守る人

増田朋美

守る人

守る人

その日は、少し寒かったが、のんびりとした日であった。昨日降っていた雨も、どこかに行ってしまったようだったし、蘭は、久しぶりに、丁度いい天気だなと思いながら、お客さんに提供するための、下絵を描いていた。

丁度その時。車の走ってくる音がして、蘭の妻アリスの帰ってきたことが分かった。まあ、いつもの事か、と、蘭はあまり気にしないで、下絵を描き続けていた。

「ちょっと蘭。」

と、言われて蘭は、彼女が来たと、初めて気が付く。

「もう本当に鈍いわねえ。ほら、お寺からはがきが来ているわよ。往復はがきだから、すぐにお返事がほしいんじゃないの。」

「え、ああ。」

蘭は、アリスから、往復葉書を受け取った。

「何だこれ。大石寺の親睦会じゃないか。」

確かに葉書には、信徒親睦会のご案内と書いてある。そうか、時々大石寺は、こうして信徒さんを集めて、ご住職の法話会を開くことがあるんだった。

「まあいい、こういうことは、僕みたいな人じゃなくて、年寄りがするもんだ。どうせ行っても、余生の不安な年寄りばかりさ。ま、欠席の返事を出しておこう。」

と、蘭は言って、ボールペンを取り出そうとしたが、ちょっと待って、と、アリスがそれを取りやめさせた。

「行ってきなさいよ。こういうことは、これから生きていくうえで大切じゃないの。ほかの信徒さんとも、仲良くしていった方が、もし何かあった時に、助けてくれるかも知れないじゃないの。」

日本では、こういう宗教的な集まりに参加することは、ちょっと変な奴と、言われてしまうことも少なくないが、海外では意外に重要視されることも少なくなかった。特に、イスラム教圏では、こういう集まりは重要だ。だから、アリスもそういう考え方をする。

「あたしはね、ご利益っていうのは、そういう事じゃないかと思ってるのよ。ほら、仏教では具体的なご利益になるものがないって、よく批判されているじゃない。だけど、そうやって集まって、他の信徒さんと仲良くしておけば、なにか困ったことがあった時、信徒仲間として、なにか手助けしてくれるかもしれないじゃないの。人間にとって、孤独はまさに命取りになるわ。今は、人をつないでくれる道具も、だんだんなくなりつつあるんだから、こういう集まりは貴重だわよ。日付は、いつなの?」

「来週の火曜日だ。特に刺青の予約も今のところないけどさあ。」

と、蘭は言った。

「其れじゃあ、行ってらっしゃい。家の事はあたしがしておくから大丈夫。」

「そうだけど、お前、よく考えてよ。大石寺で親睦会はやれるけどさ、終わるのは、夜の八時くらいまでかかるよ、大石寺は駅から遠いし、身延線はローカル線だから、電車だって、一時間に一本程度しかないし、、、。」

「バカねエ蘭は。大石寺の近くには旅館ってものはないの?そこで一泊してくればいいじゃない。何ならあたしが調べてみようか。」

アリスは、蘭のタブレットを勝手にひったくって、ピコピコと動かし始めた。

「えーと、火曜日に空いている旅館は、、、あ、あるじゃないの。ほらあ、よく見て頂戴。立花旅館っていうよさそうなところが、、、。」

アリスから見せられた画面には、純和風の、いかにも高級そうな旅館の写真が掲載されていた。

「せめて洋風のホテルのほうが、使いやすいんだけどなあ。そう言うところはないの?」

と、蘭が言うと、

「あいにく、満室になってるみたい。大丈夫よ、高級旅館であれば、仲居さんたちが手伝ってくれるわよ。だから気にしないで、予約を取って。」

と、アリスはにこやかに笑った。

「そうだけど、仲居さんにはちょっと勤まらないこともあるから、出来れば、男手が欲しいんだが、誰かいないかな。そんな人、誰もいないよ。」

と、蘭は、困った顔をした。まあ確かに、車いすの成人男性の移動を手伝うには、女性の仲居さんには無理なこともある。

「じゃあ、SNSか何かでお願いすれば?」

やっぱりそういうところが、外国人だと蘭は思った。SNSで何でも気軽に、ホイホイと頼んでしまうのだ。蘭は、こういうところが外国人の妻を持つと、通じ合えないところだなと思いながら、しぶしぶわかったよ、と言って、届いた往復はがきに出席と記入した。そしてすぐ、タブレットで、誰か暇そうな人はいないか、アドレス帳をチェックし始める。SNSに投稿して見知らぬ人にというのは、一寸気が引けてしまう。そういうのは、西洋人でなければできないような気がした。

