第3話 肉塊
ケイトが住むマンションの向かい側の公園のベンチで、朱美は荒い呼吸を繰り返している。早くウラを取って、大スクープにしなければならない。
「こう見えても、初代ドラキュラ伯爵の末裔であるぞ」
「へぇー。すごーいねぇー」
「貴様、舐めてるのかぁ!」
2人が取っ組み合いを始めたのか、ノイズが大きくなる。朱美はそろそろ耳が痛くなったの、盗聴をやめようとした。
「おや。貴様の髪留めに変なガムがついているな」
「ガム? あたし、ガムかんでないよ」
髪留め……、ガム……、しまったと朱美は目と口を丸く開く。時間を止めて回収したいと、慌てて腕時計を見る。むろん、そんな神業が出来るはずないが……。
「これは、もしかして盗聴器か」
ケイトの勘の鋭さが、朱美の心臓をわしづかみにする・
「ちょっと待って。この匂いを嗅いでみる」
盗聴器の表面に鼻がゴツゴツ当たる。すでに朱美の顔は蒼白だ。
「柑橘系の匂い……、さっき会った記者だ!」
「さすがワンコの鼻。ってことは、この会話聞いてますよね、早良さーん?」
朱美は盗聴器を捨てて、公園の砂塵を散らして走り去る。モンスター達の近辺にいると命が危うい。彼女は走りながら、助けてくれそうな人物に電話をかける。
百鬼 正平(ももき しょうへい)はバラエティ番組を見ながら、スクワットをしてた。彼は駆け出しのプロボクサーで、時間があれば体を鍛えるのが好きである。
「105、106、107、あん?」
玄関のチャイムが鳴ったので、スクワットを中断する。彼は筋肉を意識しながら、上下に肩を揺らしてドアまで歩く。
「はい。どちらさまー?」
「ショーヘイ入れて。お願いっ!」
汗だくの朱美が強引に入り、転がるように玄関のマットへ倒れこむ。彼は困惑した表情を浮かべて、彼女に尋ねる。
「なぁ、何があったんだ?」
「狼女と吸血鬼に殺されるっ!」
「はい? オオカミ?」
百鬼は彼女が自分をからかっているのかと思ったが、化粧が崩れた彼女の顔と震える唇で、ただならぬことが起きている判断した。彼はとりあえず、彼女の肩を貸して自室のクッションに座らせた。
「最初から話してくれよ」
「そうね。信じてもらえるかどうかわからないけど、ありのまま話すわ」
彼女はワイティーバーのケイトや読者モデルの叶実の正体を話す。その間、彼は首振り人形のようにうなずき続ける。
「なるほど。てか、何で俺ん所なんだ。他に頼れる奴いねぇのか?」
「元カレにこんなこと言うのもレアなんだけど、モンスターに勝てそうな知り合いは、あなたしかいない。あなただけが、私を救える正義のヒーローなのよ!」
彼女が目を潤ませて、両手を合わせながら、百鬼に懇願する。「正義のヒーロー」の文句に、彼の心がトランポリンのように揺れる。彼の脳裏には、強気をくじき弱気をたすくヒーローが浮かび上がる。そんなヒーローに憧れて、強敵を倒すボクサーになったんじゃないのか。彼は握りこぶしを作って、大仰に答える。
「わかったぁ。助けてやるぜ、あーちゃん。オオカミでもゴリラでも何でも来い!」
その時、ドアが板チョコのように折れて破壊された。ドアだったものの上に、尖った黒鼻の顔の女性が立つ。
「ミツケタ、ミツケタ」
金属音の女声と草原をはう男声が混じった奇妙な声を上げる。彼女が身を震わせると、全身に銀色の毛が生え、筋肉がこんもりつく。体型は人間時とほぼ同じだが、鋭い牙や尖った耳は、完璧にオオカミのモノである。想像以上に狂暴そうな見た目なので、朱美は唖然としている。
「ヒミツシル、コロス」
狼女が、百鬼に向かって駆けだす。百鬼はすぐに臨戦態勢に入り、狼女のパンチをよけつつ、腹に黄金の左を打ち込んだ。一般人なら嘔吐し、プロボクサーでも目まいを起こすパンチだ。しかし、狼女の分厚い肉と毛のじゅうたんで、全くダメージがなかった。
「こっ、これは、あっー!」
悲鳴と同時に、彼の体はロケっと弾みたくまっすぐ飛ぶ。彼の体が天井に突き刺さり、下半身だけがたれ下がる状態に。狼女のアッパーパンチの威力を目の当たりにした朱美は、ただ体を震わせるだけだ。
「ああ、派手にやったねぇ」
