第6話殺意

「何をするの!」

「馬鹿野郎。外に連絡をするなと言っただろうが!」


 聡の大声が暖かい暖炉の部屋にこだました。崩れ落ちた私の手を掴み、無理矢理にでも立ち上がらせようとした。


「放して、触らないで」


 私は聡の手を振りほどき、その場で惚けた。

それを見た聡は、後ろを向き、携帯を持ったまま、テーブル前のソファーに腰掛けた。


「朝食だ。とりあえず腹に入る物は何でも食べておいた方が良い。君は今疲れている」


 分かったような口ぶりに、私のはらわたは煮えくり返った。


「当たり前でしょう? 何の説明も無いままココに連れられてきて、閉じ込められて、ご飯を食べろって、馬鹿じゃないの! 私は、私は夫を殺したのよ! それにココに来ていきなり鍵を渡せだの何だのって、もう嫌。家に帰らせて。状況が全く理解できない。殺すんならさっさと殺しなさいよ!」


 当たり散らすかのように、ソファに座る聡に向けて暴言を吐いた。


「殺しはしない。今は君をちゃんとしたところに送り届ける為の準備と静養が必要なんだ。だから今は朝食をとってゆっくりとしてくれ。何も怖がる事は無い」

「じゃあ証明できる? じゃあ、何故私の自由にできないの? 警察にだって電話しなきゃ。私はどうせ追われてる身なんでしょう? そうだもの。殺したんだ。殺したんだもの。愛してた夫を! 浮気と迷わさせて、あなたたちに仕向けられて、私は自ら夫を死に追いやったあ!」


「落ち着け。とにかく今君には静養をと思ってる。朝食だ。これを食べれば少しは落ち着くだろう……。悪い事は言わないから、言う通りにしていれば何も問題ないんだ」

「問題? 山積みじゃない。どう逃げるの? どこに? どうやって? ココは何処!? いい加減にしてほしい物だわ。ライバル社か何か知らないけど、もう仕事の事で私を巻き込むのはやめてよ。昔は仕事の事と言っても何も教えてくれなかったくせに、今になって私の夫の仕事やその鍵とかってものを教えろって。チャンチャラおかしい。可笑しいっちゃ!」


 聡は私の言葉尻を落ち着いた低い声で諭した。


「君のその方言、久しぶりに聞いたよ。懐かしい感覚が蘇るよ」

「馬鹿にしんといて。私は今怒ってるんよお」


 平常心がキレた私は、育った地方の言葉を口して、怒り心頭になっていた。それでも聡は、テーブルに置かれた朝食のフォークを見せて促した。

 私はそのフォークを見た時、自殺をしてやろうと考えて、ゆっくりとソファーに腰掛けた。聡は私にフォークをゆっくりと渡した。

それを受け取ると、私は直ぐさま自分の首元にフォークを突き立てた。


「何をしている」


 聡が慌てた様子で私の持つフォークに手を伸ばそうとした。私は、それを見ながら引き下がり言い放った。


「これ以上近づくと私、死ぬわよ? いいの?」

「…………ひろみ……君は」


 ゆっくりとソファから立ち上がり、聡から離れながらフォークを首元に近づける。


「出来ないよ。君には……」


 低い声が私の感情を逆撫でる。その言葉尻に逆上して、力を入れて首元にグッと差し入れようとした時だった。聡の手が私の頬を叩き付けた。


「馬鹿野郎。君は何を考えてるんだ。死んだら終わりだろう。君には幸せになる権利があるんだ。それを今は説明できないけれど、俺が必ず安全な場所に連れて行ってやる!」

「もういい。私は死んでもいい人間! 夫を殺し、あなたたちみたいな得体の知れない会社の事情に振り回される何てもう嫌!」


 聡が振り上げた手を、私のフォークを持つ手に覆い被さった。


「突き刺せよ。俺たちが憎いんだろ。俺たちをやってみろよ。そしたら逃げられるぞ。自分の好きなように。ほらあ」

「嫌! 何を言ってるの? 私は、自分をもう殺したいの」

「死ぬな。君はもうあの男の手から離れたんだから、幸せになれる権利があるんだ」

「分からない。何を言ってるの!? 何なの? あなたたちは、説明してよ。私が死んだら、鍵が手に入らないからそう言ってるようにしか聞こえない。私にはそうとしか聞こえない」