「どうせ、誰からも返事は来ないよ。他人を助けるほどの暇人何て、いないんだからね。日本には。」

とりあえず、剣持素雄さん、現吉田素雄さんの事務所にメールしてみるが、素雄さんは、火曜日は大事な訪問があっていかれないといった。そこで蘭は、自身の知っている、暇な人のアドレスに、火曜日に用事があるので、手伝ってもらえないかと、一斉送信でメールを送った。

多分、バカなことを言うなとしか、返事は返ってこないという予想であったが、確かにその通りだった。よし、これで諦められるかなと蘭は、ほっとしようと思ったが、一番最後に受信したメールに、その日は暇なので、お手伝いできますよ、何時ごろそちらへ行けばいいんですか、という内容の文字が書かれていたのである。

「ええー!まさか、瓢箪から駒とはこのことか。」

と、蘭はおおきなため息をついた。差出人は、奥大井に住んでいる、亀山弁蔵さんであった。

「あらあ、良かったじゃない。弁蔵さんが手伝ってくれるんだったら、すぐにお願いして、手伝ってもらって頂戴よ。」

と、平気な顔して言うアリスは、やっぱりいくら日本語をしゃべっていても、頭は西洋人なんだなと、蘭は思った。

「わかったよ。」

蘭はおおきなため息をついて、弁蔵さんにお願いしますとメールを送った。そして、用事の詳細を説明し、電車の乗り降りとか、そういうところを手伝ってもらいたいと、お願いの内容を書き込んだ。弁蔵さんからは、はい、わかりました、火曜日は、お昼前に富士へ行きますから、富士駅で待ち合わせしましょう、と、メールが返ってきた。決まってしまえば話は早い。蘭は寺への往復はがきに出席と書き込み、一人手伝い人を連れて行くと、付け加えて書いておいた。


そして、火曜日当日。

蘭は、迎えに来てくれたタクシーで、富士駅へ向かった。駅の入り口でおろしてもらうと、弁蔵さんがすでに先に居た。

「どうもすみません。忙しいのにわざわざこっち迄来てくださって。」

と、蘭は弁蔵さんに言った。

「いえいえ、大丈夫ですよ。こういうときはお互い様ですから、気にしないで使ってくれて結構ですよ。」

にこやかな顔をして、弁蔵さんは言った。それを見て蘭は、妹さんのしたことのせいで、弁蔵さんも用なし人間に近づいているという事に気が付いた。でも、それは、蘭は口にしなかった。

「気にしないでくださいね。まあ、友人と一緒に旅行に行くつもりで、宜しくお願いしますね。」

弁蔵さんは、蘭の車いすを押して、身延線のホームへ向かった。身延線は、一両か二両しか電車のない小さな路線だ。乗客も平日は非常に少ない。そんなわけだから、直ぐに電車に乗れた。田舎電車だから、沿線に対して名物が見えるわけでもない。ただの住宅街を走り抜けて、電車は富士宮駅に着いた。蘭は、弁蔵さんに手伝ってもらいながら、電車を降りた。富士宮は、富士と比べると、標高が高くて、住みにくいといわれていたはずなのに、なぜかすぐ近くに神社もあり、大型のショッピングモールもあり、コンサートホールもあり、かなりにぎやかな街になっていた。

とりあえず、二人は障害者用のタクシーを探して、大石寺まで乗せて行ってもらう。大石寺は、かなりの田舎にあるお寺だが、さすがに総本山というだけあって、広大な敷地があり、何十本の桜の木が、植えられていた。春になれば、ものすごい花見客がやってくるのだが、今はシーズンオフというべきか、観光客はあまりいなかった。

