼稚園の頃からの幼馴染なんだけど」


 彼女はうっすらと笑った。


「やっぱりね。私は影見鏡花かげみきょうか。”聡美”じゃないわ」


 ”聡美じゃない”もう予想はしていたが、僕はその言葉に落胆した。


「ゴメン、人違いだったんだ。あんまり似ていたから、つい……」


「いいわ、別に。気にしてないし」


 彼女はそう言うと、視線をまた文庫本に戻した。

 僕はもう少し話したいような気がしたが、それは彼女の「会話終了のサイン」だと気づき、僕はその場を離れた。

 これが僕と影見鏡花の出会いだった。


 その日はそのまま鏡花と話す事なく終わった。

 六時間目が終わると、彼女はいつの間にかいなくなっていた。

 僕も一人で学校を出る。


 マンションに帰ると祖母がいた。

 相変わらず仏壇の前に座っている。

 僕はその反対側の自室へ向かった。

 玄関から見て左手が祖母の部屋、右手が僕の部屋だ。

 その奥に廊下を通ってキッチン、バスルーム、突き当りがリビングと和室になっている。


 僕が自室に入る時、


「ちゃんと行き先を決めなさいよ」


 と言う祖母の声が聞こえた。

 祖母は僕の進学や将来をけっこう心配している。

 祖母の息子・母の弟に当たる叔父が、大学受験に失敗し、そのままフリーターの生活を送っているためだ。

 僕にもしょっちゅう「高校は?」「大学は?」と聞いてくる。

 正直、面倒くさい。


 僕は返事もせずに自室に入ると、そのままベッドに横になった。

 目を閉じると影見鏡花の事が思い出された。

 聡美そっくりで、それでいてどこか冷たい感じがする少女。

 まるで現実には存在しないかのような儚げな雰囲気。

 周囲と壁を作るかのような話し方。


 だが彼女の事が思い出されてならない。

 たった数言にすぎない会話だったが、彼女の顔が鮮やかに脳裏に浮かび上がる。

 彼女は、何者なんだろう?

 そんな疑念が僕の中に沸き起こっていた。

 そしてそれと同時に、彼女になら「秘密」を打ち明けられるような気がした。

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