吸血鬼が愉快そうに土足で入ってくる。彼の眼は充血し、二本の牙がはみ出し、両手がコウモリの翼に変形している。
「こんなことはしたくないんだけど、秘密を知られた以上、数年間ぐらい再起不能になっていただくよ」
彼女は「何をするの?」と、座ったまま後ずさりする。
「決まってるじゃないですか。あなたの血を大量にいただくんですよ。喋ったり書いたり出来なくなるほどにね」
彼女のストップウォッチが、残り3秒を知らせてくる。何とかして、この状況を打破する必要がある。せっかく仕事が軌道に乗り出しているのに、こんなことで終わらせるワケにはいかないのだ。
何かの取引をすればいい、ケイトは女性の血を欲している。他の女性を提供するのはどうだろうか。他人に迷惑をかけるが、その結論以外、彼女は導き出せなかった。
「待って、待って! 私を見逃してくれたら、色んな女性を紹介するわ!」
吸血鬼が足を止めて、興味深そうに彼女を見つめる。
「ほう? 詳しく聞かせてくれますか」
「はい。私は色んな方を取材して名刺交換してるから、アイドルとか、政治家とか、研究所の方とか、あとLANEやってる女の子もいます」
彼女はLANEのフォロー一覧を見せる。女性や動物の顔がたくさん並んでいる画面を見て、吸血鬼は4回うなずく。
「なるほどね。この中に母さんのための血がありそうだ」
「母さん?」
「ケイトは母親のために、色んな女性の血を集めているんだって」
吸血鬼の代わりに、柴犬顔になった叶実が答える。
「僕は、人間の父とヴァンパイアの母から生まれた半吸血鬼(ハーフ・ヴァンパイア)なんだ。だから、朝日以外の太陽光なら平気さ。だけど、母さんは純血だから、昼の世界に出られない。参観日や運動会、卒業式、どの行事にも母は不参加だった」
ケイトの目がほとばしる充血の弓から、穏やかな金のビー玉へ変わる。朱美は少し落ち着きを取り戻し、彼の話のメモを取り始める。
「いつの頃からか、母さんの望みは、太陽の下で僕と一緒に歩くことになっていた。それを叶えるには、1億人に1人だけ現れるという究極抗体の女性の血液が必要。今すぐにでも母さんに飲ませてあげたい」
朱美は母さんに似ていると言われた時のことを思い出す。あの時も澄んだ瞳で、まっすぐな視線で話していた。これは、彼が本心を出している証なのかもしれない。
「その血がどんな味なのかわかるの?」
「ああ。一舐めしただけで、体中に爽やかな風が吹き渡るそうだ」
ケイトは口元を舐めながら目を閉じる。
「でも、わざわざ女性を家に連れ込むの面倒臭くない? コウモリになって、手当たり次第に女性の血を吸った方がイイと思うんだけど」
「フン。オオカミは浅はかだな。我らヴァンパイアは、獣の姿で吸血することを良しとしない。人型で血を吸うことこそ、最上の悦楽なのだ」
ケイトは翼をバッと広げて、顔を斜めに、足をクロスの奇妙なポーズをとる。朱美は天井に刺さった元カレと細マッチョ狼女を交互に見て、冷や汗を流す。彼女はモンスターの詰まったパンドラの箱を開けたことに後悔し始める。
「ケイトさん、私を助けてくれますよね?」
ケイトは左目以外を手でおおいながらうなずく。
「そうだね。3日に1人紹介して、この秘密を守ってくれるなら、見逃してあげるよ」
「じゃあ、あたしにも美味しい大盛り料理がある店をどんどん教えて!」
叶実は尻尾を振りながら、舌を出して興奮する。
「えっと……、グルメ担当の同僚がいるから、教えてあげられるよ」
「やったぁ!」と、叶実は四つ足になって部屋中を駆け回る。
「ならば、毎月1本、美味しい赤ワインの無料提供も追加しよう」
「えっ……。それはちょっと……」
朱美が戸惑っていると、一瞬だけ部屋が揺れる。百鬼が尻もちをついて、彼女をにらんでいた。
「あーちゃん! 俺の部屋の修理費よろしくっ!」
「わかったわ。ごめんね、本当にごめん」
彼女は涙を我慢しながら平謝りする。大スクープから一転、貯金の喪失という事態に。一寸先は闇を実感した彼女は、例の夢を一旦あきらめて、身の丈に合った仕事をしていこうと決意したのである。
(続く)
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