 聡はフォークを取り上げようと、躍起になって腕を掴む。私もそれに抵抗して振りほどこうと必死になりながら揉みくちゃになる。テーブル上の、サラダと卵焼きがフローリングに皿ごと落ちて大きな音がたった。


「放せ、馬鹿野郎。思い出せ、君が死ねば、君の死んだご両親は喜ぶのか? ええ!? 君の……」

「関係ないじゃない。私はもう一人よ。私が死んだっていいわよお。私の人生なんだから」

「否、君一人の人生じゃない。あの男のせいで、君のご両親はどうなったと思ってるんだ?」

「クッ、言わないで。それ以上言うと。あなたを許さないわよ!」

「許されなくても良い。言ってやる。君のご両親は、あの男に殺されたようなものじゃないのか!? それでも君があの男の元を離れられないのは、母親との約束があるからじゃないのか!? 違うか? 君の本当の母親が死ぬ時に、言った言葉を守ろうとしているに過ぎないって! あの時に誓った言葉があるからじゃないのか!?」


 私は我を忘れそうになった。聡の言葉に怒号の如く虫酸が走る思いをした。それは私の心を揺さぶった。そう…。私の両親は桂木に殺されたようなもの…。でも、それを呑まなければ今の私はいない。


「そうまでして、義母に尽くす必要があるのか!? もう君は、離れて良いんだよお。闇に包まれた家族から」


 それを聞いた瞬間、持っていたフォークを床に落とした。壁に押し付けられた私の腕と目の前数センチにある聡の表情が本気を物語っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇

「ひろみ? 私はもう長くはない……ゴホッ! ゴホッ! でもひろみ? あなたはあの人の元を離れてはいけませんよ? 母さんたちが、苦労した分あなたには普通の人生を送ってほしいのよ? わかる?」

「母さん、もうしゃべらないで……」

「いいから聞いて、あなたのお父さんは、私たちを捨てた人、惰性を貪ったあなたの父親は、桂木さんのおかげで、私たちを解放してくれた人。だからね? 決してあの人を裏切るような事はしてはいけないわよ。分かった? そして何があっても、自ら死を選んではいけないわよ?」

「うん、お母さん、分かってる。私はあの人(夫)を裏切らないわ。どんな事があっても。それから自分を強く持つわよ。お母さん?」

「ありがとう。ひろみ……かあさん……うれしい……ゴホッゴホッ!」


 一瞬、私の中に母親が逝く時の映像が流れて我に返った。

私の心はズタズタだったあの頃の事を蘇らせた聡の言葉に、また頬から涙が伝い落ちた。


 母さんの最期の言葉が胸に突き刺さった。


「ひろみ? しあわせを掴みなさいよ? あの人と……」


 病弱であった母親が、桂木家族の元に来てから、更に体調を壊し、わずか一年も立たずにで逝ってしまった。母親の葬儀は夫と私と私の姉家族のみの参加で、義母たちは参加する事も無く終わった。家に帰ると、義母に声をかけられた。


「やっとね。整理は付いた? せいせいしたわぁ。全く。母親も惨めなもんね? 父親に比べればまだマシだけどさ。ひろみさん? お金も結構使ったのに、お礼も無しかしら? 誰のおかげで葬儀で来たと思ってるの?」

「あっありがとうございます」

「でも、あなた、ココには住めないって言ったらしいじゃない? 何様のつもり? こおーんな豪華な、お屋敷があるのに、わざわざ一般人が住むような小さなマンションで暮らそうなんて、良く出来たお嬢様でも決して言えない言葉よ? 御曹司である哲也にね? わかる?」

「すっすみません。でもそれは哲也さんも了承済みなので……」


「あぁ、やだやだ、尽くしてあげるのはこっちだってのに、好き勝手が良くできる事。まあいいわ。その代わり恩恵をいつまでも受けられるとは思わないで。出来るだけ早く別れてあげてね? 決して子供なんて作らないでね? あの子がかわいそう」


 義母の当てつけはこれだけでは無かったが、マンションに移住してからというものそれも陰を潜めていた。普通通り、過ごせていた筈だったのに……。この一件だ。


 そして、目の前にはそれを全て知っていたかの様に語る聡の顔があった。そして私は平常心を取り戻し、聡に核心を突いた言葉を投げかけた。


「じゃあ、教えて。鍵って一体何の鍵なの? その言い分だと私、いえ、私の両親に関わる事なの?」


 聡は少し下を向いた。そして小さく首を縦に振った。

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