彼が変わった日
小学校の卒業式、同級生の女の子はみんな泣いていたけど私は笑顔でした。
私はワクワクしていました。中学校の制服、硬い生地にピンと背筋が伸びる感覚が新鮮で、慣れないスカートの膝下にかかる3月の冷たい風までが心地よく感じました。
私立の学校に行くお友達。
公立でも区間の違いで別の公立に行くお友達もいます。それはちょっと寂しくて、お別れの挨拶をしたり寄せ書きをしていると私まで涙ぐんでしまいますが、泣かずに済んだのはきっと、どのお友達の寄せ書きにも書いてあった『また遊ぼうね』の言葉を信じていたからだと思います。
だから、私にとって卒業はそんなに大事ではありません。
それより気がかりなのはセバスちゃんでした。
「卒業おめでとう」
「ありがとうセバスちゃん。学校では会えなくなるけど、これからもよろしくね」
「えっ……?」
「セバスちゃん?」
みんなと同じように『お別れ』と『またね』を言っただけなのに、セバスちゃんはその言葉に驚くと、そのあとはいくら話しても返事が返ってこなかったのです。彼はどうしてしまったのでしょう。
「真央、杉雄君が熱を出したみたいよ」
「え? 大丈夫かな? お昼からちょっとお見舞いに行ってくるね」
「じゃあマスクして行きなさい。あぁあと、このミカン持っていってね」
「はーい」
エコバックに4個のミカン。
セバスちゃんとセバスちゃんの両親、そして私の分のミカンです。ミカンは美味しいから好きです。マスクは息苦しくてあまり好きじゃありません。
「おじゃまします」
「あら、真央ちゃん。お見舞いに来てくれの?」
「はい! みかんもあるのでお母さんも食べて下さい。それで……セバスちゃんは大丈夫ですか?」
思えば卒業式、あの時の変なセバスちゃんを最後に私はセバスちゃんに会っていません。
「それがね、知恵熱みたいなのよ」
「知恵熱ですか?」
つまり何かを考えすぎて熱が出たということです。
私はあまりなった事がないのですが、セバスちゃんは熱が出るほど何を考えていたのでしょうか。
「杉雄、真央ちゃんが来てくれたよ」
「え? 真央……ごめん。今は、会いたくない……」
「え? セバスちゃん、そんなに悪いの?」
「……そうじゃないんだ……けど……」
珍しく応えてくれないセバスちゃん。
ドアの前ではたったそれだけのお話をして家に戻りました。セバスちゃんにそんな事を言われたのは、初めてでした。いつも笑顔で私に駆け寄ってくる可愛い年下の男の子というのが今までのセバスちゃんの印象で、なのでとても戸惑っています。せっかくのミカンの味があまり分かりません。
「杉雄がごめんなさい」
「いえ……でも、こんなに元気がないセバスちゃんは初めてです。心配です……」
「ふふ……それは大丈夫」
「え?」
セバスちゃんのお母さんらしい、控えめで優しげな笑い声でした。
でも、何が大丈夫なのでしょう。
「杉雄のは贅沢病だから」
「贅沢病?」
「そう、これから学校に行っても真央ちゃんに会えないでしょ?」
「はい……」
「杉雄が真央ちゃんの中学校に進学しても、中学校は3年制だから真央ちゃんは高校生でしょう?」
「はい……え? セバスちゃんの知恵熱って……?」
「ね? 贅沢病でしょう?」
お母さんの言っている意味がわかった時、思わず声が裏返りました。
つまり、セバスちゃんは学校でもう私に会えないのが悲しくて熱まで出したというのです。
「……あら、困らせちゃったかしら?」
「いえ……困ってはないですが……」
困っています。
なんと返事をすれば良いかに困って、私は結局お母さんにお返事ができませんでした。
「それはそうと、中学校では何か部活をするの?」
「あ……はい!! ミニバスケがしたいなって……でもテニスもしたくて、水泳も……」
「ふふ……やりたいことがいっぱいあるのね」
セバスちゃんのお母さんはとても優しいです。
気を利かせて話題を変えてくれたお母さんとたくさんお話しをしました。
お母さんには少し恥ずかしくて言えません。
でも、セバスちゃんの気持ちは嬉しいです。私と会えないなんて事で悩んで、熱まで出した彼を私はとっても可愛いなと思うのです。
ただ、そのあとしばらく彼の言葉はちょっと変でした。
変な『ごっこ遊び』を突然始めるのですが、それがよく分からなくてお父さんに聞くと、それは厨二病というものだと教えてくれました。
「男にはそういう時期があるんだよ」
「そういうものなの?」
「女には理解し難いけど、貴方にもあったのよね? スピードスターさん?」
「もうそれ勘弁してくれないか?」
つまり、男の子には『厨二病』と『黒歴史』というものがあるんだそうです。
よく分かりません。
学校の友達もよく分からないみたいでした。
「ねぇ真央、あの子イタくない? 一緒にいて楽しい?」
「ふふ……セバスちゃんはね、今厨二病と黒歴史の時期だから仕方ないんだよ」
でも、私は知っています。
セバスちゃんの厨二病と黒歴史は私のために始まったのです。
そう思うとよく分からないけど、胸が暖かくなるのでした。
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