第29話 仕方がない

 部屋が夕闇に染まり始めた時。どんよりした空気の中、ぐるる、とラキスの腹が鳴った。

「お腹が空いた」

 ラキスが呟く。

 椅子に座っていたシアは無言で立ち上がり、彼の戒めを解いた。


「な、何だよっ」

 ようやく自由になれたというのに、ラキスは戸惑っている。

 いつものように襲いかかっては、こなかった。

「お前のしたいようにすればいい」

「したいよう……って」

「わたしを殺したいなら、殺せばいい」

 腰に差していた剣を抜き、寝台に――ラキスの傍へ置いた。


「な、なんで?」

「兄の仇を討ちたいのだろ。討てと言っている」


 よく、考えた。

 過去の自身の行いを省みた。人に害を成した妖獣を斬ったこと。害を成してなくとも、賞金首であれば斬ったこと。

 その中に、人の姿を持つ妖獣がどれくらいいたのかなんてわからない。全ての妖獣がこころを持っているのかも、シアにはわからない。

 自分が悪行をしてきたとは思わないし、ギルドの組員、賞金稼ぎたちを悪人だとも思えない。

 もちろん善人でもないけれど……そもそも善人でありたければ、シアはギルドの組員になどならなかった。

(人を斬らないことが、正しいと思っていたわけではない)

 シアが人を斬らなかったのは、単なる弱さだ。父の復讐心を傍で感じ続け、それを向けられるのを怖いと思ったからだ。

 今も、怖がっている。

 たとえ、悔い改め、今ここで剣を捨てたとしても、斬った妖獣は生き返りはしない。恨みは続くのだ。シアが生きている限り、ずっと――それが恐ろしい。

 そして恐怖はそれだけでもなく……。

 剣を置いた自身を、ギルドを辞めた自分を想像し、その不確かな未来も怖かった。

 どうするべきか考えて……シアは考えるのを止めた。


(まあ、いい……もう、いい。ラキスがわたしを殺したところで、わたしの斬った妖獣、彼の兄は生き返らない。けれど、それでこの青年が満足するならそれでいい)


 何というか……面倒臭くなった。

 いつ命を失ってもおかしくない、安寧とは真逆の生活を送ってきた。身近だった死に対して、恐ろしさは余りない。

 将来を想像するより、ずっと楽だった。

(自殺願望があるから、賞金稼ぎという危険な職を選んだ訳じゃないし、死ぬよりは生きていたい。だがまあ、復讐を理由に殺されるのは、悪い死に方ではないだろう)

 無駄死にじゃないしな、とシアは思った。


「なんで……殺してもいいって言うんだっ」

「なんでって……お前の兄を殺したわけだし。仕方がない」

「仕方がないって、何が仕方がないんだっ!」

「復讐したところで死者は蘇らない。それなのにどうしても復讐せずにはいられない。正直言って、そういう感情にわたしは共感できない。わたしだって……妖獣に母を殺された。けれど妖獣であるお前を憎んでいない。憎んだところで母は生き返りはしないのだから」

「お前がおれをどうして憎む?だっておれはお前の母親を殺してない。けどお前はおれの兄を殺した」

 道理である。

「……それはそうだ。うん……。お前がわたしを憎むのは正当だ。だから仕方がない」

「仕方なくなんてないっ!」

「は?」

「死ぬのは仕方なくなんてないだろっ!痛いじゃないかっ」

「痛いだろうが……。なぜ怒る?」

 眦を釣り上げ、怒鳴るラキスにシアは戸惑う。


「嫌だって、言えよっ!死にたくないって泣き叫べばいいだろっ。何でそんな偉そうに、殺せばいい何て言うんだっ」

 冷静なシアがお気に召さないらしい。

「わたしを殺したいのだろう?なら抵抗されない方が、楽に殺せていいじゃないか」

「だけどっ!だけど、なんか違う……それに、今はこの姿だし。牙もないし。無理だ」

「わたしの剣を使え」

「そんな野蛮なもの使えるかっ」

 復讐の絶好の機会だというのに、ラキスは首を振る。


「いつ犬……妖獣の姿に戻れるんだ?」

「たぶん二、三日くらい」

「その間はここにいる。戻ったら殺しに来い」

「指図するな!」

「…………殺しに来たら、如何ですか?」

「……お前、おれを馬鹿にしてるだろうっ」

「いや」

「なんか、腹が立つ……」

「じゃあ、どうすればいい。殺さないのか?復讐はやめにするか?」

 せっかく殺しても良いと言っているのに、うだうだ文句ばかり言うラキスにシアは苛立ってきた。


「やめないっ!殺してやるさっ!」

「なら殺せ」

「今は無理だと言ってるっ!」

「じゃあ出直して来い」

「出直して来るっ」


 ラキスはがばりと寝台の上で仁王立ちになった。

 掛けてやっていた毛布が落ちる。

 薄闇の中、浮かび上がった真白い肌から、シアは視線を逸らした。


「まずは服を着ろ」

「服はないっ」


 ラキスは全裸で、きっぱりと言い放った。

 その恰好で出て行かれたら体面が悪い。服を貸してやることにする。

 体格はほぼ同じ。シアの衣服は彼のために誂えたかのように、良く似合っていた。しかし紺の地味な色合いにラキスは不満顔だった。

 簡素な上下だが、最初に出会った時、彼が身につけていた見窄らしい衣に比べればマシだ。そう言うと、色が一杯あって豪華だった、と言い返してきた。どうやら継ぎ接ぎが気に入っていたらしい。

 落ちていたのを拾った、と付け加える。おそらく干してあったか、捨てていたか、だろう。


 窓から出て行こうとするのを引きとめ、宿の前でラキスを見送った。

 きょろきょろと辺りを見回し、覚束無い足取りで、すっかり暗くなった街へと消えていく。


(容姿だけはいいから……変な男どもに絡まれやしないだろうか。いや妖獣だから大丈夫か。でも二、三日は妖獣の姿になれないし……)

 案じている自分に、シアは溜め息を吐き、苦笑した。

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