第28話 独り

   ※

 重い足取りで宿に帰る。

 寝息を立てているラキスに、落胆し、同時に安堵した。

 がっかりしたのは、起きていれば罵声を浴びせられるからだ。鬱陶しいが、気は紛れる。騒がしいのは苦手なのに、今は沈黙が苦しい。一人になり考えなければならない。けれど、誰かに思考を邪魔されたかった。

 安堵したのは、いまだに彼の処遇を決めかねているから。


(どちらにしたって、逃げだ)


 煩わしいことは避ける。日々を淡々と生きる。

 将来の不安はあったけれど、あえて深くは考えてこなかった。

 そのツケが回ってきたのだ。


 父の想いはわからない。母親の復讐をシアに託したかったのは事実だろうが、もしかしたら他に何の取柄もないシアの将来を思い遣って、剣の道に進ませたのかもしれない。

 もう父親はこの世にはいない。確かめる術はなく、父を恨むつもりもなかった。

 レドモンがシアを哀れんだからといって、シアが自身を哀れむのは間違っている。

 父の想いがどうであれ……今の自分を作ったのは、過去の自分だ。無知で愚かな自身を恥じ、悔いるのは良い。しかし哀れむのは責任転嫁だ。


(過去を正し、やり直すことはできない……過去を認め、これからを考える……)

 窓から差し込む陽光で、ラキスのほつれた数本の前髪が、きらりと輝く。

 指先を伸ばし、触れかける。光の反射で金を帯びて見えた髪は、遮られ輝きをなくす。

 完全に光を遮断すれば金色になるのだろうか。しかし、シアの掌は陽を覆うには小さ過ぎた。

 気配を感じたのか、長い睫が震える。


「ん……んぐ……」

 鼻を鳴らし、ラキスが目を開けた。

「……んぐ?……ん、ん?……お、お前、今、おれを殺そうとしていたな」

「いや」

「じゃあ、その手はなんだっ!おれの首を絞めようとしてた。寝込みを襲うのは卑怯だ」

 絞殺するつもりなど欠片もない。

 殺すにしても剣を使う。

「わたしの寝込みを襲ったくせに。卑怯なのはお前の方だろう?」

 憂鬱な気持ちでいたため、声音がきつくなった。

「おれは卑怯ではないっ!いや……卑怯でもよいのだ。なぜなら仇討ちの卑怯さは必要悪だから。お前はひどい人間で卑怯者だ。クズだ。けど寝込みを襲ったら、もっともっと卑怯になるぞ。それでいいのだろうな。お前はなにせ、ものすごい卑怯者なのだから」

「言っていることがわからない。滅茶苦茶だぞ」

「おれの言葉がわからないのは、お前が馬鹿だからだ」

 ははは、とラキスは笑った。


(気は紛れるが……頭が痛くなるな)


 シアはラキスの髪に触れようとした指で、自身の額を押さえた。

「頭を回してみろ。カラカラ鳴るぞ。脳みそがなくて、スカスカ。石ころがひとつだけ入ってるんだ」

「入っていない」

「はは、石もないっ!スカスカのカスカスだな」

「……もう、いい」

「何がいいんだ。何もよくないっ」

「カスカスでもスカスカでもよい」

「い、いいのか?よくないだろ……」

 目を丸くさせ、シアを凝視する。

 首を振る度、カラカラ音がしたら五月蠅い。スカスカだと音はしないから、だからよいのか、とぶつぶつ言っている。


「この話は終わりだ。別の話がしたい」

 嘆息し、シアはラキスを見下ろす。

「別の話?」

「ああ。……お前の兄はどういう人、いやどういう妖獣だった?」

 訊いて、どうなるわけでもない。けれど訊いておきたかった。


「知ってるだろ?お前が殺した。その時に見ただろ?さては忘れたな?これだからカスカスは。やっぱりスカスカは良くない」

「姿のことではない。金色で、紫の目の大きな犬型の妖獣なのは知っている。そうではなくて、性格とかそういうのを訊きたいんだ」

「性格……」

「遊んで貰ったり、悩み事を相談したり……したのか?」

 シアには兄弟がいない。

 兄がいれば父の期待は彼が背負ったはずで、シアの人生は今とは違うものになっていたであろう。

「復讐を誓うくらいだ。仲がよかったのだろうな」

「仲がよい?時々、噛みつかれたけど、仲はよいのか?愛情表現?仲はすこぶるよかった」

「……優しかったのか?それとも厳しかった?」

「兄以外の兄は知らないから、そんなの知らない。優しいとか厳しいって、何と比べればいい。おれは兄以外は知らない。……お前よりは優しかった。兄はおれを縛ったりしない」

 兄以外は知らない。その言葉に引っかかった。そういえば両親はなく、兄がたった一人の家族だと言っていた。

「友達とかは、いなかったのか?」

「友達は兄だ」

 すぐに答えが返ってくる。


 今まで斬った妖獣の中に、徒党を組んでいる妖獣はいなかった。

 群れる習性ではないと決め付けていたが……自分が妖獣のことを知りはしないと思い知ったばかりだ。

 単に、ラキスたちは群れるのを厭っていただけかもしれない。

 人間だって独りを気楽だと感じる者もいる。――シアのように。


(習性なのかはわからないが、彼には兄以外、親しい者がいなかった。わたしにレドモン……父しかいなかったように)


 いや、ラキスにとって、兄は友達で、親代わり。シアよりもずっと、ラキスの世界は狭かったのではないか。

 兄一人の小さな世界……。その兄を自分が奪った。


「……お前の兄の名前は何て言うんだ?」

 知ったところで意味はない。けれど知らなければならない気がし、シアは訊ねた。

「兄の名前?兄は兄だ。兄以外の名なんてない」

「……だが、お前には名前があるじゃないか」

「兄が名付けてくれた。素敵な名前だ。……兄はおれに名前を付けてくれた。けどおれは兄に名前を付けなかった」

 ラキスは誇らしげな顔を次第に曇らせていった。


 兄に名前を貰っておきながら、自分は名前をあげなかった。

 兄に名前がなかったことにすら気づいていなかったのだろう。ラキスはひどく落ち込んでいるようだった。

 シアはシアで消沈というか……倦怠感があり、もともと多くない口数が皆無になる。

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