第5話鍵

 鍵を渡せだって? 何を急に言ってるの? しかもこのメールを見た瞬間に出た言葉……。もしかしたら、秘書の馬場さんと聡たちは繋がっているの? 頭の中にそんな思いが過る。完全な罠? 鍵を渡すためにココに連れてこられた?

 って事は、哲也さんを突き飛ばした私は……。わたしは、何て無様なの? あぁ、どうしたら……。


 状況がつかめなかった私にも、少しずつ分かり始めたこの一件。聡たちに私は利用されている。でも、鍵なんて、どこに……。


「さぁ! 鍵を渡してくれ! 俺を信じてくれ!」

「信じてくれって言われても、私、状況がいまいち、わからないわ。何よ、鍵って?」


 お爺さまと呼ばれる老人が、杖を聡の前面に突き出した。


「せっつくな聡! ひろみさん、鍵の意味がわかるかい?」

「……いえっ! どういう事ですか? 急に鍵って言われても私には……」

「ご主人から何か受け取っていないか?」


 数秒、私は頭を捻った。ふと記憶に過ったのは、昨日の夫からの誕生日メールの事だ。しかし私には直接渡されてはいない。あれが聡と、馬場さんが言う鍵ならば……。

 頭を捻らせるが、それしか考えられない…。そんな事を頭に過った事を悟られていはいけないと、別の事を考え始めると、聡の祖父と呼ばれる老人は口を開く。


「仕方あるまい。急にそんな事を言っても、分かるはずもかなろう。少し考える時間を与えてあげよう。聡、ひろみさんには朝食の用意を」

「………はい」

「急にすまないね。ひろみさん、訳も分からんだろう。急に、鍵などと言われてもな」


 私はお爺さまの言葉にも黙ったままだった。


「でも、今は何処にも連絡は取らんでくれ。一人で考えてくれまいか? 何処にいるのか他の奴らに分かると、我々……否、君は昨日に逆戻りになる。つらい思いを抱えるのは今日で最後にしようじゃないか、新しい人生を手に入れるために、少し時間が必要だ」


「どういう意味です?」


 聡はこの部屋を後にして、奥の扉を開けて出て行った。お爺さまが杖をゆっくり地面に下ろし私に訴えかけた。


「君は頭がいい。どういう状況化でも、賢く考えて、ココに来たはずだ。まぁ、ご主人の事は想像にもしなかった事だが……。さあ、準備が出来るまでソファで、ゆっくりとしていなさい。但し、この部屋からは出す事は出来ないがね」

「ちょっと待ってください。私が何をしたって言うんですか?」

「まぁ、待て。もし外に出て、誰かに見つかりでもして見なさい。状況はもっと悪化すると思いますよ?」


 言葉は優しく感じるが、眼は鋭くがんを飛ばし、訴えかけた祖父と呼ばれるお爺さま。

 その言葉は、私に恐怖を植え付けるには打ってつけの言葉だった。私は後ろの扉口に駆け寄り、ドアノブを回す。何度も音を立てて回したが、扉を開ける事は出来なかった。もう既に籠の鳥だと悟った。私は、扉前に膝をついた。


「自分がそんなに無様かね? ひろみさん」


 さっきまでの落ち着きようが無くなり、急に暖かい雫が頬を伝い始めた。自分がしでかした事と、置かれた立場にどうしようもなく涙が流れた。


「あなたには、我々もひろみさん、今後の幸せを祈っているんだ。分かるかい? 君は本当ならば、私の娘になるはずだったんだよ? でも今からでも遅くはない。新しい人生を掴めば、君はきっと今より幸せになれるはずだよ。だから、今は耐えてくれたまえ。どんな思いがあるにせよだ。複雑なのはわかる。それもこれも全部私たちは受け取る。まあ、とにかく今は少し落ち着きなさい。時期に食事が来る。そして少し、お休みしなさい。君には休養が必要だ」


