第20話 濁流

<これまでのあらすじ>

 関東一帯が日照りになった時、河部家の直系の男子は河童の国にもぐらなければいけないそうだ。河部 夢童(かわべ・むどう)も、その習わしに従わないといけないようだ。





「であるからして、夢童よ、関東に水の恵みをもたらすために、河童の国に入り、河童の女子と結ばれなくてはいかん」


 おとぎ話を散々聞かされた後、祖父に結婚をうながされる。夢童は目を三角にして文句を言う。


「はぁ? 嫌だっぺ。もっと、女の子と付き合ってからじゃないと!」

「いいかげんにしなさい、夢童! この運命(さだめ)を受け入れないと、たくさんの尊い命が失われるんだぞ!」


 夢童は父に頬をひっぱたかれる。その衝動で、彼の唇が伸びて口ばしと化す。


「でも、オレは東京オリンピックの代表なんだよ……」

「関東が干上がったら、オリンピックどころじゃない」

「それはそうだけど……」


 自分一人の判断で日本の命運が決まるとあっては、言葉に詰まってしまう。


「二人とも落ち着きなさい。そろそろ、夢童と結ばれる女子がやって来るっぺ」


 祖父があごをしゃくると、十匹ほどの河童たちが泳いでくる。


「む、夢童さん! 会いたかったですぅ」


 河童集団から抜け出して、一匹の河童が近寄って来る。その河童は他のものより麗しい顔立ちである。口ばしの正面に口紅、青い大きな瞳、平安貴族のように長く流れる黒髪は、すべて一級品である。


「会いたかった? どこかでオレと会った?」

「ええ。覚えてますか、あの夏を?」

「夏? ええと……」


 夢童は、生まれてから去年までの夏を思い出してみる。初めての海、スイカ割り、花火、キャンプなどを連続再生すれば、ついに河童つきの映像が現れる。


「あっ、そっか! あの時の河童か!」


 時は十年前にさかのぼる。


※※※


 とある山の中で、河部家はキャンプを行った。夢童は父と一緒に魚釣りをしていたが、次第に飽きてあくびが出てくる。


「父ちゃん、ちょっと滝見に行っていい?」

「いいけど、すぐに帰って来いよ」


 夢童は「はぁい」と言って、滝の方へ走っていく。彼は滝の轟音と体にあたる水しぶきが好きだった。


 滝つぼに行けば、激しい水流と何かの浮遊物が目についた。その浮遊物は二本の手のようで、たまに黄色の三角コーンも見える。よく目を凝らせば、三角コーンがパカッと開いて、舌がチラッと見える。


「ア、アアア!


 そこから声が出てくる。夢童は何かがおぼれていると感じて、水中に飛び込む。中では、緑の物体がもがき苦しんでいる。


 彼はそれに向かって泳いでいった。それは彼に気づくと、鳴くのをやめて静止する。それが落ち着いたおかげで、彼は岸まで安全に持っていくことができた。


「ハァハァハァ。一体何なんだ、これ?」


 鳥の口ばしとハ虫類風の肌と両生類の水かきというキメラを見て、彼は顔をしかめた。川原に倒れていたキメラが目をパチッと開けると、口ばしを盛んに動かして喋り出した。


「ありがとうございます、ございます! この御恩、一生忘れません!」

「ウェッ! しゃべったぁ?」


 奇妙な生き物が、アニメの声優みたくキュートな人間の声を発する。彼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。


「あら? 私たちのことをご存じないのですか?」

「宇宙人か!? オレを円盤にさらうつもりだな!」

「違いますよ。私たちは河童と呼ばれる、川の守り人です」


 当時の彼の河童のイメージは、オナラで空を飛ぶ、人間の尻子玉を抜くという下品なものだった。よって、彼は後ずさりして、彼女との距離を広げる。


「ちょっと、ちょっとぉ! 何で離れちゃうんですかぁ?」

「っるせ! お前らは悪い妖怪だろ! 甘い言葉でだますんだ。そうに決まってらぁ!」


 彼は手当たり次第に川原の小石を投げつける。


「いやん! まっ、待って下さい。私の大事な物をあげますあら」


 河童が水中深く潜っていく。そのスキをついて、彼は父の元へ帰って行った。


「父ちゃん、さっき河童が!」


 彼は目を真ん丸にして、滝の方向を指差す。


「ハハハ。仲良くするんだぞ、夢童」


 童心は豪快に笑って、夢童少年の頭をなでる。そして、例の河神伝説の前半部分を語ったのだ。


※※※


「あの時は石を投げつけてごめんな」


 夢童はすっかりハゲ上がった頭を見せて謝る。


「いいんですよ。それよりも、あなたと結ばれるのが嬉しくて、嬉しくて、ああんもう!」


 彼女は腰を振って頬を赤らめる。


「さぁ、夢童。覚悟を決めて、この女子と接吻をかわすのじゃ。さすれば、完璧に河童になれる」

「ええ、嫌だっぺよ。よく知らない人とキスなんて……」


 夢童は短周期のメトロノームのように首を横に振る。祖父は彼をなぐろうと拳を振り上げるが、彼女がその手を止めて言う。


「そうですよね。いきなりキスは嫌ですよね! だから、色々とお話しませんか、二人きりで」


 一点のくもりもない青い瞳で見つめられると、彼は心の城門を開くしかなかった。


「わ、わかったよ。で、どこで話すんだ?」

「ここの上に小島があります。そこで、ゆっくりお話ししましょう」


 彼女は椿(ツバキ)みたく妖しい笑みを見せて、夢童を手招きする。彼は少しドキッとして、思わず胸を押さえてしまった。

(続く)

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