寺院内には、いわゆる付属寺院と言われる、塔頭寺院がいくつか立っていて、それぞれ塔頭ごとに、僧侶がいて、檀家のようなものもあるという。それを合わせたら、何人の檀家の人が、この大石寺を利用しているんだろうなという事がよくわかった。一般の人用の駐車場だけではなく、信徒専用の駐車場もしっかり用意されている。

親睦会は、大石寺本堂近くにある建物で行われた。とりあえず、蘭だけしか入れないのではないかと思われたが、受付はお手伝い様もどうぞ、と、二人を中に入れてくれた。

中は、机といすが、いくつか置かれている。写経をするために、硯と細筆もおかれていた。二人は、その一番端の机といすの前に座る。

数分後、大石寺の大僧正がやってきて、写経開始の挨拶をした。蘭も、弁蔵さんも、急いで筆をとり、写経を始めた。ここの写経は非常に厳しいものがあり、手本をただなぞるという、観光寺によくある形ではなかった。手本は隣にあって、それを書き写さなければならないのだ。そうなると、さすが、日ごろの信仰が効力を発揮する、立派な修行だと思った。

近くの机で、大僧正が、ある若い男性の、手を取って、写経を手伝っている。その人はきっと漢字になれていない外国人か、其れとも、杉ちゃんのように、文字の読み書きができない人か、そういう人だろう。そう言う人にも優しいのが、さすが仏教寺院である。

写経には、自分の一番の願い事を書いて、提出する必要がある。蘭はなにを書こうか迷った。隣の弁蔵さんは、一生懸命書いているようだ。こっそり見てみると、妹が、無事に刑期を終えて出所しますように、なんて書いている。蘭は、どうしようかとまよったが、とりあえず、友人が幸せになれますように、と、書いた。具体的に、その人の名前を書いてしまうことは、なんだか、いけないような気がしてしまったのである。

とりあえず、写経の時間は終わり、へたくそな字で写経を完成させ、一番の願い事を書いて、一人ずつ提出した。全員分提出が終わると、大僧正が、みんなを代表して、本尊さんにお経をあげて、お祈りする。蘭は、そんな立派な人に言ってもらって、本当に届くのだろうかと、心配しながらそれを聞いていた。

御祈りが終わると、釈尊に関する法話が開始された。大体それは、釈尊や日蓮聖人にまつわるものであった。弁蔵さんは、真剣にその話を聞いていたが、蘭は、本当にその通りになるのかどうか、

疑問に思った。そのとおりにならない人物が、自分の親友である。どんなに宗教的に誰でも救われると説いても、その通りにならない人物が、この近くにいる。蘭は、何だか悲しいなと思いながら、その話を聞いていた。

法話会が終わって、しずかに梅花と呼ばれる、仏教の祈りの歌の合唱が行われた。最近ではどこかの学校の合唱コンクールでも歌われることがあると、大僧正が説明してくれたのであるが、蘭は、学校のような場所には、こういう教訓的な歌を歌うのは、かえってやめた方がいいのではないかと思った。

梅花の合唱が終わって、親睦会は閉会となった。思ったより写経に時間がかかり、やっぱり予想した通り、閉会したのは八時近くになっていた。蘭は、また弁蔵さんに手伝ってもらいながら、寺を出て、旅館立花に連れて行ってもらった。


旅館立花はすぐ近くにあった。大石寺から歩いて、五分程度のところである。二人が入口に行くと、若いおかみさんが、二人を出迎えてくれた。二人は、予約した通り、一般的な部屋に通されると思ったが、おかみさんが松の間が空いているというので、そっちに入れてもらった。

女将さんに一通り施設の説明をしてもらい、直ぐに夕食にしてもらうことにした。さすがに松の間と言われるだけあって、部屋も広いし、浴衣やアメニティもそろっていて、不自由なことはなかった。

