第4話何者

 もう何も考えられなかった。ただシートに踞り膝を抱えた。目の前が真っ暗だった。目を開けても瞑っても同じ。行く先に光りなんて見えない。聡の運転する車は、山道を延々と走っている。お互い言葉も交わす事無く車は走っていた。


 微かな音がした。ん? これは。鳥たちの鳴くような音が聞こえる。

 目を開けた。朝だった。私に毛布がかけられていた。目の前に広がる田園風景。車はゆっくりとしたスピードでその田園風景が広がる小道を進んでいた。窓が空いている。


「風が冷たいだろ。もう着く。我慢してくれ」


 あれから数時間、初めて聡が口を開いた。いや、私は寝ていたのか。山間の田園風景を見ながら、森林に入る。あぜ道で車が音を立てて、揺れ走っている。何も持たずバッグ一つで遠くまで来てしまった。いや、夫。なぜこんなに落ち着けているのだろう。つい昨日は夫を線路に突き飛ばしたというのに、私は何故か穏やかな気持ちだ。


 木々が生い茂ったあぜ道に大きな古びた邸宅が見えた。その脇に車を停める聡だった。


「着いた。降りて。気持ちは落ち着いているようだね」


 言われるがまま、ドアを開けた。古びた邸宅に、聡は何の迷いも無く、私を誘う。私はもうどうにでもなれと言う気持ちで、あっさりと足を踏み入れた。

 中はヤケに暖かい。玄関を靴のままあがり、一つ扉を開いた。

暖炉の火が見えて暖かさが増した。季節は秋だが、朝晩は冷えるからだと思った。


「とりあえず、くつろげる場所だから。テレビでも見ながら、そこのソファーで寛いでいてくれ」


 声をかけると聡は、奥の扉をゆっくりと開けて部屋を出て行った。暖炉と後ろにソファーとテーブル。十棚ぐらいある大きな本棚と大きなスクリーンのテレビだけがある部屋。窓の外は緑が生い茂っていて、小鳥が木を登っている。天気は快晴。日差しは強いいが、朝は冷え込んでいた。そして多分ここは、私の地元からかけ離れた東北地方だ。


 それはテレビを見た時に分かった。見慣れない番組の見慣れないキャスターが朝のお天気ニュースを読んでいる。昨日の事件がニュースになっていないか、画面に釘付けになろうとしたが、この間に、ここから逃げ出すことを考えた方が利口と思い、足音を殺してゆっくりと扉口に歩み寄った。そして扉のノブをまわした時、奥の部屋から声が聞こえてきた。


「彼女はココか? 無事につれてきたんだな」

「えぇ、とにかく顔を見てあげてください」


 えっ、顔? どういう意味? と、何処か聞き覚えのある声で、ノブを回しかけた手が止まった。そして後ろの扉が開いた。


 聡と一人の白髪でひげ面の老人が、茶色の杖をつきながらゆっくりと部屋に入ってきた。

私は、その老人の顔を見た瞬間に、唖然とした。


「ひろみさん、大変だったな……」


 その声を聞いた瞬間、口が半開きになった。そこに現れた老人……。その人は、以前聡と付き合っていた時に会ったことがある老人。


そう……。


 聡と何度か行ったことがあったパーティーでお会いした人物。その頃、聡はその人の事をお爺さまと言っていた。私にも良くしてくれた人物。確かに素性は知れなかった部分もあった聡だったが、大きなパーティに連れて行くという事は、私とも先の事を考えての行動だと思っていた。たが、あの件さえなければ私は聡と一緒になっていたのかも知れない。そうだ。あの夫と出会うきっかけとなった事故に会う件までは……。


「お爺さま……」

「無事で何よりだ。ひろみさん」

「えっ、えぇ、でも、何故聡さんと? どっどう言うことですか?」


 慌てふためいた表情を見せると、聡が口を開いた。


「俺の祖父だ」


 その言葉に、口が半開きになった。そしてそのお爺さまと呼んでいた方に目をやった。


「お爺さま?」

「あぁ、いままで黙っていてすまない。ひろみさん」

「あっえっ、えっ!?」

「そうなるのも無理はないか。君とは聡とは、一緒に昔パーティーで良く会ったね。良く覚えているよ。気持ちのスッキリとした良い女性だと聞かせれてもいた。だが、突然私たちのパーティには参加しなくなった。その時から私は、悲しかった。でも、今日ここで会えってホッとしたよ」

「ちょっ、ちょっと意味が理解……」

「それも無理もない」


 聡がゆっくりと口を挟む。


「このお爺さまは、君の夫、いやその祖父が経営していた頃から敵対関係にあった山岸興産の元社長だからだ」


 山岸興産。その社名を聞いたときに心臓の音が大きく脈を打った。

ライバル社……。私の夫のライバル……。


 私は、少し状況がつかめたようになった顔つきになった。この私が夫を殺す事になる計画をされたのだと感じた。私は一歩足を後ろに引いて、その場から立ち去ろうとした瞬間だった。バッグに入れていた携帯のバイブレーターと共に『you got a mail』と着信音が部屋に鳴り響いた。

 その音を気嫌うかのように、白髪のお爺さまが、少し鋭い目つきになり口を開いた。


「見てはいけないよ? 君には覚悟が必要なんだから……」


 体が硬直した瞬間だった。しかし、私は、今、もう既に夫を殺している。それを心配してか、夫を放っているのを不振に思われている親御、夫の母親からに違いないとバッグから携帯を取り出した。


 一瞬にして見える送り主の名前とタイトル。


送信者:馬場さん。


件名:『奥様、どちらにいらっしゃいますか?』


 秘書の馬場さんからだった。その画面を見るか否かすぐに画面をスライドさせる。


「おい! ひろみ! 見るな!」


 聡が声を張り上げる。それを振り切り、私は画面に食い入った。


『奥様どちらにいらっしゃますか? お母様もご心配しております。ご主人様が、お亡くなりになられた事はご存知でしょうか? もしこれを見たなら、私に一度連絡くださいますか? 皆様ご心配のご様子です。お母様が、ご主人が大事にされておりました書類と鍵を探しております。一度ご連絡くださいませ。』


 こっこれは…? どういう意味。心配? 書類? 鍵? 私にはさっぱり分からない……。聡が画面を見ている私に声を張る。


「ひろみ。君がもし、俺の事が嫌いならいい。しかし、もし昔に戻りたい。いや、俺の事を悪く思っているなら謝る。でも君のためにやった事なんだ。だから鍵を渡してくれ! 否、渡さないと君はココから出る事はできない」


 私は、私は、一体何者なの? 何が絡んでいるの? わたし……。私は携帯画面を凝視したままだった。

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