第6話 必死
<これまでのあらすじ>
雑誌記者の早良 朱美(さわら・あけび)は、地下アイドルのシエリの死んだ父親が生きているという怪情報について、オオカミ女の叶実(かなみ)と一緒に調べていた。その調査中、死んだ冨浦(ふうら)氏と似た人物と接触するが、他人の空似と一蹴されてしまう。
百鬼(ももき)は、次の試合に向けて、何回も腕立て伏せをしている。彼は邪念が入らぬよう、外国の音楽をウォークマンで聴いている。目が血走って鬼瓦の表情の彼に声をかけられるのはただ一人、勝栄(しょうえい)ジムのジム長だけである。
「ショーヘイ、ヘイッ!」
ジム長は百鬼の左頬にパンチする。現役を退いても重いパンチは、彼の鼻血を出すのに十分である。
「いったぁ。何すんだぁ!」
百鬼は音楽を止めて、ジム長に向きなおる。
「スパーリングだ、スパーリング。あちらで待ってるぞ」
ジム長が指さす方に、やせたメガネの男と巨乳の美女と中肉中背の七三分けの男がいた。メガネと美女がスーツなのに対し、七三分けの男はTシャツと短パンだけである。
「今回は、我がアルテミーが開発した、筋肉増強剤の効果検証のスパーリングをさせていただきます。何とぞ、よろしくお願いいたします」
メガネは、うやうやしく頭を下げて、百鬼に名刺を渡す。名刺には、株式会社アルテミー商品戦略部チーフ・篠崎 中太(しのざき ちゅうた)と印字されてる。
「本番のつもりで、田中さんの体にパンチして下さいね。遠慮したらアカンですよ」
漫画雑誌の巻頭グラビア風美女は、ハートのウインクをして百鬼に名刺を渡す。名刺には、データ分析部チーフ・瓜毛 洋子(うりも ようこ)と印字されている。
ちなみに、アルテミーは新興の薬品会社で、最近はTVやSNSに広告をたくさん出している。
「よろしく頼むぜ」
百鬼が田中に握手を求める。田中は無言で手を差し出す。握ってみれば、氷のように冷たかった。
「ファイト!」
田中の体は腹筋が割れて、腕が三つの筋肉に分かれている。瓜毛から言われたとおり、百鬼はようしゃなく田中の体にパンチをくらわす。たちまちにして、パンチを受けた部分が真っ赤になる。
「あんだけパンチ受けて倒れない奴は、あんたが初めてだぜ」
百鬼のパンチラッシュは止まらない。赤い腫(は)れと青いあざが出てきて、田中の体はボロボロである。それでも、彼はろう人形みたく表情を変えず、ノーガードである。
アルテミーの社員は何一つ表情を変えずに、いなり寿司をほおばりながらパソコンに数字を入力している。田中さんのことを全く心配していないようだ。
「そろそろ終わりにしてやるよ!」
田中のあごにアッパーパンチをくらわす。田中の体はのけぞったが、瞬時に頭が上がり仁王立ちになる。百鬼が目をこらすと、田中の体は対戦前の傷一つない状態に戻っている。
「いやぁ。中々いいデータが取れたわぁ」
「もういいですよ。ありがとうございます」
篠崎と瓜毛が満面の笑みで拍手を送る。何のデータを取られたか、さっぱりわからない百鬼は、しきりに首をかしげている。これはあの子に相談しなければならないと、彼は練習後に電話をかけた。
元カレの百鬼から奇妙なスパーリングの件を聞いた朱美は、ケイトと相談したいと思った。しかし、何度か電話をかけたり、メッセージを送ったりしても、梨のつぶてである。ただ、一時間前に自宅内の動画が投降されているので、家にいると判断して彼の家へ向かう。
「おかしいなぁ。何で出ないの?」
ケイトのマンション前の公園から電話をかける。彼の部屋の電気はついているので、確実にいるはずなのだが……。
「あっ、あけちゃんだ。ここで何してるの?」