「失礼いたします。夕食をお持ちいたしました。」

と、おかみさんが優しい声で、部屋に入ってきた。何人かの仲居さんと一緒に、大量の刺身やら、野菜やら、何やらが、お皿に乗ってやってくる。

「はあ、すごいですね。僕らは、ここまで豪華にしてくれる何て、予想はしていませんでしたよ。」

確かに旅館の料理は、弁蔵さんがそういうほど、すごいものである。

「弁蔵さん、そんなこと言って。」

蘭は、そう返答したが、

「いやいや、同業者として、すごいと思いました。僕らも、頑張って見習わなければなりません。こんな豪華なお料理。」

と、弁蔵さんはそういっている。二人が、料理を心行くまで食べても、料理はまだ残っていた。

「はあ、もう食べられませんね。こんなすごい大量の料理、どこまで出したら気が済むんだろうっていうくらい。」

蘭が言うと弁蔵さんは、

「これ、みんな、残った食材はどうなってしまうんでしょうね。誰か、食べてくれればいいのに。捨てられてしまうのでしょうか。」

といった。確かにそうかもしれなかった。蘭はそうだなあと、頷いた。

「ほんと、こういう旅館って、豪華な料理だして、もてなすんでしょうけど、さっきの法話を思い出すと、ちょっと素直に、喜べないなっていう気がしますよ。ほら、さっき大僧正が言っていたじゃありませんか。いただきますとごちそう様の意味でしたっけ。あれは、命をいただきますということだって、話していたでしょう。僕たちが食べられる量のものであれば、牛も魚も喜ぶんでしょうけど、食べられないで残してしまうと、きっと悲しい思いをしてしまうんでしょうね。」

「何ですか、弁蔵さん、そんな子供みたいなこと言って。」

蘭はそういったが、弁蔵さんはなおも真剣に言うのだった。

「いやあ、僕も、魚を調理するときとか、魚がまだ生きたりしていると、そう思うんですよ。ほら、鯉なんかはね、放置しておくと臭みが出るから、必ず生きたものを持ってきて料理するんですよ。だから、成仏して、お客様の体に入ってくださいって、願いを込めて料理するんです。」

「そうですか、、、。」

蘭は、自分もそういうことをできる人になれたらな、と思ったが、僕にはそういうことは出来ないよ、と、蘭は、ちょっとため息をついた。

「いただきます、にごちそう様か。確かに、仏教では当たり前のことを当たり前として、行うことが素晴らしいというけれど、それのせいで、つらい思いをしている奴も、いるんだから、、、。だって、その教えのせいで、ひどい人種差別をされる例もあるんだし。」

「いや。どうですかね。蘭さん、それは大僧正の話をしっかり聞いてないのではありませんか。大僧正は、人種差別をしろとは一言も言いませんでした。」

と、弁蔵さんは、蘭に言った。

「いやあ、でも、実際、人種差別で悩まされている奴もいるじゃないですか。」

と、蘭は言う。その人物の名前をいう事は、なんだかかわいそうでどうしてもできなかった。

「そうですかね。でも、大僧正は、そんなことは言いませんでした。其れは、悪い人が勝手にでっち上げて、そうしているだけでしょうよ。そういうことは、わるいことを考える、わるい人が悪いんです。そんな、どんな宗教であっても、人間を苦しめるためにあるものなんか、何処にもありませんよ。蘭さん、そういう事は、言わないでください。」

弁蔵さんはそういうが、蘭はどうしても、あの大僧正の言葉通りにすることはできなかったのであった。大僧正は、仏教では誰でも救われる権利があるといった。でも、彼は救われることはなく、常に周りの誰かにいじめられて、それに苦しんで生きていかなきゃならないじゃないか!そういう人の事をどうしてくれるんだ!と蘭は、大僧正の話を、その通りだと信じる事は出来なかったのである。

「失礼いたします。デザートをお持ちいたしました。」

と、おかみさんが優しい声でふすまを開けた。もうこれ以上食べ物はいらないと蘭も弁蔵さんも思ったが、この旅館ではまだ食べ物が出るらしい。こんな贅沢、もうたくさんだと蘭はため息をついた。


