第27話 剣を持つ理由

考えてみたこともなかったが……。戦えば獣と妖獣の違いくらいわかる。獣を妖獣だと思い込み、殺したことはない、筈だ。だけども、妖獣と気づけず見逃したことはあるかもしれない。


(獣だって、襲ってくれば斬る。襲って来ない妖獣は、斬らない……)

 無害であれば、妖獣を斬る理由がない。そもそも無害ならば、賞金首にはならない。

(害を成さなければ妖獣だろうが獣だろうが人であろうが、大した問題ではない)

 上手く丸め込まれている気もしたけれど、確かに彼の言う通りだった。

 だが……。


「わたしは襲われたんだ……人なのか妖獣なのか、わからず……驚いて、困っていたんだ」

「うん、そうだろうね。君も驚いただろうが、僕も少し驚いた。君は妖獣専門の賞金稼ぎだ。僕よりもずっと妖獣を多く倒している。だから、もうとっくに知っているとばかり思っていた」

「妖獣が人になるところなど、今まで見たこともない」

「まあ彼らも無闇に人になったりはしないのだろうがね。……でも捕まえたんだろう?……喋れるんなら、色々訊いてみたいけど、妖獣は口が堅いらしいし……」

「口は……堅くはないが……」

「そうなの?会ってみたいけど……やっぱり危険だしね。早めに殺した方がいいな」

「……殺す?」

「拘束してるのなら平気かな……ああ、でも今は僕の方が、忙しくて無理だ。君の方で処理してくれて構わないよ。手勢が必要なら、誰か行かすが」

「ま、待ってくれ」

 シアは焦った。

「手勢の報酬は、僕……ギルドが持つよ。本来なら君が支払うのが筋だけど、サービスだ。捕らえているのなら君一人で充分だとも思うけど」

「手勢は必要ない。というか……簡単に殺すとか言わないでくれ」

 シアの言葉に、レドモンは首を傾げる。

「なぜ?」

「なぜって……人の姿をしているんだぞ」

「人の姿をしてたって妖獣だ。それに、君、襲われたんだよね?復讐だとかで、命を狙われているんだろう?」

「彼の兄を、わたしが殺した、と……」

「殺さなければ、殺される。殺す以外にないじゃないか」


 仮にラキスが人間であったとしても、自身の命と他者の命を天秤に掛けたら、自身の方が重い。

 危険を回避するために、この手が人間の血で染まるのは致し方ない。

 それが割り切れないほど、シアは善良ではなかった。

(違う……そうではない)

 足下がひどく、ぐらつく。

 頭の中がぐらぐらと揺れ、地震でもないのに足裏に触れている床が曖昧になった。


(ラキスが妖獣だとか、人になる妖獣がいるのは、どうだっていいんだ……。重要なのは、考えねばならないのは――)


「説得でもするつもり?復讐に意味はないって?復讐のため、散々、妖獣を殺してきた君が?」

「違うっ!復讐していたわけじゃないっ!」

 失笑され、シアは思わず叫んだ。

 珍しく声を荒げたシアをレドモンは不思議そうに見返す。

 シアは彼から目を逸らし、臙脂色の絨毯に視線を落した。


「妖獣に……意志が、こころがあると知っていたら。わたしは妖獣を殺したりはしなかった」

「心?」

「……人と同じように。愛したり、憎んだり、寂しいと思ったり、嬉しくなったり。獣にだって喜怒哀楽はあるのかもしれないが……。肉親を殺されて復讐心を抱く。そんな感情があると知っていたら、わたしは……」

 過去にどれくらいの妖獣の命を奪ってきたのか。数を思い出せない。その中に、人のすがたを持つ妖獣がいたのか、確かめる術はない。

 人のすがたにならない妖獣もこころを持つのか。わからない。けれども、今まで殺した多くの妖獣。その肉親に、シアを恨み、憎んでいる妖獣がいる……。

 想像し、肩が震えた。


「君は母親を妖獣に殺されたから、妖獣が賞金首の依頼しか受けなかったのだろう?復讐のため、ではなかったのかい?」

 静かな問い掛けに、シアはゆるく首を横に振った。

 レドモンの溜め息が聞こえる。

「妖獣なら殺したところで、誰の恨みもかわない。罪悪感も抱かない……。人に憎しみを向けられるのが、罪悪感を抱くのが嫌で、人絡みの依頼を受けなかったのかい?」

 居た堪れない沈黙が流れた。

「ならば君は剣を持つべきではない」

 しばらくして向けられた厳しい言葉に、シアは伏せていた顔を上げた。

「剣は奪うものだ。この先、奪うであろう者を斬ったとしても、奪ったことには変わりない。何かを与えたようにみえたとしても、そこには必ず奪ったものがある。命の重みに躊躇するなら、剣を持ってはならない」