朱美があっけらかんとして声の方を見れば、人間と同じぐらい大きい銀色オオカミがいた。そのオオカミは頭に人間風の髪がのっかっているので、すぐに誰かわかる。
「あれ? 叶実ちゃんこそどうしたの、そんな姿で?」
叶実オオカミは全身を震わせてから答える。
「満月の夜になると、ずっとこの姿なの。いつもは近所の山を駆け回るんだけど、ケイちゃんと遊びたくなって来ちゃった」
「そっか。満月の夜ね。もしかして、ケイトもドラキュラになって飛び回ってるのかしら」
朱美は雲がかかる満月を見て、妙に穏やかな気持ちになれた。前までは吸血鬼やオオカミ人間は怖い存在だったが、今や仲良しフレンズである。
とりあえず、彼女らは彼の部屋に行ってみることにした。
マンションのケイトの部屋の鍵がかかっていなかった。彼女らは「おじゃまします」と小声で言って、中に入る。
「ケイトの匂いは?」
「いるよ。でも、何かいつもと違う」
叶実オオカミは鼻をヒクヒク動かして、空気中のケイトの匂いを集める。ケイトの匂いはさびた鉄とラベンダーが混じったものだ。
リビングに入ると、TVがつけっぱなし、テーブルには食後の食器が並べられていた。エアコンの暖房も入っている。しかし、肝心のケイトの姿は見当たらない。
「窓は閉まってる。外出した後かしら」
朱美は小指と人差し指であごを挟んで考え込む。
「TVの電気代かかるから、消してあげよっ」
叶実は器用に鼻でリモコンのボタンを押す。
「あっ、コラ! 消すなバカ!」
彼女らの頭上から声が聞こえる。見上げれば、金髪つきの黒いコウモリが口を開けて、天井にさかさまにぶら下がっている。
「ケイちゃん、とてもかわいー!」
叶実が飛びつこうとすれば、ケイトコウモリはすぐに飛んで逃げる。
「ケイトさんも、満月の夜はコウモリに変身する体質なのね」
「ああ、そうだ。満月の夜は、女性の血を吸わないと、こんな醜い姿をさらしてしまうのだ。ウッウ……」
「アニマル仲間できて、うれしい!」
「近寄るな、このデカ犬ぅ!」
実写版ト〇とジェリーを見ているようで、朱美の顔はほっこりする。
「ところで、今夜は何の用事で来たんだ?」
ケイトはせわしなく室内を飛びながら尋ねてくる。
「ちょっと怪しい会社があるから、あなたが侵入して調べてほしいの。もちろん、特上の女性を用意してるわ」
「ほほう。詳しく聞かせていただこう」
女性のワードが出てくると、ケイトコウモリは目をらんらんと光らせて、カーテンレールにぶら下がって静止する。叶実オオカミは、彼にとっての「女性」は、あたしにとっての「生肉」なのかと、よだれを垂らして考えていた。
アルテミー本社の横の廃工場で、怪しい実験が行われていた。
田中と呼ばれる男が、上半身裸で柱にくくりつけられている。その男に対して、白衣の女性が銃口を向ける。サイレンサーつきだ。
「白山(しらやま)課長、発砲してもよろしいですか?」
「やりたまえ」
アンパン顔の課長の許可で、瓜毛は三発の銃弾を田中に撃ち込む。額と左胸と脇腹に命中。常人なら即死だが、田中の体は銃弾を皮膚で受け止めて、バットで打ったように弾をはじき返す。
「凄い、凄いっス。これはノーベル賞モノっスよ」
「いやぁ、瓜毛君がいきなり死体を持ってきた時はどうなるかと思ったが、フランケン・プランがここまで上手くいくとはなぁ」
「まだ終わりやないですよ、課長。例の研究とセットじゃないと、意味ないですから」
3人のマッドサイエンティストの談笑を聞いて、一匹のコウモリは心が寒くなるのを感じた。奴らにバレない内に、コウモリは廃工場から飛び出す。コウモリは近くにいる仲間を呼び、人には聞き取れぬ声で、ある指示を出し始める。
(続く)
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