第11話 あやしい男
「お前はどこにすんでいる?」
「……は?」
「お前の住処はどこだ?」
「住処……?……宿なら、とっているが……」
「宿というのは、どこにある?」
シアは宿の位置を答えた。
答えてから、なぜそんなことを問うのだ、と訝しんだのだが、
「ふうん……わかった。でもおれは、そっちではない。でも来い……来て欲しい」
と言われて、納得した。
きっと破落戸に見つかりたくないのだ。
からまれた後で不安なのもあって、帰る方向が一緒なら同行したいと思い、だから訊ねた。
そして、逆方向だったが、送って欲しい。そういうことなのだろう。
子どもならともかく、おそらくシアと同い年くらいの男性である。
微妙な気持ちになりはしたが、乗りかかった舟である。送ってやることにした。
「あっちだ」
彼が指で指し示した方向は、宿のある方角と同じだった。
途中で方向転換するのだろう、と歩き出した彼の後を付いていく。
(……奇妙な男だな……)
言葉遣いが、若干変だ。
妙にたどたどしく、言葉に不慣れな感がある。
見目好いので深窓の令息なのかもしれない。……だがその割には、青年は見窄らしい恰好をしていてた。
(家出中なのか?……だとしたら、このまま家に帰るのだろうか)
危ない目に遭って、家出を取り止めたのか。
不審に思いはしたが、シアは問い質すことはしなかった。
詮索はされるのもするのも苦手だ。
正直なところ、彼が何者であろうと、興味ないし、関わりたくもなかった。
(だが、礼ぐらいは欲しいな……)
仕事ではないので、報酬など期待していない。
しかし、『ありがとう』『助かった』など……一言くらいあっても良いはずだ。
(まあ、善意ではなく、後味が悪いのが嫌で助けただけだしな)
青年のくちゃくちゃになった後頭部を眺めながら、感謝を求めるのはお門違いだ、と自身の思い上がりに苦くなった
「……君、名前は?」
苦さを振り払いたくなり、シアは彼に声を掛けた。
黙ったまま先を歩いていた青年が足を止め振り返る。
「名前?なんで、名前を訊く?」
「なぜって……他意はないが。……わたしはシアだ」
「知ってる」
「は?」
「いや、知らない」
「…………は?」
「お前はシア。今、覚えた」
青年はひどく真剣な眼差しで、シアを見据えた。
深い、紫色の瞳。
その双眸に、シアはふと既視感を覚えた。
印象的な瞳の色だ。知人に同じ色の瞳を持つ者はいない。
しかし――この瞳を見たことがある……。
手繰っても、それらしい記憶はないのにそう思った。
「もしかして、前にどこかで会ったことがあるか?」
一応、訊いてみる。
「今、覚えたって言った!おれは、ラキスだっ。お前は今、おれの名を知ったっ!おれはお前を知らないし、お前もおれを知らない。今はそれがいい!そっちの方が油断す……しないっ!名前を教えたのは今が最初で、お前がおれを見るのは初めてだ!それは初対面ってことだろう!おれは嘘、ついてないっ!」
美貌の青年――ラキスは唾を飛ばし、いきなり声を荒げはじめた。
シアは呆気にとられる。
「……そ、そうか」
捲し立てる内容には、意味不明なこともあったのだが、シアは迫力に押されるように相槌を打った。
ラキスは、そうだっ、と一喝し、前を向き。歩き始める。
確かにラキスという名に聞き覚えはないし、そもそも以前に出会っていたら、忘れるはずがない。
街角で擦れ違っても、深く記憶に刻まれるだろう。
それくらいに、一度見たら忘れられないほどの、美青年だった。
自分の勘違いなのだろう。
「……君の家はどこにあるんだ?」
しばらくして、あることに気づき、シアは訊ねた。
「……なんで、そんなこと訊く?」
歩調を緩めずラキスは聞き返してくる。
「いや……このままだとわたしが借りている宿に着きそうなんだが……方向が違うと言っていただろう?」
「…………じゃあ、こっちだ」
彼はそう言って、脇道へそれる。
(じゃあ……って……)
流石に、怪し過ぎる。
ずんずん突き進む後を追っているうちに、人影どころか街灯も、建物も遠くなっていく。
舗装されていない険しい道に入ったところで、シアは立ち止まった。
道の両脇には雑木林がある。
この先に、家屋はあるのだろうが……。
雲に隠れ、月の姿はない。
風が葉を擦り合わせている音がひどく大きく聞こえた。
「どうした?」
足を止めたシアに気づき、ラキスが振り返る。
闇の中で、白い麻布と白い肌がぼんやりと揺れた。
「君の家はどこにあるんだ?」
先ほどした問い掛けを、もう一度繰り返す。
「なんで、そんなこと訊く?」
ラキスも全く同じ調子で聞き返してきた。
「……君の家は、本当にこの先にあるのか?」
静かな声音で訊ねる。
彼は答えない。暗いので表情は確認出来ない。
沈黙に、不審感が増した――。
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