 見据えられ、シアは息を呑んだ。

「わたしは……」

 言い返そうとするが、続かなかった。


 幼い頃は剣士に憧れていた。

 古い物語の英雄のように、広い世界を剣を片手に旅する。冒険を夢見た。

 父の影響で、より身近な賞金稼ぎに憧れるようになった。

 英雄とは違うけれど、人に感謝されたいわけじゃないから、剣を持って冒険できたらそれでいい。まだ見ぬ世界はキラキラと輝いていて、幼いシアの好奇心を擽った。


 しかし――。世界はキラキラしていない。

『死』は哀しいだけではなく、とても醜い。夥しい血、肉、臓器。現実の死は、空想とはまるで違った。


 無邪気な憧れはなくなったけれど、力への欲求が強くなった。剣を上手く扱えるようになれば、酷い光景を見ずに済む。だが実際は……そういった光景を生み出すのが、他者ではなく自分に代わっただけであった。


 そのことに気づいた時。奪われる側でなく、奪う側に回ったことに戸惑いが生じた時。剣を捨てるべきだったのだ。

 こころを持たない。そう信じ込んでいた彼らの血を見ても、罪悪感を抱きはしなかった。

 けれど、妖獣であっても死の醜さは同じ。依頼主に感謝されたところで、正しいとは思えず、自らが斬った無惨な屍を前に憐憫を覚えることもあった。

――奪う覚悟のない者に剣を持つ資格はない。

 彼の言う通りだ。反論の余地なんてない。

 剣を捨てた先にある未来を想像できなかった。

 斬ることへの戸惑いより将来への不安が勝ったから、ギルドに所属し賞金稼ぎとして、生きてきた。

 覚悟もないのに剣を手放さなかった理由。言い訳を口にするのは、惨めだった。

 そして今も……。

 資格がないとわかっていても、剣を捨てる勇気がない。かといって、奪う覚悟もできない。

 何ひとつ自分では決められない。情けなさに、指が震えた。

 顔を強ばらせたシアに、レドモンは目を細める。


「若い頃、一度だけ賞金首を見逃したことがある。盗賊の頭だった男は、仲間に裏切られ、起き上がることも出来ないほどの大怪我をしていて……見窄らしい女が必死に看病をしていた。どうせ近いうちに死ぬのだろうから、わざわざ手を下す必要はないと僕は思った。……だが、しばらくして様子を見に行くと女の死体が転がっていた。奇跡的に回復した男が邪魔になった女を殺したんだ。女が死んだのは僕が男を哀れんだせいだ。悔いて落ち込み、逃がした男を追おうとする僕を、やめろ、と彼は窘めた。賞金首として追うならいいが、復讐心が少しでもあるなら、やめろ、と言った。感情で斬るなら、賞金稼ぎと名乗るな。ギルドを辞めろ、と言われた。尤もだと、僕は彼に従った……。けれど皮肉だね。そう言った彼は愛する女を妖獣に殺され、賞金稼ぎとして妖獣の依頼ばかり受けるようになった。裏切られたと腹立つより、哀れみを覚えたよ」

 レドモンは微笑み、同情の眼差しをシアに向けた。


「剣は奪うもの。命を奪うことに躊躇するなら剣を持つな、と言ったのも彼だ。そう、君の父親の台詞だ。口癖のように、ことある毎に口にしていたのに……あの人は君の前ではそれを口にしなかった。奪う覚悟ができていない、幼く弱い、優しい子だと気づいていたのだろうね。君に剣を捨てさせたくなかった。娘の将来より、自身の復讐心を優先した……そのことを僕はとても哀しく思う」

「……わたしは……」

「君が捕らえている妖獣をどうするかは、君が決めなさい。これからの君のことも。割り切れないまま賞金稼ぎを続けるというならばそれでも良い……。僕は諭しはするが責めはしない。君から剣を……未来を取り上げる権利なんて誰にもないのだから」

 賞金稼ぎとして散々いのちを取り上げてきた人間の台詞じゃないな、とレドモンは自嘲したように、笑んだ。

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