第36話 別れと旅立ち

(結局、男だと誤解されたままだったな……)

 もう二度と会うことはあるまい。

 ミリラナの記憶にはシアは男として……同性愛者の男として、残るだろう。

 憂鬱感を振り払うように歩調を速めたシアだったが、宿を出てすぐ、足が止まった。


 今夜は月が出ていない。

 闇は姿を隠してくれる。けれど、行く手も遮る。

(冷たい月の光は不安感を煽る……闇は人を臆病にさせる。どちらも同じくらい厄介だ)


「急いでいるのか、のろのろしたいのか、どっちだ?」

 ふて腐れた顔でラキスが言う。

「……急いでいる」

「なら、ちゃんと急げ」


 どれほど不安でも。臆病になったとしても――。

 この選択を後悔する日が来ようとも、今のシアには他の道などない。他の生き方を選べない。

 息を吐き、一歩踏み出した時だ。


「どこへ行くのかな?」

 暗闇の中から、声がした。

 聞き覚えのある声に、シアは肩を震わせる。

 声の主が不自由な片足を引きづりながら、近づいてくる。

 街灯がその姿を照らし出した。


「レドモン……」

「君は自分がどれほど愚かな真似をしているのか理解しているのかい?正式な手続きなしに、ギルドを脱会することは許されない。単に河岸を変えるだけなら、夜逃げみたいな真似をするんじゃない」

「レドモン。世話になっておきながら、顔に泥を塗ってしまい……本当に申し訳ない」

「謝罪を聞きたくて、忙しい中、会いに来たんじゃないんだよ、シア」

 レドモンは呆れ顔で、肩を竦めた。

「わたしは……同胞を、ザストを斬った」

「……ザストが何者かに斬られた。発見者は、金髪の青年を負ぶった黒髪の若い青年。こっちにもすぐ知らせが来た。もしや、と思って来てみたんだが、やはり君の仕業か」

「……やはり?」

「先日、ザストに会った時、君について訊かれた。君に好意でも抱いているのか、と微笑ましく思ったんだが、それにしては剣の腕前を随分気にしていたからね。腕試しなら止めた方がいいと忠告したんだが、無駄だったみたいだ。ザストは今、ギルドで手当てしている。命に別状はないが、話を聞くには数日かかるだろう」

「そうか……」

「何があったのかは知らない。だが最初に手を出したのはザストだろう?咎はザストにある。君がすべきことは夜逃げではなく、ギルドでの釈明だ」

「わたしは……」

「せっかく急所を外したのに、ザストが咎を受け、ギルドの制裁を受けるのを気に病んでいるのかい?お人好しにも程がある。それとも人を斬ったことへの罪の意識?正当防衛だよ、シア」

「違う。わたしは自分の身を守るために彼を斬ったんじゃない。わたしは……」

 レドモンはシアの傍に立つラキスに目をやった。

「人に見えるが……彼がこの前、言っていた妖獣だね」

「レドモン……わたしは割り切れない。何も知らなかった頃のように、剣を握れない。そう、罪の意識だ……。わたしは人間ではなく妖獣に肩入れした。彼を守るため、ザストを斬った。ギルドから処罰を受けるのは、わたしの方だ」

「……ザストに留めを刺しておけば、よかったね。そうすれば君の罪が知られることはなかった。いや、今からでも遅くない。君が望むならザストは治療の甲斐なく命を落すだろう。そして、君の今の言葉も、僕は忘れる」

「怖いことを言うんだな……」

 口封じを持ち掛けるレドモンに、シアは首をゆるく振った。

「わたしはもう、ギルドへは戻れない。もう賞金稼ぎではいられない。ザストの命を奪ってまで、身を守りたくもない」

「剣を捨てるのかい?ならばその剣を僕に寄越しなさい」

 レドモンが手を差し出す。

「卑怯だと思うが、ギルドの制裁を受けるつもりもないんだ。逃げるためには剣が必要だ……夜盗に出会すかもしれないし……」

 保身よりも、ザストの将来を案じている。けれど、安全のために剣を手放せない。

 矛盾に気づき、語尾がか細くなった。

「人に襲われれば人を。妖獣に襲われれば、妖獣を斬るのかい?」

 その問いにシアは柄を握り、奥歯を噛み締める。


(ギルドを、賞金稼ぎを辞めることはできても、剣を捨てることは躊躇っている……。唯一の取柄をなくすのが、死よりもずっと怖い……)


「人の命も妖獣の命も奪いたくない。けれど――守るためには剣を振るう。その覚悟ならある」

 真実であり嘘でもあった。

 守るために剣が必要なのではない。

 剣を持ち続けるために『守る』という理由が必要だった。


「守る?」

「わたしは、彼に命をやった。だから彼を、守る。彼が復讐を果たし、わたしを殺すその日まで」

 ラキスを一瞥し、シアは言った。

 ラキスを守りたいのではない。

 ラキスを守ることが剣を捨てない理由になる。

 生きている間だけでいい。シアには理由が必要だった。


「可哀想な子だよ。君は」

 シアの弱さを見抜いているのだろう。レドモンは息を吐いた。

「それが君の決めたことならば、僕はこれ以上は何も言わない。純粋な想いでないにせよ、君から守りたい、という言葉を聞けた。守りたいものがある限り、生も死も無意味ではないのだから」

