第14話 客死

 冨浦 詩絵里(ふうら・しえり)は、歌うのが好きな女の子だった。近所の友達とカラオケに行っては、美声を披露してきた。また、色んな音楽番組を見るのも好きだ。彼女はいつの間にかTVに出るアイドルに憧れを抱き、いつか自分も同じステージに立ちたいと思うようになった。


「ママ、きのうのミューステとった?」

「あら、ごめん。すっかり忘れてた」

「えっ、ひっどーい! ママのわすれんぼ!」


 しえりは口をとがらせて母に文句を言う。二人のやり取りを聞いていた父は、新聞紙をたたんで、しえりを優しくさとす。


「しえりん、ママは忙しいんだから。ちゃんと自分で録画しないとダメだろう?」

「でも、でも、でもぉ」

「しえりんは忘れっぽいから、大事なことは手に書いておくといい。連絡帳を開かないことがあっても、自分の手は必ず見るからね」


 父はそう言って、左手に油性ペンで「日曜、しえりと西武ジャンボワールド」と書いた。遊園地の予定が出来て、しえりは両手を上げて喜ぶ。


「パパ、ありがとう! だいすきだよ!」


 彼女は父のほおにキスをする。父は可愛い彼女の頭をそっとふんわりなでる。


「日曜まではいい子にしてるんだぞ、しえりん」

「うん、わすれない!」


 彼女は左手に父と同じペンで予定を書き入れる。踊ったように見える字は、彼女の気持ちの高ぶりを示していた。これ以降、彼女は体の至るところにメモをするようになった。


※※※


 キツネが血を辺りに飛ばしながら、とぎれとぎれに喋る。


「なっ、何で、あんた、記憶、消したのに」


 シエリは手の平をキツネに見せつける。そこには、かすれた字で「父、アルテミー、はたらく」と書かれている。


「忘れないようにメモしてたから。忘れっぽい頭より、自分のメモの方が信じられる」


 彼女は淡々と話して、父に似たモノの前で腰を落とす。


「パパ? パパだよね?」


 うつろな目の田中は何も答えない。


「アイドルが拳銃をぶっ放すなんて、大スクープじゃない。やったね、あく」

「ケイトは黙ってて!」


 朱美は心配そうに彼女を見つめる。田中が起き上がって彼女に危害を加えないか、メギツネが罠を仕掛けていないか、心配のタネはマシンガンのように心を襲う。


「パパ、パパ、パパ!」


 彼女は彼の体を揺さぶって連呼する。血の気が引いた田中の顔には、全く表情が現れない。


「ケケケケ、ムダや、ムダ。そいつの脳、AI入れて、人間ロボットやもん」


 キツネは丸まって意地悪く笑う。だが、朱美がにらむと、たちまち無言の稲荷像と化す。


「これはパパじゃない……」


 彼女の涙の粒が、田中の顔に落ちる。田中はまばたきを繰り返す。口をゆっくり開けて、金魚のようにパクパク動かし始める。


「えっ、なに?」


 彼女は耳を父の口元にあてる。


「シ、エ、リ」


 カの飛行音よりかすかな声だったが、はっきりと自分の名前を呼んだ。彼女は口元を押さえてから、深く息を吸う。


「呼んだ? 私がわかる?」

「カ、ワ、イ、イ、ワ、ガ、コ」


 彼はシエリの頭をなでようと、手を伸ばす。しかし、肩の一部が溶けているため、途中でつっかえてしまう。彼女は父のグローブ大の手に頬ずりして、涙を流し続ける。


「会いたかった……」

「そんなアホな! 体は冨浦さんでも、脳みそ違うもん! 何で、こないなこと、グファ!」


 キツネが血の混じったせきをする。


「ムリするなよ、キツネおばさん。それにしても、こんな奇跡が起こるなんて、神の御恵みか、悪魔の悪戯か」

「ううん。恐らく、臓器の記憶転移だと思う」


キツネと半吸血鬼が「「記憶転移?」」と同時に首をかしげる。


「先輩から聞いたんだけど、他人の心臓や肺などの臓器移植を受けた後に、提供者の性格や記憶が移ることがよくあるんだって。つまり、臓器があらゆることを記憶してるってこと。脳以外がシエリちゃんの父親なら、なおさらよね」

「体が覚えているとは、興味深いね。キツネおばさんもそう思うだろう?」

「誰がおばさんや。うちはまだ二十代!」

「瓜毛洋子、本名は津根川 洋子(つねかわ・ようこ)、26歳と自称しているが、実際は52歳」


 朱美が手帳を読み上げると、洋子はうなだれて口を閉じる。


「色々あったけど、これでハッピーエンドかな」


 冨浦父子が抱き合っているのを見て、ケイトの表情がゆるむ。


「フン。そんな上手くいくかいな」


 洋子は幸せな雰囲気にくぎを刺すように、辛い現実を話し始める。

(続く)

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