「おかみさんちょっと来てください。城戸さんというお客さんがうるさいんです。」

一人の仲居さんが、女将さんに言った。

「どうしたの?」

と、同時に、一人の男性客が、仲居さんの後を追いかけてきて、

「おい、おかみさんよ。ここの旅館には、松の間に泊っているお客にだけ、こんなごちそうを食べさせて、他の部屋に止まっている客には食事なしか。一体どうしてくれるんだ。俺たちは、折角この旅館に来ているのに、何も出さないとは、どういう訳だ!」

と、罵った。

「だって、城戸さんは、食事なしのプランで予約されたじゃありませんか。それに食事なら、どこかのレストランで食べれるんですから、それでいいでしょ!」

仲居さんの一人がそういうと、

「そうかもしれないけどな、松の間のお客さんたちに、これだけ食べさせられる食材があるんだったら、ちょっと、ほかの誰かに分けてやってもいいんじゃないか!だって、こんなに大量の食材、明らかに食べられるわけがないじゃないか!」

と、お客さんは、そういった。確かに、この食材は、二人分ではとても多すぎた。そのお客さんの言う通り、二人にこんな大量に食べさせるのなら、ほかの誰かにあげたほうが、確かに大僧正の言った通り、命をもらうという事が遂行されるかも知れなかった。そして、もらった方が、得意になって、もらったのを自慢するのもいけないし、もらえないほうが、貰えないからと言って永遠に憎み続けるのもいけない、と大僧正は言っていた。今の日本では、そういう傾向が強くなっている。所有物を自分だけのものにしないで、もっと他の誰かに共有し、その喜びを、挙げたほうも貰った方も、同じくらい感じることができれば、日本社会はもっと良いものになる、と話していたことを蘭は思い出す。

でも、旅館のシステム上、そういう事は出来ないだろうな、と蘭は思った。

「よかったら、これもどうぞ。」

弁蔵さんは、そういって、デザートの乗ったお皿をそのお客さんの前にもっていって、それを差し出した。その顔は、とてもにこやかな顔だった。

「おう、有難う。うれしいなあ。」

お客さんも、にこやかな顔をして、弁蔵さんが差し出したデザートを受け取り、同時に渡されたフォークでおいしそうに食べ始めた。

「其れならよかった。」

という弁蔵さんは、自身も嬉しそうである。弁蔵さんのどこにそんな力があったのだろうか、と蘭は、ちょっとびっくりしてしまった。

「うまい!うまいなあ。ありがとうよ。」

そう言うお客さんは、一見すると怖そうな人であったが、デザートを口にすると何でもない人であるとわかる。弁蔵さんはそのことを、知っているとは思えなかったが、とにかく誰かと食べ物を共有することができてうれしいという顔をしていた。

女将さんたちも、口を開けて、ぽかんという顔をしている。その顔を見て、蘭は、この人がただのお客さんではないのではないかと疑い始めた。もしかしたら、なにかこういう風に言いがかりをつけて、

御金でもゆすり取っていく、そういう人であるのではないかと、蘭は思ったのである。

「いやあ、こんなうまいケーキ、ごちそうになって、すごくいい気分だよ。何だかその前にやることがあったような気がしたけど、忘れちゃった。あんたは親切でいいな。おい、おかみさんたちも、この人みたいに、もっと優しくなってくれるとうれしいな!」

と、そのお客さんは、ケーキを完食し、弁蔵さんにお皿とフォークを渡して、手を振って部屋を出て行った。ありがとうございました、と、おかみさんや仲居さんが、弁蔵さんにお礼を言っているのを見ると、蘭は自分が予測したことは、間違いじゃないとわかった。

「ご利益は自分のためにあるものではありません。」

不意に、蘭の頭の中を、大僧正の言葉がよぎった。

「ご利益とは、誰かと分け合い、その喜びを得る事にあるのです。一人で独占して、喜ぶものではありません。」

蘭は、ふっとため息をついた。




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守る人 増田朋美 @masubuchi4996

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