「無意味ではない……?」

「意味が存在したって、人を斬れば人殺しだし、死は死でしかない。だが意味もなく殺されるよりかは、意味があった方がマシだろう?……意味があれば、価値があったと思える。たとえ錯覚であったとしても、価値のない人生は、寂しいものだ」

「レドモン……すまない。言っていることがよくわからない」

「君はその妖獣に殺されたいのだろう?誰でもいいわけじゃない。ギルドの制裁による死よりも、復讐の名の下に殺されるのを望んでいる。君にとってはその方が価値ある死だからだ。……君は愚かだ。引き留めたいとも思う。だが、僕がどれだけ諭したところで、君はいくのだろう。僕はね、シア。君に譲れぬものができたことを、喜んでもいるんだよ」


彼が言うほど、大層な決断をした自覚はない。

ラキスに生死を委ねたのは、逃げのような気がする。

(だが……わたしを殺し、ラキスの憎しみが消え、ほんの少しでも彼が救われたと感じたなら……そして救われた彼をわたしが感じ取ることが出来たなら、この命に価値があったと思えるかも知れない)


 流されるまま生きてきた。

 いつ野垂れ死んでもおかしくない人生だった。

 しかし、シアは死に場所を見つけた。

 遠い未来か、近い未来かはわからない。しかし、いつか。

 ラキスの牙……かどうかはわからないが、彼によって命を終える時、自分もまた救われる。そんな気がした。


「夜が明ける前に、ライノールを出なさい。今夜、君に追っ手が掛かることはない。……朝になれば僕はギルドの組員に戻る。僕の選んだ僕の道にね。……これが永遠の別れだ。僕はもう君の姿を見たくない」

レドモンは微笑んだ。

冷たい言葉に含まれた、逃げ延びろ、という気持ちをシアは噛み締めた。


「レドモン、本当にすまな」

「いきなさい」

シアの謝罪を遮り、彼は言う。

「……ありがとう」

シアは目を伏せ、ラキスの腕を引き、歩き出した。

シアの向かう方向とは逆。彼がギルドへと戻るために歩き出したのを背中で感じた。


しばらくして、レドモンとの会話中、珍しく静かにしていたラキスが口を開いた。

「今のは誰だ?」

「わたしの兄みたいなものだ」

答えてから、しまった、と思う。

ラキスの兄はいない。殺したのはシアだ。

「いや……兄ではない。色々、世話をしてくれた恩人だ」

「みたいなもの、というのは血が繋がっていないってことで。兄ではないけど、兄のごとく、世話をしてくれたってことか?」

言い直すと、意外にも、シアの言外の想いまで理解した、筋の通った問い掛けをされた。

「……まあ、そんなところだ」

「そうか。でもさっきの兄みたいな人は、お前に似てはいなかった」

「いや……だから……。血は繋がっていないからな」

「血が繋がっていないと、似ないのか?おれと兄は、血が繋がっていたから、毛の色が一緒だったのか?」

「……そうだろうな」

「似ていないのは寂しいな。……さっきのお前の兄みたいな人、少しだけおれの兄に似ていた。もちろん姿形は違う。人間など妖獣と比べることすらおこがましい。全然違う。ちっとも似ていない」

「……どっちなんだ」

「似ていないっ!だがさっきのお前の兄みたいな人を見ていると、おれはおれの兄を思い出した。兄も、厳しいけど優しい。冷たいけど、あったかい目をしていた。似てはいないが、世界中の兄という存在が、みなそうであればいいのに、とおれは思った」

「……わたしは……お前の言いたいことがよくわからない」

「兄は素晴らしい存在なのだ。そんな兄とお別れするのは悲しいことだ。永遠の別れ、なんて……。何て言うか……かわいそうだな」


(レドモンと別れる原因を作ったのはお前だ。何より……お前の兄を殺したのはわたしだろう)


永遠の別れをもたらしたシアを許せず、復讐の念に燃えていたくせに、哀れむラキスがおかしかった。

吹き出すと、なぜ笑う、と顔を真っ赤にさせ怒る。


「真剣に話しているのに笑うのは失礼だ。お前には真心というものがないのか?」

心などないと思い込んでいた妖獣に、心がないと言われる。

 傷つかないといけない場面なのかもしれないが、なぜかシアは爽快な気持ちになった。

「お前にはあるのか?真心というやつが」

「あるさ!おれは弱い者いじめはしない!縛ったり、襲いかかったりしない!」

「わたしには襲いかかったじゃないか」

「お前は弱くない!おれの方が弱い!」

 威張れることではないのに、ラキスは自信満々に胸を張り言った。



 あと、どれだけ生きることになるのだろう。

 ギルドの追跡から逃れることは困難だ。

 たとえ、ライノールの追っ手を撒けても、ギルドは世界の至る所にある。

 ラキスが復讐を遂げる前に、ギルドの追っ手の手により、命を落す可能性の方が高そうだった。


 剣を捨てなければ、今度こそ本当に人間の命を奪ってしまうかもしれない。

 もしくは、再び妖獣を殺してしまうかもしれない。

 けれど――つまらない言い合いに付き合っていると、不安を忘れた。


 夜の街を行くシアの足取りは、奪ったものの多さを鑑みれば不謹慎なほど、軽やかだった。

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