2章

田辺里美

第13話里美

 荒れ果てた室内には、箪笥が倒れ、洋服は散らばり、切り刻まれ、クローゼットもベッドシーツも捲り上がっている。

 ベッド脇のサイドテーブルの花瓶は床に転げ落ち、水浸しになったフローリング。ひろみとの電話途中に、急に後ろから羽交い締めをされて、声を失った。その後の記憶が無い。

 気が付けば、さっきまでいた、ひろみの自宅のベッドルームとは違う場所。目の前の白い布が目を塞ぎ、前がうっすらとしか見えていない。鈍い扉の開く音と革靴の足音が私に近く。後ろ手に拘束されて、手が動かせない。足も紐のようなもので縛られている。

 ビクビクとしながら、俯き加減に声を殺していた。すると足音が私の目の前で止まる。


 掠れた低い男の声が更に私を恐怖に陥れた。


「君は何のためにここに来た?」


 その問いに、恐怖で答えられずにいた。


「応えたくなければ黙っていても構わないが、少々時間も足りないのでね、すぐにでも幾つか質問に答えて頂く」


 そう言う男の言葉に限って、真実味は無いことはわかっていた。応えなければどうにかするという意味も含むように、私の首筋に冷たく尖った印象を与える物がスッと触れた。その冷たい尖った物を宛てがいながら、私に質問を投げかけてくる。


「質問1、桂木ひろみとはどういう関係だ?」

「質問2、朝の早くから、人の家のベッドルームで何を探していた?」

「質問3、桂木興産の手の物にしては、あっさりだったが、それは演技か?」


「…………」


「そうか、痛い思いをしないとわからないんだな?」

「……いっ嫌ッ!」

「悪いが、女のその悲鳴には興味はない。さっさと応えないと、タダじゃすまなくなるぞ?」

「いっ言います!言いますから………」


 私は、ボソボソと質問の答えを一つずつ答えた。


「名前は、田辺里美。学生時代からの、桂木ひろみの友人……です」

「なるほど、ベッドルームでは何をしていた?」


掠れた声がまた恐怖感を与え続けた。


「で、ですからひろみさんに、たっ頼まれて自宅マンションにき、来たんです」

「ほぉほぉ? じゃあ桂木興産の人間は無いと?」

「で、ですから!学生時代の友人なんですって……」


 震える声で答えたが、男は証明できるものは何か無いのかと問いかけてくる。私は、先ほどのベッドルームの脇に置いたバッグに免許証があると、声を震わせながら答えた。すると男は、何も言わずにドアを開けて出て行った。

 一人になる一瞬が更に恐怖心を煽った。帰って来れば、また何かされるのでは無いかという思いでいてもたっても入れなくなり、必死に腕の紐を取ろうとしたが、固結びで取れない。足をバタつかせても同じ状態だった。


 しばらくすると男の革靴の足音と共に扉が開き、バッグらしきものを床に投げすてる音が部屋に響いた。


「開けるぞ。いいな。あくまで確認のためだ。お前が嘘を言っていたなら、すぐにでも抹殺してやる」


 バッグのジッパーを開ける音、そしてカバンの中を弄り、財布を更に開けるジッパーの音が小さく鳴る。免許証を取り出したのか、男は私の目隠しの布を口もとまで下げた。男の顔が目の前にあった。サングラス越しに見える鋭く細い視線。恐怖のあまり硬直し、凝視するかなかった。


 男はため息をつき、私の目の前で頭を掻き毟った。


「チェッ! 遅かったか……」


 男はサングラスを外し、私に微笑んだ。


「本当のようだな、すまなかった。俺は桂木興産の追っ手を追っている黒田というものだ」


 その微笑んだ顔は掠れた鋭い声とは似つかない優しさを含んだものになっていた。


「あっあの……」

「で? 君は、ひろみさんの友達!? 何でここ来たの?」


 先ほどと同じ質問だったが、軽い感じで聞き直す。


「いや、だからひろみに頼まれたんだって」


 黒田の微笑み返しに私は、我に帰り普段どうりの言葉遣いに戻る。


「頼まれた?」

「えぇ、朝早くに電話があって、マンションに取りに来て欲しいものがあるって」


 私は素直に、ひろみの伝言を伝えた。すると黒田は胸元から鞘付きのナイフを取り出し、突き立てるのではなく、逆向きにして私の腕の紐と足の紐を切って続けた。


「ということは、俺はある意味正解だったか……。 どこ?」


 私は、さっきとは打って変わっての態度に、安堵を覚えたのか紐を切られても逃げること馳せずに、ベッドルームを指差した。


「一緒に来て!」


 黒田の指示に従い、私は男に腕を取られてついて行く。ベッドルームのベッドの上に無造作に置かれたタブレットと用紙を指差した。


 黒田は、その用紙を一目見るとスーツに仕舞い込んだ。そしてタブレットの電源を入れた。起動画面からパスワードの要求がされたようだった。男は私にそれを見せて、パスワードは何かと問いかけてきた。しかし、私にはわかるはずもない。もしかしたらと思い、ベッド脇の鍵と同じ暗証番号がパスワードと思い『ひ・ろ・み(1・6・3)』と伝えたが、暗証番号は違ったのか、黒田は頭を再度掻き毟った。


 黒田は、私にひろみに「電話できるか?」と問いかけてきた。私はできると答えたが、携帯が見つからなかった。ベッド脇をみると水浸しになった床に、携帯が落ちていた。電源は切れていた。再度入れようとしたが、全く反応しなかった。


 すると男は番号は覚えてるか?と言ったが、先ほど掛かってきた番号は覚えているはずもなく、ふとひろみ自身の番号ならと、メモ帳をバッグから取り出した。


「あった!」

「じゃあ、ちょっとかけてくれる?」


 黒田自身の携帯を私に差し出す。その端的な言いましと、馴れ馴れしさに苛立ちを少し覚えた。


「ちょっとさっきから馴れ馴れしすぎない?」

「あっそう? まぁ敵じゃないからな、いいから掛けてよ。ってか君こそ、俺のこと怖くないの?」

「怖いわよ。さっきは、ナイフも突きつけてたのに、何? この態度の違い」

「ああ、ごめん。君は俺の敵ではないってわかったから。早くかけてよ」

「はいはいわかったわよ。って先にさっきのこと謝んなさいよ!」

「あぁーーわりーー、ね? だから、お願い……」


 軽いノリのこの黒田に腹立たしさを感じながら、私は、黒田の携帯からひろみに電話を入れた。

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