第18話 清流

 ケイトと朱美は、夢童(むどう)が住むアパートへ案内された。彼の部屋は六畳ほどで、簡素な丸テーブルと冷蔵庫の他は、トロフィーと賞状で埋め尽くされている。


 夢童は二人に麦茶を出してから、「河童」の件について話し始める。


「オレの家は、先祖の河部 皿佐衛門(かわべ・さらざえもん)が、河童の女性と結婚したっていう話があるんです。何でも、漁師の罠にかかった河童を助けたら、恩返しで美しい女性が来たって」

「かめの恩返しみたいな話だね」

「つるでしょ。かめは、浦島太郎でしょ」


 間違いを指摘されたケイトは、早口で詭弁をかます。


「いやいやいや! 浦島太郎だって、亀を助けたら竜宮城に案内されたし、最終的にはツル化して亀の乙姫と結ばれるんだから、同じようなものだろう!?」

「あのぉ、話の続きいいですか?」


 夢童が背を丸めて聞き返す。


「ごめんね。続き話して」

「はい。それ以来、河部家は河童の特徴が受け継がれて、泳ぎが上手い、頭のてっぺんがはげるという具合なんで」


 彼は頭の皿をさわってため息をつく。


「今は精巧なカツラがあるし、いっそのこと丸坊主にしてみたら?」

「それじゃあ、ダメだっぺ! ケイトさんみたいなサラサラロングヘア―がほしいんだ。あと女子にも好かれたい!」


 夢童は唾を飛び散らして叫ぶ。その勢いで、貴重な髪が一本、桜の花びらのごとく散っていった。


「失礼なこと言わせていただくと、君は長髪が似合わないと思うよ。それに、髪の毛を気にしない女子はたくさんいるんだから。ねぇ、あくびちゃん?」

「う、うん。そうよ。女の子はマヤちゃんだけじゃない。河部君の髪を受け入れる子は、必ずいるから!」

「はい。それはわかってる。わかっているけど、時間がないんです」


 いきなり、夢童はシャツを脱いで、鍛えぬいた上半身をあらわにする。細マッチョな肉体のいたる所に、ドットマップのような緑の斑点がついている。


「オレのじいちゃんは四十後半ぐらいにカッパ化して、川に潜ったらしい。父ちゃんは三十四の時にカッパ化して行方不明。そして、今のオレもカッパ化が進んでるんですよ!」


 ケイトはけげんな顔つきで、彼の緑の部分をさわってみる。弾力あるゴムの素材に、ワックスが塗ってあるような感触だ。


「オレはカッパなんかになりたくない! お願いだ! ケイトさん、早良さん、オレが人間でいられるようにして下さい!」


 夢童が両手を合わせて、ひたすら頭を下げる。


「僕に頼まれてもねぇ。僕が出来るのは、吸血、飛行、コウモリ操作ぐらいだから」

「洋子さん呼ぶのはどう?」


 ケイトの眉間にしわが寄る。洋子とはこの前のフランケン戦で酷い目にあっただけに、露骨に嫌そうである。


「あー、河童になっても、見た目を人間に見せる妖術があるか」

「はい! それでお願いします! あっ、ちょっとトイレ」


 彼はいそいそとトイレへ向かう。ケイトは肩をすくめてため息一つ。朱美はどの部分を記事にすればいいか、ペン回しをしながら考える。

 

「びゃあああああああ! やめるっぺ!」


 トイレから素っ頓狂な悲鳴が聞こえてくる。二人が現場へ駆けつけると、便器の中から緑のぬるぬるした手が出て、夢童の左手をつかんでいる。


「たっ、助けて!」


 ケイトは夢童の手をつかんだが、トイレの手の方が力強かったので、引っ張り上げられなかった。あわれ夢童は掃除機に吸い込まれるよう便器の中へ。


「あ、あれって、河童か……?」

「早く助けに行かなきゃ」

「待て待て。どこに行ったかわからないのに、助けに行けるワケないだろう」

「そうよね。どうしよ……」


 朱美が額に人差し指をつけて、ケイトがミケランジェロの「最後の審判」の中央の男のポーズで考え込む。カップラーメンが伸びるぐらいの頃に、ケイトにいい考えが浮かぶ。


「まずは河童伝説の池か湖を探そう。そして、キツネおばさんの便利グッズを使って、助けに行こう」

「でも、洋子さんが協力してくれるかしらん」

「なぁに、言うことを聞かないと、東京都内のコウモリ全部がお前を襲うと脅せば大丈夫だよ」


 ケイトは超新星爆発ウインクをして、いたずら坊主っぽく笑う。


「問題は、河童がどの池にいるか。茨城は河童伝説の地が多いから、絞り込むのが大変よ。時間もかかるし」

「そうだね。やはり、ここはカーミンの出番か」


 最近のケイトは、狼女の叶実をウルフドッグとして扱い、カーミンと呼んでいた。


「叶実ちゃんは今、テス勉や課題に追われてるからムリよ」

「あっ、そっかー。あいつ大学生だったな。仕方ないから、キツネおばさんに警察犬も兼ねてもらうか」


 キツネもイヌ科の動物なので、鼻が利く。捜索にはうってつけの動物だ。






 数時間後、黒ヒョウの顔面の服を着て洋子がやって来た。


「一体何なん? 人の都合も聞かんと、こんな狭い部屋に呼び出して」


 彼女は尻尾を立てて、牙を出して怒る。


「まぁまぁ、落ち着いて。とりあえず、ここの臭いを嗅いでくれ」


 ケイトはトイレのドアを開けて、便器を指差す。


「はぁ? そんな臭いとこ嗅げと? 断ります! アカン!」

「断ってもいいけど、数日以内に全身の血が吸われちゃうかもね。こわいこわい」


 ケイトの言葉で、洋子は慌ててキツネになる。彼女は便座に鼻を近づけて、顔をしわだらけにしながら嗅ぐ。


「うう。なんやこれ、ドブ川っぽい臭いや」


 洋子ギツネは吐き気をもよおす。


「そうか。じゃあ、夢童をさらった河童は近くのドブ川出身か」

「その臭いをたどっていけば見つかるかも!」

「えぇ、まだ警察犬せなあかんの……」


 意気揚々とする二人と対照的に、洋子ギツネはげんなりしていた。


 かくして、河部夢童救出大作戦が幕を開けたのだ。

(続く)

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