 言葉を私に投げかけて、お爺さまは後方の扉を開けて鍵をかけて出て行った。

 崩れ落ちた私は、呆然と木製の古びたフローリングに落ちる雫を眺めるだけだった。何も考えられなかった。ただ呆然と落ちる雫がゆっくりと消える暖かい部屋。しかし心は寒々しく感じられた。もう、私は一人きりなんだと……。また夫、哲也さんを突き飛ばした状況を思い出し、歯を食いしばった。私の生活は何のためだったの?これまでの人生を振り返った。


 六年前…。


 私は、大学の四年生だった。聡に連れられて、その日もパーティに出席していた。大きなお屋敷で、行われている東郷不動産が基盤となって主催されたパーティ。そう、その東郷不動産とは、私が大学を卒業した後、勤める会社だった。

 偶然なのか、聡がそのパーティーに出席する事を聞いて驚いたものだった。いつもより上品なワンピースドレスを聡に充てがわれ、私たちは出席していた。そこの東郷社長にも秋過ぎの面接以来お会いする事となった。


 後ろから突然声がする。


「佐多山さんですよね?」

「あっ社長、ご無沙汰しております。本日はお招きありがとうございます」

「おぉ、やはりそうか。お招き?」

「えぇ、田々羅聡たたらさとしさんと一緒に来席させていただいております」


「ん? おお、そうかそうか。彼は中々のやり手だよ? もしかして、君たちは……」

「えぇ、お付き合いさせてもらってます」

「おぉ、そうか。ならば君には期待していますよぉ。将来有望だな。ハハハハハッ。私も将来のファーストレディにご挨拶できるとは、うれしい限りだよ」

「えっ? 社長、何を仰っているんですかぁ?」

「いやいや……。聡君に……」

「東郷社長、こちらにいらっしゃいましたかぁ!」


 私と東郷社長が話している間に、一人の男性が声を掛けてきた。


「おぉ、桂木さんですかあ。これはこれは」

「いやはや、この度は、ご提供に感謝いたします」

「いやいや……。あっ、佐多山さんすまない。ちょっと外すよ? ゆっくりと楽しんでいってくれ。では」

「ありがとうございます」


 聡は、私を一人残し、何処かへ消えていた。そしてそれが、夫の初見の日だった。そしてその後、まさかの夫の運転する車との事故……。それが運命の出会いだったのか分からないけど……。

 聡は私が社長と話を終えた数分後に、こちらに気づき手を挙げていた。

それを見つけて、駆け寄る私。


「ちょっと何処に行ってたの?」

「ごめんごめん、いろいろ挨拶回り」

「私も連れて行ってほしいなあ」


 ちょっと捻くれて見たものの、聡は平常心で応えた。


「学生の君にはまだ早いよ。ココは仕事場でもあるんだしね?」

「じゃあ何で連れてきたの? がくせーいさんを?」

「いやいや、参ったなあ。そこまで突っ込む?」

「だって、聡さんたら、私を一人放って寂しいじゃん?」

「じゃあ、ちょっとついてきて! お爺さまと会わせてあげるから!」

「お爺さまぁ?」

「あぁ! 結構大物だよ? 君に理解できるかなあ?」

「あっ! ひどおーい! 私も経済学を少しは学んで、著名人は知ってるんだから!


 そして、お爺さまと呼ばれる、元山岸興産の社長との面会だった。


「おぉ! この人が聡のお嫁さん候補か?」

「いやだなお爺さま。まだそこまでは……」

「………初めまして、私、佐多山と申します。こんな豪華なパーティにお招きいただきありがとうございます。聡さんとは1年前からおつきあいさせていただいております。私にはとてももったいないぐらいの良い人で、とても毎日が楽しく、元気を頂戴しております」

「おお! そうか、ハッキリと仰るところは相当、聡も好まれている証拠ですな? これはこれは、まぁ色々と手を掛けるかも知れんが、今後とも手を尽くしてやってくれまいか?」

「いえっ、お世話になっているのは私の方で、色々教えて頂いております。とても頭のキレる方なので、私の人生のお手本になります。お願いしたいのは私の方です」


「ハハハハハッ、良い物言いだな。これはこれは、尻に敷かれるぞぉ? 聡!」

「嫌だなお爺さま…」

「まぁ、ゆっくりとして行きなさい。聡の事をこれからもサポートしてやってくれよ?」

「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします」

「さあ? 待たせたのもあるし、少し食事を楽しもうか?」

「では、失礼いたします」

「はい、ゆっくりなぁ?」


 聡のお爺さま、先ほど現れた白髪のひげ面の老人、山岸興産の元社長との初見だった。

 その後、聡にお爺さまと呼ばれる人の事を聞いてみたが、帰ってきた聡の応えは、「いつも良くしてくれているお爺さまだよ」と言う事だけだった。

 その時は山岸興産のトップだとは知りもしなかった。聡の名字が田々羅という事もあり、お爺さまと呼んでいる事もあって、ただ聡のお爺さまとだけだと思った。その後、数回行く先々のパーティで、挨拶程度にお会いしたが、彼が山岸だと名乗ることはなかったからだ。


 そのパーティーを終えると、私のアパートまで聡はつれて帰ってくれた。そして次の日には、遠方への出張に出ると言い残し、聡はアパートを出た。

 聡がいない間、私は一人学校とアパートとアルバイト先との行き来だけの生活を送っていた。アルバイト先は会計事務所の事務とお弁当屋の掛け持ち。生活費は聡から少し頂いていたが、それは貧乏だった実家に仕送りをして、私のみの生活は自分自身で何とか生計を立てていた。

 学校の単元を取り終えていた私は、その日も会計事務所のアルバイトを済ませ、夕刻に市内の大通りを自転車で帰っていた。アルバイト終わりに、友人の里美との夕食の待ち合わせの為に少し急いで、大通り脇の歩道から赤信号無視で渡った時だった。右前方から曲がってくる高級車と私は、衝突してしまった。突然の出来事で、避けきれず私の体は宙を舞った。腰を強打しその場に項垂れた。


「君!大丈夫かい!?」


 慌てて運転席と、後部座席から男二人が降りてくるのが見えた後、意識が遠のいた。気づけば、病院の一室。ベッド脇には、一人のスーツを着た男性がいた。


「眼を開けたね? 先生を呼んでくる」


 それが夫になる、桂木との二回目の対面だった。

 あれから六年後に私は今、その夫になった桂木を突き飛ばし、聡と再開し、そしてお爺さまとも再開。これではまるで全部が何かに従った、いや何かに仕組まれたような奇跡の出会いと再開にしか思えなかった。


 床に落ちた涙も乾いたフローリングに崩れ落ちながら、私は過去を思い出した。そして床に落ちた携帯に目をやった。あの時から何かに従うように動かされた事なら……。もしかしたら、この今置かれた状況もあの時に出会った事のある人物も関係しているのではないか? はたまた、関係までは行かなくとも、何か事情を知っているのではないかと、卒業後、一時勤めた会社の東郷社長の事を思い出した。そしてあの時、病院に一緒に駆けつけてくれた里美。彼女とは学生時代からの唯一今も繋がっている友人。彼女が私の見方になってくれるのでは無いかと、携帯を手に取り、里美に電話を入れてみようと思った。


 時刻は、朝の六時を回った頃、床に落ちた携帯を取り、里美に電話をした。


 七回目のコール…。


「もしもし……ひろみ? 何? こんな早くに……」


 眠気が伝わる声で応答する里美。


「わたし、ひろみ」

「分かってる。こんな早くに……何?」

「わたし……」


 と、続きを話そうとした瞬間、後ろの扉開き、聡の声が聞こえた。


「何処に電話している。切れ!」


 後ろ側から、小走りに近づき声を張り上げる聡!慌てた私は電話口に声を張り上げた。


「助けて!あなただけが頼りなの!」

「はぁ……?」


 聡は強引に、私の携帯を奪おうと躍起に覆い被さってきた。それをさせまいと、私は携帯を一旦切り、腰を丸めて胸元で里美にショートメッセージを打った。必死にそれをさせまいと腕に掴み掛かる聡。


『たすけてころさ』


途中で携帯を奪われて、電源を切られた。


「何をするの!」

「馬鹿野郎、外に連絡をするなと言っただろうが!」


 聡の大声が暖かい暖炉の付いた部屋にこだました。私はまたその場に崩れ落ちた。

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